大河原克行の白物家電 業界展望

昭和の花柄ポットに歴代ロゴも、創業100周年を迎えた象印「まほうびん記念館」フォトレポート

 象印マホービンが2018年5月21日に、「まほうびん記念館」を大阪市天満の本社1階にリニューアルオープンしてから、約1カ月が経過した。2008年に、同社の創業90周年を記念してオープンしたまほうびん記念館は、今年、創業100周年を迎えるのにあわせて、新たな展示内容を加える形でリニューアル。同社の歴史に留まらず、まほうびん業界全体の歴史に触れることができる内容となっている。実際に、まほうびん記念館を訪れてみた。

大阪市天満の象印マホービン本社1階にある「まほうびん記念館」
入口の様子

 実は、まほうびん記念館を取材した日は、大阪府北部で最大震度6弱の地震が発生した6月18日のことだった。

 すでに大阪市内にいた筆者も、大阪北部地震を体験したのだが、その日、3件の取材を予定していた中で、取材がなくなったのは1件だけ。象印マホービンのまほうびん記念館も、取材を予定していた午後には大阪メトロの一部が動き始め、広報部長の西野 尚至氏も出社をしており、対応をしていただけるとのことで、当初の予定通りに取材に訪れることになった。

 リニューアルしたまほうびん記念館には、歴史的にも価値がある所蔵品が展示されている。もちろん、それぞれの展示品が、しっかりと固定をする形で設置はされているのだが、地震発生時の午前7時58分にすでに出社していた西野部長は、すぐに、まほうびん記念館の展示品の被害の有無を確認するために、1階に移動。すべての確認作業を行なったが、地震による被害は一切なかったという。それも、この日、取材対応をしてもらえた大きな要因のひとつになっている。

「まほうびん記念館」入り口のロゴ

歴代ロゴマークも、象印100年の歴史を紹介

 本誌では、2009年にもまほうびん記念館の様子をレポートしているが、入口にある「まほうびんが生まれるまで」と題したアニメーション映像や、英国人のジェームズ・デュワー氏が作ったまほうびんの原型となるデュワー瓶の展示。さらにはまほうびん技術の基本である「真空」技術を視覚や聴覚で体験できる「真空のふしぎ体感コーナー」などは従来の展示を継続。

 一方で、象印マホービンの歴代製品の展示コーナーは、直近10年分の製品群を追加展示して、「暮らしを創る象印マホービンの100年」に進化。「まほうびん技術と発想開発の系譜」や「まほうびん業界の歴史」、「挑戦し続けた様々なまほうびん」の展示コーナーは、従来の展示に新たな製品や技術展示、コンテンツを追加することで、内容の充実を図っている。

 また、人気コーナーとなっている「暮らしの夢シアター」では、象印マホービンの100年の歴史を新たに紹介。テレビCM集も、1960年代以降、1980年代以降、199年代以降の3つのコンテンツに加えて、今回、新たに2010年以降のコンテンツを追加。最近のCMまで視聴することができる。

最初のコーナーでは、ビデオ絵本「まほうびんが生まれるまで」が見れる
英国人のジェームズ・デュワー氏が真空を利用して作った実験用フラスコ「デュワー瓶」。まほうびんの原型だ
真空技術を視覚や聴覚で体験できる「真空のふしぎ体感コーナー」。真空構造が高い保温力を実現していることなどが体感できる
真空にするとベルの音が小さくなったり、ボールが膨らんだりする様子も体験
まほうびん技術 発想と開発の系譜のコーナー
魔法瓶の技術の変化を、歴史を追って知ることができる
暮らしの夢シアター
象印マホービンの100年の歴史とともに、2010年以降のCMも楽しむことができる
100年の歴史を創成期、再興期、拡充・拡大期、基盤再整備期、革命・飛躍期にわけて紹介している
魔法瓶に関する各種資料が自由に閲覧できる。象印マホービン以外の魔法瓶各社の社史もある
象印のロゴマークの変遷も紹介
戦前に使われていた象のマーク
戦後になって使われた象のマーク。背景がついた
1953年には輸出用と国内用で2種類を用意
1958年には「象印」の社名が入った
1961年の象のマーク。鼻が短くなった
1964年から使用した輸出用と国内用のマーク
1974年から使用したマークでは、「ZOJIRUSHI」となった
1977年から使用したマークでは象がシンプルになった
1986年からは「ZO」を強調。象と社名は別々に使用されていた
2009年以降、現在も使われているマーク。象と社名が一緒に使用されている

