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「コンセント」の裏側に、実はスゴい技術と歴史。パナソニックの工場で見てきた
2022年11月11日 08:05
「自宅にあるコンセントや壁スイッチのメーカー名を知っていますか?」
この質問に答えられるのは、電気工事をする人ぐらいしかいないだろう。その昔はメーカー名の刻印があったが、最近のコンセントやスイッチは外から見たデザインを大事にしているので、カバーを開けないとメーカー名が書いていないのだ。
実は、国内のコンセントや壁スイッチのシェア8割を握っているのはパナソニック。パナソニックといえば、会社で支給されるパソコンの「レッツノート」や、テレビの「ビエラ」にレコーダーの「ディーガ」、ナノイー搭載ドライヤーやジアイーノ、エアコンの「エオリア」といった家電やAV機器の数々が思い浮かぶ。
しかし100年以上前、パナソニックの前身「松下電器」を創業したときは、電球のソケットを作っていた。それ以来パナソニックを支える屋台骨の1本が住宅やビルのコンセントやスイッチをはじめとする配線電材なのだ。
しかも、世界でも片手、いや3本指に入る電材のトップメーカーで、各国のコンセントやスイッチを製造している会社でもあるのだ。
今でこそ国内トップ、世界にも進出するほどのパナソニックだが、昭和の初めまでは電気工事店から門前払いされるほどの弱小メーカーだったことを知る人は少ない。
なお本日11月11日は「配線器具の日」。日本配線システム工業会が制定したものだ。先日、取材してきた三重県津市にあるパナソニックの津工場で見てきた懐かしい名機や最新製品などを紹介しながら、これまでの興味深い歴史と今後の取り組みについて触れていきたい。
創業当時の電球2股ソケットまでは好調だがコンセントで苦戦
以前の記事でも書いた通り、創業当時に作っていた「アタッチメントプラグ」は現在その名を「セパラボディ」と変え、100年以上に渡って販売されている。これは電球のソケットから電源を取るためのアタッチメント(今はお祭りの出店や漁船で見かける)で、当時はコンセントなんてものはなかった。
それだけでなく電球ソケットに複数の電球を差し込んで明るさを変えたり、電球と家電の電気を切り替える「国民ソケットX号」というものもあり、これも未だにホームセンターで売っている。お店で「国民ソケット2号ください」と言えば、店員さんが持ってきてくれるはずだ。
戦後の復興で家が建ち、家電が増えてくるとコンセントが登場する。しかしこのときシェアを握ったのは別の企業。パナソニックは何十年もの間、背中を見続けることになる。そこで他社より施工が簡単で、壊れにくく、使いやすいコンセントを開発した。その自信作を電気工事店に売り込みに行くも門前払いされたという。なぜか? 電気工事店が「互換性がないから」と言っていたためだ。
戦後の住宅ブームで起死回生! 破天荒な特許公開で挽回
ライバル社の背中ばかりを見てきたパナソニックだったが、1970年代の住宅建設ラッシュで風向きが変わる。それが1971年に発売された「フルカラー」シリーズのコンセントやスイッチだ。なんと今でもホームセンターの電材売り場に並ぶ不朽の名作。
コンセントはそれまで差し込みの上下の肉が薄く、何度も抜き差ししているうちに割れてしまっていた。そこでパナソニックは上下の肉を厚くし、プラグが入る穴を“すり鉢状”にした。こうすると多少コンセントへ差す位置がズレても自然に穴に導かれるというわけだ。それまでは今のHDMIケーブルなどのように、穴へピッタリ合わせないと差せないという不便さだった。
そしてコンセントとまったく同じ大きさでスイッチも作った。ベースとなる板には、コンセントやスイッチが3個取り付けられ、組み合わせも自由。コンセントの施工も、壁スイッチの施工も同じ寸法の穴で、施工手順も同じとなるように標準化したのだ。
改善はこれだけで終わらなかった。配線工事の簡略化が極められ、熟練工でも初心者でも安全で確実に配線できる「速結端子」の発明だ。
それまでの配線は、電線の被服を剥き、ペンチで輪っかを作り、そこにネジを差し込んで、ドライバーで締めていた。しかもドライバーはマイナスだったりする。もう面倒ったりゃありゃしない。おそらくコンセント1個に配線するだけで初心者なら3分はかかっただろう。
