大河原克行の白物家電 業界展望

イノベーションの量産化に向け、シリコンバレーで動き始めたパナソニックの変革

 パナソニックが、2017年4月1日に、ビジネスイノベーション本部を新設してから、ちょうど1年を迎えようとしている。これはスタートアップ企業のようなデジタルネイティブビジネスの構築を目指す組織であるとともに、パナソニックが持つ既存のビジネスの再成長にも取り組み、次の100年を牽引する役割を担うという。そのために、シリコンバレー流のデザインシンキングの手法などを導入。「ヨコパナ(横のパナソニック)」によるクロスバリューイノベーションを推進することになる。

 その中核となるのが「Panasonic β」であり、具体的な取り組みとして、HOME Xを推進しているところだ。

 Panasonic βの中心人物が、SAPジャパンのバイス チーフイノベーションオフィサーなどを務め、2017年4月にパナソニック入りすると同時に、ビジネスイノベーション本部の副本部長に就いた馬場渉氏だ。本拠をシリコンバレーに置き、Panasonic βを推進する馬場氏は、2018年4月1月付で、ビジネスイノベーション本部長に昇格する予定だ。

 シリコンバレーの現地を訪れ、Panasonic βの取り組みを追った。

パナソニック ビジネスイノベーション本部 馬場渉副本部長

 米西海岸のシリコンバレーで、最近注目を集めているのが、巨大な円形状のデザインが特徴の米アップル本社だ。アップルパークと呼ばれるこの建物の目の前に、パナソニックのビジネスイノベーション本部が入る建屋がある。4階建てのこの建物は、シリコンバレーのなかでも小さな部類のもの。隣接するアップルの観光客向けのビジターセンターよりもはるかに規模が小さい。

Panasonic βを推進する拠点となるシリコンバレーのオフィス
道の反対側にアップルパークがある。パナソニックのロビーから見た様子
アップルパークは円形のユニークな構造。ビジターセンターではARを利用して構造を見ることができる

 「門真に行けば、街中がパナソニック。だが、シリコンバレーは、パナソニックにとってはアウェーで、ポツンとあるだけ。クパチーノは街中がアップル、マウンテンビューはGoogleの街、メンローパークはFacebookの街であり、それらの企業がシリコンバレーを本拠にしている」と、パナソニック ビジネスイノベーション本部の馬場渉副本部長は語る。そして、時価総額で世界1位となるアップルの本社を毎日眺めながら、「パナソニックが目指すのは、世界一の奪還である」と高い目標を掲げる。

シリコンバレーには多くの先進企業が進出している
ビジネスイノベーション本部のオフィスの様子を説明する馬場氏

 「iPhoneが登場したのが2007年。そこから、わずか10年でアップルは、世界一の会社に駆け上がった。その会社が目の前にある。私はまだ40歳。これからの10年、20年を考えれば、パナソニックが世界一の企業になることは夢ではない」

 馬場氏は、2017年3月31日まで、ドイツに本社を持つERPベンダーのSAPに勤務。独SAP AGチーフデザインオフィサー室カスタマエクスペリエンス担当や、SAP SEのバイスプレジデントおよびSAPグローバルデザイン部門のデザインシンキング担当などを歴任。シリコンバレーの中核であるパロアルトの同社オフィスで働いていた。4月1日にパナソニックに入社し、大阪府門真市で行われた入社式のために、4月3日に一時帰国。4月13日に、シリコンバレーのオフィスに初めて出社した。

 その頃は、まだアップルパークが完成していない時期であり、完成までの様子を目の当たりにしながら、馬場氏はパナソニックでの新たなキャリアをスタートさせた。もともとは、パナソニックが開発していたゲーム機「Jungle」の開発を行なっていた部屋であり、空き部屋になっていたところを転用。馬場氏を含めて3人でスタートしたビジネスイノベーション本部のシリコンバレーオフィスは、それ以来、常にポップな音楽が流れている。

 「世界ナンバーワンの企業が目の前にある。iPhoneの発売時には、多くの人がビジターセンターに並んで、商品を購入しているシーンも見た。パナソニックがアップルのような世界ナンバーワンの会社になるには、これまでのビジネスモデル、ブランドイメージ、社風を、次の100年に向けて再生しない限り成し得ない。それに取り組むのがビジネスイノベーション本部である」と自らの役割を示す。