 そして、今回のリニューアルで最大の目玉となったのが、110本の魔法瓶を展示した収蔵展示コーナー「まほうびんの森」である。1948年に、戦後初の卓上魔法瓶として象印マホービンが発売した「ポットペリカン」の形を模した入口から入ると、ガラス製魔法瓶の内びんを使用した、あたたかい光が全体に広がる。

 形や素材、色、デザイン、機能といったテーマごとに、歴史的を刻んだエポックメイキングな製品が並んでいた。このうちの一部は、これまでまほうびん記念館の企画展で特別展示されたものを、常設展示化したものが含まれているという。

「まほうびんの森」の入口はポットペリカンの形をしている
中に入ると110本の魔法瓶が展示されている
展示場内はガラス製魔法瓶型の照明で照らされている
1943年頃の有田磁器ケース卓上ポット(左)と、1947年頃の有田磁器ケース卓上ポット(右)。東京裁判の法廷でも同様のものが使用されていた写真が残っている
1937年頃のベークライト水筒
大正時代のものとみられる携帯用魔法瓶
1942年頃の杉・針金たが締めおひつ
タイガー魔法瓶が1955年に発売した月虎印ボトルと、1964年に発売したポットエレガンス
象印マホービンが1953年に発売したアイスクリーム容器(左)と、1961年に発売したディズニーのボトル
各社が発売した様々なデザインや色柄の製品を展示
1978年頃に発売されたタケフジの木製ポット
1983年に発売された象印のコルクポット
象印の明治乳業向けポット。1981年の発売
ダイヤ魔法瓶工業(現オルゴ)が1971年に発売したサインポット。上部の回転キャップで中の温度がわかる
パナソニックの「くらしの泉会」向けに開発したポット。1969年にダイヤが開発した
1965年頃にイーグルが発売したリンゴ型アイスジャー
都会感覚のニューポットとして発売したタイガーのタウンポット。1982年の発売
1986年象印が発売したステンレスボトル「タフアーミー」。ユニークなデザインだ
企画展「花柄ストーリー」での人気投票で1位になった1991年発売のミューズポット。胡蝶蘭があしらってある
スターバックス向けのステレンレスボトル。2004年に象印が開発
有田焼の茶器と合わせたポットも発売。1980年前後に相次いで発売した

 象印マホービンの1社の歴史を遡るだけに留まらず、魔法瓶の歴史をより詳細に知ることができる重要な役割を持つ展示内容に、より進化したといえるだろう。

 もともと日本のガラス工業の中心地だった大阪は、魔法瓶の中瓶を作る優秀なガラス職人が集中。1966年当時には、魔法瓶業界の団体である全国魔法瓶協会組合に53社もの企業が加盟していたが、そのほとんどが大阪に本社を置く企業であったという。

 象印マホービンが大阪の地に、まほうびん記念館を設置する意味もそこにある。写真を通じて、まほうびん記念館の様子を紹介する。

1964年の東京オリンピックモデル
1970年の象印の大阪万博の記念バッチも展示していた
出口の近くには象印マホービンによる魔法瓶のプロトタイプも展示
出口ではこれからの100年に向けた姿勢を示している
来館者にプレゼントされるグッズ

暮らしを創る象印マホービンの100年

 ここでは、象印マホービンの歴史や、エポックメイキングな製品を展示している。

 魔法瓶や電気ポット、炊飯器などの印象が強い象印マホービンであるが、これらの展示を通じて、ユニークな製品を数多く開発してきたことがわかる。

暮らしを創る象印マホービンの100年のコーナー
1918年、兄弟で設立した市川兄弟(けいてい)商会

 象印マホービンは、1918年に市川銀三郎氏と市川金三郎氏の兄弟によって設立された市川兄弟(けいてい)商会がはじまりだ。最初は、ガラス技術を生かした魔法瓶の中びん製造からスタートした。

 1923年から魔法瓶の生産を開始。同年には、自社製魔法瓶の輸出も開始した。もともと魔法瓶は、欧州で広がっており、英国の植民地化によって、欧州から東南アジアへと魔法瓶の文化が広がったという。