パナソニックが開発した速結端子は、電線の被服を剥いたら、穴に差し込むだけ。ドライバー不要で熟練工でも初心者でも、コンセントの配線は10秒で完了。しかも電線は一度差し込むと確実にロックされ10kg程度で引っ張ってもビクともしない。でも電線を外すときは、マイナスドライバーをロック解除穴に軽く差し込むと、電線は力を入れずともスポン! と抜ける。
本来ならこれらの創意工夫はすべてパナソニックの特許だが、かつて電気工事店で苦渋を味わった“互換性”は「自社の利益以上に日本にとって大切」ということで、発売から4年後の1975年に特許をすべて公開、さらにはJISの規格とした。
折しも1970年代からは新築戸建てやニュータウンの建設ラッシュ。電気工事店は、施工が3分から10秒になるパナソニックのコンセントをこぞって採用することになる。
パナソニックの津工場は、戦後まもなくから電材のマザー工場。つまりパナソニックの歴史として紹介したここまでの話は、すべてこの三重県の津工場の物語だ。
天井照明を取り付ける「引掛シーリング」も特許公開
今の多くの家庭では、天井照明が蛍光灯からLEDに置き換わっていることだろう。富士経済の調べによれば、日本におけるLED照明機器の普及率は2020年時点で100%、対して世界平均は68%となっており、世界に先駆けてLED化が進んでいる。
そして「取り替えを自分でしてみたら思ったより簡単だった!」という人も大多数だろう。その一翼を担っているのが、これまたパナソニック津工場が開発した「引掛(ひっかけ)シーリング」だ。茶色で細長いものから白くて丸いものなどさまざまあるが、ほとんどの家庭の天井には引掛シーリングが付いていて、これに照明を掛けて固定している。
いうなれば「照明用アンカー付きコンセント」だ。だから超初心者でもLED照明を買って来て30分ほどで取り替え完了。実はこの引掛シーリング、日本独自の規格で海外にはない(イギリスには近い規格がある)。そんな事情で海外では、蛍光灯をLEDに切り替えようにも有資格者の施工業者に依頼せねばならず、そもそも工事費がかかるのでLED化の遅れになっている一因だと筆者は見ている。
さて天井についている引掛シーリングは、必ず梁(はり)などに固定されている。そのため最低でも3kg(標準で5kg、最大は10kg)の照明を固定できるようになっている。また照明側には金属製のカギ型が付いているので、これで引掛シーリングをがっちり捉え、ついでに電気を供給するコンセントとしても機能する。だから照明の取り替えは、コンセントに家電のプラグを差すのと同じで、免許不要で業者に依頼する必要もない。素晴らしき日本!
実はコレ、先に紹介した「フルカラー」シリーズのコンセントよりも歴史が古く1963年に津工場で産声を上げた。そしてパナソニックが特許を持っていたが、コンセント同様に特許を公開しJIS規格になっているという。
実は創業当初にも、破天荒な特許公開をした頃がある。昭和1桁時代にラジオが大ブームとなるが、重要な回路の特許をある発明家が握っており、一般家庭で安く手に入れられるラジオが作れなかった。ことを重んじたパナソニックの創業者は、この発明家から特許を買い取り、なんと電気メーカー各社に特許を無償で公開したのだ。こうしてラジオは民衆のものとなり、それは後の電子立国日本へとつながっていく。
あまり知られていない「裏側の美学」がパナソニックにも
日本のコンセントや壁スイッチなど電材に革命を起こし続けているパナソニックの津工場。
現在はスイッチに触らなくてもONとOFFができる非接触スイッチや、プラグを何年も差しっぱなしになるエアコン/冷蔵庫などに、ホコリがつもって異常な熱を検知すると自動的に電源を落とすコンセント、上げ床の下に電線をめぐらすのではなく床そのものにシート状の電板をめぐらせるコンセント配線などを開発/製造している。
ものすごく身近にあるけれど、誰も知らない、気にかけないような電気部品もパナソニックの主力事業。津工場で大切にされているのは、そんな見えない場所で私たちの生活を支える「裏側の美学」なのだ。