事業部の枠を越えて連携する「ヨコパナ」を具体化

 馬場氏は、パナソニック入りして以降、「タテパナ」と「ヨコパナ」という表現を用いている。

 月に平均2回、日本に戻り、経営会議などに参加している馬場氏が、2017年6月2日に、大阪府吹田市のパナソニックスタジアム吹田で開催した全社規模の会議で打ち出したのがこの言葉であった。

 タテパナとは、従来からの製品事業部制によるビジネスモデルを指し、ヨコパナとは、事業部の枠を越えて連携するクロスバリューイノベーションを実現するビジネスモデルのことを指す。そして、それを具体化する取り組みがPanasonic βになる。

パナソニックはタテパナに加えて、ヨコパナに取り組む
ヨコパナを次の100年に向けたアーキテクチャーに位置づける

 馬場氏は「Panasonic βでは、ミニヨコパナの実現を目指し、イノベーションを量産化するマザー工場に位置づける」という。

 「Panasonic βで取り組んでいるのは、ちょっと業績が良くなるとか、利益を回復させるというものではない。世界一になるにはどうするかということが最重要テーマ。タテパナは、売り上げ成長や利益回復を実現することはできるが、世界一を獲ろうとしたらタテパナの延長線上だけでは成し得ない。ヨコパナが加わらなくてはならない」

 そしてヨコパナは、いまのパナソニックだからこそ必要な取り組みだと、馬場氏は断言する。つまり、ソニーやGE、アップルにとって、「ヨコソニー」や「ヨコGE」、「ヨコアップル」は必要がないというわけだ。

 「会社ごとに本質的な課題が異なり、会社が置かれた環境やタイミングによっても課題は変化する。ソニーは、いままでのビジネスモデルを維持しながら、新規事業や新規製品を出していくことが大切であり、自由闊達な風土のもとで、現場からヒット商品が生まれてくることが世界一になる手段。GEは、伝統的なインダストリーカンパニーであり、そこにデジタルネイティブ企業と呼ばれる競合が多数生まれる環境にあり、同時に、GEにとっても、デジタルを活用したビジネスオポチュニティが増加している。そのなかで、デジタル変革への投資が大切であった」

 このように前置きしたうえで、次のように話す。

 「パナソニックのビジネスイノベーションには何が必要なのか。パナソニックにとって、解かなくてはならない課題はなにか。その回答は、ソニーのように、新規事業や新たな製品を作るだけでは不十分であるということ。メインストリームの事業において、ビジネスモデルやブランドイメージを変え、社風も変えなくては、次の100年において、世界ナンバーワンの企業にはなれない。根本的な課題は、100年間に渡って積み重ねてきたものが、時代遅れとなり、賞味期限切れになっているということである。新規事業を作りながら、既存の事業を再生することが大切になる」

 海外企業の場合には、大胆な買収戦略や積極的な外部人材の登用という荒療治によって、会社を作り替えるケースが多い。IBMはその最たる例だろう。

 しかし、「パナソニックは、人材の流動が激しい会社ではない。そのため、むやみに企業を買収したり、外部から人を積極的に採用したりといった手法で、新たな事業を立ち上げればいいわけではない。それは理解している。会社を変えるのは、買収などのやり方のほうが早いのは確かだが、パナソニックの症状にあわせた処方箋でやる必要がある」とも話す。

Panasonic βのプロセス

 馬場氏は、SAP時代にシリコンバレーのオフィスで、世界トップ30社だけを対象に仕事する組織に所属していたことがある。その時に、デザインシンキングの手法を取り入れて、企業の変革を支援してきた。

 デザインシンキングとは、デザイナーの発想や考え方、プロセスなどの手法を取り入れて、課題解決などを図るものであり、顧客視点に基づいたモノづくりなどにも活用される。馬場氏は、「シリコンバレーにおいては共通言語」と、デザインシンキングを表現する。

 もともとSAPの創業者の一人であるハッソ・プラットナー氏がデザインシンキングの手法をいち早く導入。それによって、モノづくり変革だけでなく、企業自らを変革してきた経緯がある。

 当初、デザインシンキングは、新たな製品やサービスを作るうえでは機能するが、企業変革に用いるには難易度が高いとも言われていた。しかし、ハッソ氏が私財を投資し、スタンフォード大学に「d.school」を設立。組織心理学などを組み合わせることで、デザインシンキングを企業変革に用いることができるようになった。これを、「デザインシンキング2.0」と呼ぶこともある。