 そのため日本のメーカーの魔法瓶ビジネスの対象市場は、東南アジアが中心になり、大阪にはガラス職人が多かったことに加えて、大阪が東南アジアの貿易の拠点となっていたことも、この地で魔法瓶ビジネスが広がるきっかけになったといえる。当時、魔法瓶の国内総生産の80%が輸出向けだったという。

1931年頃に輸出用として生産したH型
1947年、終戦後に魔法瓶事業を再開

 1942年には第2次世界大戦の戦局が悪化したことに伴い、市川兄弟商会を閉鎖。終戦後となる1947年に魔法瓶事業を再開した。1948年には、協和製作所を設立し、魔法瓶の製造、販売を開始。戦後の第1号製品としてポットペリカンを発売した。

 1953年には、協和魔法瓶工業に社名を変更し、工場を拡張。中近東や欧州市場の開拓とともに、日本市場への展開にも力を注いでいった。この年、エレファントジャーを発売している。

 1957年には、八尾工場を建設し、ベルトコンベアを採用した最先端の生産設備を導入し、量産体制を整えた。

1953年に発売したガラス魔法瓶初の保温ジャー「エレファントジャー」
片手で持ったまま親指で蓋を開閉するP型。1960年の発売
1961年、象印マホービンに社名を変更、花柄デザインブームを牽引

 現在の象印マホービンに社名を変更したのは1961年のことだ。すでに、1923年に自社製品を展開した時点で象のマークを採用していたが、社名のトレードマークに象を使ったのは、このときが最初だ。

 象のマークを採用したのは、「象は頭がよくて、家族愛が強い」、「陸上動物で最大の巨体だが、おとなしく、ゆったりとした態度や、その容姿は子供たちに愛される」、「生命力が強く、寿命が長い」といった理由からだという。

 1963年になると、ハイポットワンタッチせん「傾けるだけでお湯が注げる」を発売。さらに、魔法瓶技術を活用した関連製品を開発し、アイスジャー、水筒、保温弁当箱「ランチジャー」などを製品化していった。

 1965年には、最新鋭の中びん自動製造専門工場の和新ガラスを設立。1967年には、ジャー「幸(しあわせ)」を発売し、炊き立てのおいしさを保持する提案を行ったほか、1968年には、花柄プリントの魔法瓶を発売するとともに、1969年には、華道4大流派の活花をデザインしたポットを発売し、花柄デザインブームを牽引していった。

 また、1968年には、大東市に大阪工場を落成し、基幹工場として稼働させたほか、1969年には八尾工場に世界初の化学強化中びん加工装置を設置して量産化を開始。輸出高は業界第1位になった。

 1970年に、現在の場所に本社ビルを竣工。電気で加熱と温度調節を行う世界初の電子ジャーを開発して、家電分野にも本格参入した。1973年には、空気圧を利用したエアーポットを発売。1974年には「炊いて保温」ができる電子ジャー炊飯器を発売した。

 なお、1973年には大阪工場にテクニカルセンターを開設し、1976年には工場にトヨタのカンバン方式を導入して、生産の合理化などにも取り組んでいる。

業界初のオートメーション製造を行なった携帯用魔法瓶「サーモスAK」。1963年の発売
1968年にはかき氷がつくれる「ハイアイス M型」を発売
計量カップを不要にした米びつ「ライサー」。1969年の発売
1976年にはアイスクリームメーカーも発売していた
世界初となった電子ジャー「RH型」。1970年に発売した
1973年は、「エアーポット 押すだけ」を発売。CM効果もあり、「押すだけ」は当時の流行語に
1974年には、炊飯から保温までできる電子ジャー炊飯器「しあわせコンビ」を発売。家電業界に本格参入した
マイコンで制御する「マイコン炊飯ジャー しあわせ」。1983年の発売
とろ火料理に最適化した「電気スロークッカー」。1975年に発売
1979年には、超音波美顔器「シルキーパック」を発売していた
好みの温度に仕上げることができる酒燗器「燗どころ」。1979年の発売
1980年~、圧力IH炊飯ジャーやホームベーカリーを発売