 「デザインシンキングの最先端企業であるSAPにおいて、それを担当する組織にいた経験をベースに、パナソニック流のデザインシンキング手法を用いている。基本的には、フレームワークの8割が一緒であるが、残りの2割が、パナソニックが置かれている立場やタイミング、あるいはパナソニックのリーダーの資質によって変えている。そして、26万人という社員全体に、これを適用するという規模の取り組みは、初めてのことになるだろう」と語る。

「パナソニック世界一奪還」の資料を取り出す馬場氏

 馬場氏は、「パナソニックが世界ナンバーワンの企業になるには、パナソニックがデザインシンカーになることが必須条件だ」とする。

 そして、こうも語る。

 「デザインシンキングの手法を用いてプロダクトを開発することはすぐにできるだろう。ユーザーオリエンテッドな製品を開発したり、アジャイルな開発によってスピード感が出たりといった成果が上がり、製品やビジネスプロジェクトをまともな事業に育てていくこともできるだろう。だが、パナソニックにとっては、こうしたことが大事ではなく、デザインシンキングをパナソニックの共通言語として活用することができるレベルになることが大切。つまり、パナソニックという会社がデザインシンカーになることに意味がある。1人の社員がデザインシンカーになったとしても、その効果は限定的なものでしかない。パナソニックという法人全体が、デザインシンキングというマインドセットを持つことで、大きなパワーになる」

 また、パナソニックがデザインシンカーになることは、ユーザーへの共感度を高めることにもつながる。

 「デザインシンキングによって、私の悩みや喜びをわかってくれる会社だ、という共感性を生むこともできる」

 いまのパナソニックは、共感性が高い会社ではないと馬場氏は指摘する。デザインシンキングは、その体質も変えることができるというわけだ。

パナソニックがデザインシンカーになるために必要なこと

 デザインシンキングを社内に浸透させるのは、2つの要素が必要だと馬場氏は語る。

 ひとつは経営トップの理解である。

 「日本の企業がデザインシンキングをやる際に決定的に欠けているのが、経営者が理解していないという点。経営者が、デザインのパワーを知らずに、現場でデザインシンキングを実行しても、なにも変わらないし、効果を得ようとしても時間がかかる。私が、パナソニックにおいて、デザインシンキングを浸透させるうえで最も重視したのは、デザインシンキングに対する経営層の理解。この1年でずいぶん変化したと判断している」

 たとえば、新たなプロジェクトを開始する際に、複数の事業部から社員を派遣する場合、エース級の人材は現業に支障が出るという理由で派遣しないといったことが起きがちだ。

 しかし、Panasonic βの推進においては、シリコンバレーのオフィスにエース級の優秀な人材を派遣することを前提とした。これは経営トップの理解が得られているからこそ、実現するものだ。

 2017年4月10日に行われたパナソニックのグループ戦略会議において、津賀一宏社長以下の経営幹部が、クロスバリューイノベーション戦略に関する意見を、小さな紙に手書きした。この紙は、会議の席上、馬場氏が配布したものであり、それがいまでもシリコンバレーのオフィスに掲示されている。ここでは、パナソニックの経営トップがデザインシンキングによる取り組みについて、コミットしていることが示されている。

 「『俺だってデジタルネイティブなビジネスをやりたい』というエスタブリッシュな会社はある。だが、実際には失うものを恐れて何もできなかったり、中途半端にしかできなかったりといった、イノベータージレンマがある。このとき、最も損をするのは顧客である。一番業界のことを知っている会社に、最先端のデジタル技術を使って、価値を提供してほしいと顧客が考えているのに、それができていない。その隙間に、デジタルネイティブのスタートアップ企業が入ってくるという構図が、いくつもの産業で見られている。産業によっては、こうしたスタートアップ企業が破壊していくこともあるが、多くの場合、これらの企業が及ぼす社会インパクトは小さい。大きな影響力を持つ企業こそ、デジタルネイティブのビジネスを創出すべきである。

 パナソニックは、住宅用照明スイッチで8割以上のシェアを持つ。照明スイッチの未来は誰が作るのか。それはパナソニックが最も適している。しかも、数多くのデジタル技術も有している。だが、仮に、既存の事業が縮小することを恐れて、変革に挑まないままでいるという判断を下したならば、損をするのはパナソニックではなく、顧客であるということを我々は理解しなくてはならない。顧客は、デジタルネイティブによる新たなサービスが欲しいと考えている。そこに、Panasonic βがある。他社に壊されるぐらいならば、自分で壊した方がいい。Panasonic βは、パナソニックの事業を破壊的に創造するものになればいいと考えている」