 1981年には、ステンレス製の真空魔法瓶「ステンレスサーモス・タフボーイ」を発売し、これがJALの国際線の機内サービス向けに採用。1984年にはステンレスサーモスの自動化ラインを増設して、年間300万本体制を確立した。また、1983年には、びんの上下に出口がある両口中びんの開発に成功し、「みェ~るポット」として発売。同時に、マイコン制御の炊飯ジャーも発売した。

 1986年は、新たな象印のCIをスタートするとともに、大阪証券取引所第二部に上場。タイに拠点を開設したり、ゼットオー販売を設立したりと事業拡大に向けた布石を打つ節目の1年になったほか、1987年には米国に拠点を設置したり、初の海外技術輸出として、韓国の韓一家電にジャー炊飯器の製造技術を供与した。1995年に、中国での本格生産を開始している。

 一方、1988年には、自動製パン機の「パンくらぶ」を発売。1990年には、サイフォン式コーヒーメーカーや、業界初の薄型食器乾燥機を発売し、製品領域を拡大。1996年には圧力IHジャー「極め炊き」を発売して、圧力方式を炊飯器の主流にしてみせた。さらに、1998年に発売した超軽量ステンレスボトル「タフスーパースリム」は、真空層厚1mmという薄さ実現したことによってスリム化、軽量化を達成したものだ。

 また、2001年に発売した「みまもりほっとライン」は、電気ポットの利用状況から、一人住まいのお年寄りなどの安否を確認するシステムであり、これを搭載したi-potは、ITと連動した新たな用途の製品として注目を集めた。2015年には、みまもりホットラインの契約者数は1万件を突破している。

1981年に発売したタフボーイ STA型。落としても割れないステンレス製
カルシウムイオン水生成器「サン・ペラ」。1979年の発売
周年モデルを用意しない象印だが、これは1983年に65周年を記念して発売した魔法瓶「デュモンド」。なお、100周年モデルを投入する予定はないという
1985年には、コードレスハンディクリーナー「EEH型」も発売していた。
こちらはドレッシングメーカー「CBC型」。1984年の発売
15分で温泉卵ができる温泉たまご器「WHT型」。1985年の発売
30分でプリンができるプリンメーカー「MEA型」。1986年に発売した
ハンドルをくるっと回すと握りずしができる「おすしやさん」を1986年に発売
米国から技術導入して製品化したオンジクラブジャグ。1986年の発売。当時の市川 重幸社長のサイン入りだ
自動ホームベーカリー「パンくらぶ」。1988年に発売
真空の力で2~3分で漬物ができるスピードつけもの器「はやづけくん」。1989年に発売
ふとん乾燥機「ふんわり~の」。1991年に発売した
約30分でネクタイのしわを取るネクタイプレッサー。1994年の発売
電気ポットの技術を生かしたスチーム加湿器。1996年に発売した
空気清浄機も製品化。イオンとHEPAを組み合わせた。1998年の発売だ
1998年に発売した食洗器「ぴたピカ」
2001年に発売した「i-pot」。ポットを通じてお年寄りの安否を確認することができる。2001年の発売
2010年~、南部鉄器を採用した圧力IH炊飯ジャー「極め羽釜」

 2010年になると、圧力IH炊飯ジャー「極め羽釜」を投入。羽釜形状の内釜が話題を集めたのに続き、2011年には南部鉄器を素材に採用。象印の炊飯ジャーの人気を確実なものにした。2012年には圧力IH炊飯ジャーの国内累計販売が500万台に達している。

 2014年には圧力IHなべ「煮込み自慢」を発売し、新たな調理家電市場を開拓。2015年にはステンレスタンブラーやマルチコンベクションオーブン、全自動コーヒーメーカーなどを開発。引き続き、新たな領域にも挑戦している。

 そして、創業100周年を迎えた2018年には、東証一部銘柄に指定され、新たな炊飯器として、「炎舞炊き」を発表し、話題を集めている。

 創業100年を機に発信した新たなメッセージは、「ずっと もっと 象印らしく」だ。

リニューアルによって、新たに直近10年分の製品を展示した
羽釜によっておいしさを追求した「極め羽釜」。2010年の発売
南部鉄器を採用した「極め羽釜」。ちなみに7月発売の炎舞炊きも展示予定だ
2104年に発売した圧力IHなべ「煮込み自慢」
余熱の手間がなくオーブン料理ができるマルチコンベクションオーブン「ET-YA型」。2015年に発売した
360°送風で、ムラが少なく、すばやく衣類を乾燥させる衣類乾燥除湿機「サーキュレートドライ」
煮る、焼く、炒めることができるグリルなべ「あじまる」。2016年の発売
魔法瓶タイプのポットを利用して淹れたての味と香りが続くコーヒーメーカー「珈琲通」
短時間の加熱でおまかせ保温調理ができる「ステンレスクック&フードジャー」。2017年に発売

 なお、まほうびん記念館は、入館料は無料だが、事前予約制となっている。最大見学人数 は1回あたり20人まで。予約問い合わせは、06-6356-2340まで。開館時間は午前10時から午後4時まで(入館は午後3時まで)。休館日は、土曜日、日曜日、祝日、年末年始など。

 展示面積は約210m2で、約1時間での見学が可能だ。今後、テーマごとの企画展を実施していく予定だという。

 ここからは、ブースごとに写真で紹介する。

挑戦し続けた様々なまほうびん
「挑戦し続けた様々なまほうびん」では、宇宙、スポーツ、産業、環境・エネルギー、気象といった分野での技術活用を紹介している
宇宙用ステレンレスボトルは40Gの重力にも耐えることができる魔法瓶。JAXAの要請で2カ月という短期間で開発したという
マラソン給水用ステンレスボトル。2004年のアテネオリンピックで野口みずき選手がこれを使用し金メダルを獲得した
まほうびん技術 発想と開発の系譜
魔法瓶の誕生は、1892年のデュワー瓶が始まり
デュワー瓶を作ったジェームズ・デュワー氏
1911年に生産された米国製の魔法瓶。当時はテルモス瓶と呼ばれた
日本で販売された大正時代の様々な形の魔法瓶
魔法瓶の広告。日本で魔法瓶を作ったのは1912年の電球の専門家である八木亭二郎氏が最初だという
戦後初の卓上魔法瓶「ポットペリカン」。頭部の形がペリカンに似ていることから名づけられた
ソーダガラスを使用して、携帯型の新機軸を打ち出した「ボトルA型」。1958年に発売
初めて樹脂を採用し、デザイン性を重視した「スーパーポットS型」。1956年に発売
傾けるだけでお湯を注ぐことができるオートフラップ機能を搭載した「ハイポットZ型」。1963年の発売
1967年に、花柄ブームに乗って、卓上用魔法瓶にも相次いで花柄が採用された。これはナショナル魔法瓶工業のエヴェレストアートヂャックART型
エアー式の卓上魔法瓶によって、指一本でお湯を注ぐことができるようになった
国産初のオールステンレス魔法瓶「アクト・ステンレスポットAF型」(右)は、1978年に日本酸素(のちのサーモス)が発売。象印は3年後に「タフボーイSTA型」(左)を発売した
パスカルの原理を応用して残量チェックを可能にした「みェ~るポット」シリーズ。1983年の発売
純金メッキやアルミダイキャストを採用した高級モデル「OLEZZO」。1991年の発売
まほうびん業界の歴史
「まほうびん業界の歴史」コーナーでは、魔法瓶メーカー各社を紹介。ユニークな名称の企業名やブランドに驚く
また、魔法瓶業界の発展に寄与した人たちを紹介している
1913年頃の星印の魔法瓶
1922年頃の鬼印の魔法瓶
1910年代の中西魔法器製造所の魔法瓶。ウサギのマークがついていた
1923年頃のタイガー魔法瓶の魔法瓶
鬼マホービン
グロリアマホービン
象印マホービン
タイガー魔法瓶
ピーコック魔法瓶
ナショナル魔法瓶。パナソニック(旧松下電器)とは関係がない
ヨット魔法瓶
堀マホー瓶
イーグルマホー瓶
エンゼルマホービン
キャッスル魔法壜
クラウン魔法瓶
日本魔法瓶
サンキング魔法瓶
ドラゴン魔法瓶
ミリオン魔法瓶
松永金属
ダイヤ魔法瓶工業
五世製作所
タケフジ産業
ディック家庭機器
東新プレス
オルゴ
サーモス
セブン・セブン
不二製作所

大河原 克行