 馬場氏が話すように、いまのパナソニックの経営トップにはこうした意識が浸透しているという。

 もうひとつは、実際にデザインシンキングを自ら体験することだ。

 「デザインシンキングには、モデルが存在しており、それを座学で説明することはできる。だが、それだけでは本当の意味でのデザインシンキングの手法が身につかない。教科書を読むだけではダメな世界がデザインシンキング。トレーニングをしても3〜5年はかかるが、体験して覚えるしかない。身体に染みてくることが必要である」

 そして、デザインシンキングを実践する場が、Panasonic βということになる。

「デジタルネイティブ企業のようにゼロからプロジェクトを立ち上げる」

 Panasonic βには、2つの役割があるという。そのひとつめが、「デジタルネイティブビジネスの構築」である。

 「デジタルネイティブ」とは、クラウドやビッグデータ、AI、モバイルなどのデジタル技術を活用し、新たなビジネスを創出する企業のことを指す。

 たとえば、Uberのように、タクシーを1台も持たない企業が、デジタル技術を活用し、タクシー業界に新たなサービスを生み、既存の産業を破壊するようなケースが、デジタルネイティブ企業の成功ケースだ。

 これと混同して捉えられるのが、デジタルトランスフォーメーションである。

 デジタルトランスフォーメーションとは、既存の事業ややり方を、デジタルによって変えていくものになる。GEのビジネス変革の例は、デジタルトランスフォーメーションということになろう。

 ちょっと話は遠回りになるが、馬場氏が興味深い資料を提示してみせたことに触れておきたい。

 それは、企業の年齢を記した一覧だ。

主要各社の年齢を示す。20代以下がデジタルネイティブ企業

 パナソニックは、今年で創業100年を迎えた。これを人間と同じ100歳という表現をしてみる。IBMは107歳、日立製作所は108歳、GEは126歳となる。また、ディズニーは95歳、トヨタは81歳、HPは79歳、ソニーは72歳だ。こうした企業にとっては、デジタルトランスフォーメーションの取り組みが軸となる。そして、50歳のインテル、43年のマイクロソフト、42歳のアップルは、デジタルトランスフォーメーションとともに、デジタルネイティブのビジネスを創出して、成長を続けている。アップルはその最たる例だろう。

 一方で、20代となるのが、Amazon、Google、Netflixなどである。Alibabaやセールスフォース・ドットコムも19歳であり、人間に例えれば、大学生であったり、大学を卒業したりといった若さがある。世の中も理解しており、それらの企業がデジタルネイティブ企業として躍進しているところだ。さらに、中学生ぐらいの10代前半には、Tesla、Facebook、Twitterなど、小学生の年齢には、9歳のUberや、8歳のXiaomiがおり、これらの企業はデジタルネイティブ企業として、その年齢相応に、少しやんちゃなことをしている印象が強い。

 「デジタルネイティブ企業は20代くらいまでで、それ以上の年齢の会社はデジタルトランスフォーメーションをしようとしている。だが、30代を超えた企業は、デジタルトランスフォーメーションだけではなく、デジタルネイティブがこれから大切になってくる。アップルは、デジタルネイティブとデジタルトランスフォーメーションを両立した会社である。そうした変化をPanasonic βでやりたい。Panasonic βでやろうとしているのは、いまの家電や住設を、デジタルトランスフォームするのではなく、デジタルネイティブな企業と同じように、ゼロからプロジェクトを立ち上げるということ。更地からビジネスを作っていくことになる」

パナソニックが掲げる住空間事業を具現化する「HOME X」

 先述したデジタルネイティブビジネスの具体的な取り組みが、「HOME X」だ。

 HOME Xは、ホームエクスペリエンスを語源としており、パナソニックの家電や住設、住宅を組み合わせ、ソフトウェア主導型で、未来の住空間環境に向けたサービスを提供するものになる。パナソニックが最近、住宅事業でも住設事業でも家電事業でもない、「住空間事業」という言葉を使い始めているが、それを具現化するのが、HOME Xというわけだ。

 馬場氏は、「タテパナの延長線上には、HOME Xや住空間事業は存在しない。HOME Xは、ヨコパナを実現するための牽引役になる。住設、住宅、建材、家電などの10数個の事業部がつながるヨコパナが実現しないと、住空間事業は成功しないと考えている」とする。

 だが、一方で、HOME Xの位置づけを次のように語る。

 「パナソニックには、現在、35の事業部があるが、HOME Xは、36個目の事業部や、37個目の事業部を目指すものではない。あるいは、パナソニックは4つのカンパニーがあるが、5個目のカンパニーを作るものでもない。タテのものを、ヨコにするのが狙いである。だが、ヨコパナといっても、それを牽引するプロジェクトがないとわかりにくい。理屈や概念では会社は変わらない。だからこそ、事業やプロダクトという形で開発を進めている」

 馬場氏がHOME Xを推進する上で注意しているのは、「日本から離れたシリコンバレーという“離島”にいる人材だけで、プロジェクトをやっても意味がない」という点だ。

 「家電や住設、住宅事業に関わっているデザイナーやハードウェア開発者、ソフトウェア開発者を巻き込み、一緒になって取り組まなくては意味がない。そうしなければ、36個目の事業部になったり、5個目のカンパニーになったりする可能性がある。あくまでも既存事業の人たちが入り、現場の社員が入るものでなくてはならない」と話す。

 HOME Xについては、その詳細を明らかにしていないが、パナソニックの津賀一宏社長は、「いまはベールに包んでいるが、HOME Xでなにをやるのか、なにがHOME Xなのか、そして、単品の家電になにを付加すれば、HOME Xたる家電になるのか、といったことは明確になっている」としている。

 ビジネスイノベーション本部では、すでに、シリコンバレーにマンションを借りて、HOME Xの実装を開始したり、新たに家を購入して「The β House」と名付け、そこに住みながら、暮らしを変えていく検証を進めたりしていることを明かす。

 「これまでは、IoT化した照明や玄関システム、AIなどを賃貸マンションにインストールしてきたが、賃貸のマンションでは、壁などを壊すことができないという課題があった。新たに購入した家ならば、壊すこともできる。いよいよ家そのものを作っていくフェーズに入ることになる。

 The β Houseでは、スタートアップ企業の起業家や、大学教授などに住んでもらったり、我々が参加したりすることで検証を行なう予定である。10人ぐらいが泊まれる環境も用意されている」と馬場氏は話す。

 ここでは、人々の生活を観察し、住空間のなかでの暮らしがより良くなるように、プロトタイプを作り、すぐに提案し、フィードバックを受け、改善するという作業を繰り返し行なう。ユーザーの観察によって、ユーザーの本質的な課題を解決するというプロセスを踏むのは、まさにデザインシンキングの手法だ。

HOME Xを実践するための家を購入した。The β Houseと呼ぶ

 HOME Xの具体的なプロセスは次のようになる。

 まずは、多くのアイデアを集め、そのなかから優れたアイデアを、デザイナーが15秒や30秒、あるいは2分30秒程度のムービーにまとめる形で制作。アイデアが実装された際には、どうなるのかといったことを視覚的に情報として共有する。これを社内のコミュニケーションツール上に掲載し、反応を見ることになる。

 反応が良かったものを、ソフトウェアプロトタイプとして開発し、実装する作業に入る。ここでは、iPhoneに搭載しているセンサーを活用するなど、既存のデバイスなどを使用し、どんなことができるかを検証することになる。

 そしてソフトウェアプロトタイプでの検証が終わると、次にハードウェアプロトタイプの開発に進む。ハードウェアエンジニアが、モーターや回路などを実装したり、センサーなどを付けたりして、ハードウェアを通じた検証をすることになるという。

 ここでは2つのポイントがある。

 ひとつは、デザイナー、ソフトウェアエンジニア、ハードウェアエンジニアが、ひとつのチームにいるということだ。HOME Xのチームには、様々なカンパニーから、データサイエンティストやAIエンジニア、ロボットエンジニア、建築士、照明デザイナーなどの職能を持った人材が集まっているという。

 「大企業のやり方では、企画案をムービー化してもらうために会議をして、説明をして、デザイナーのリソースを確保するために膨大な資料を作ることになる。ハードウェアエンジニアが、ソフトウェアエンジニアの力を借りたいといった場合には、高度な分業制が発達しているため、別の部門に調整依頼をかけるという仕事が発生する。ましてや、カンパニーや事業部を超えた調整が発生する場合には、それぞれが独立採算性をベースにしているため、気軽に相談するのではなく、カンパニー内でしっかりと方針を決めてから相談することになる。それだけでも時間とリソースがかかる。ヨコパナによって、様々な職能を持った社員で構成するため、この課題を解決できる」

 まず、デザイナーの存在が大きな意味を持っている点が見逃せない。

 「アイデアを見ただけで、ソフトウェアエンジニアがプロトタイプを作れるという例はほとんどない。デサイナーがいて、ムービーを作ることで、それを見たソフトウェアエンジニアがプロトタイプを完成させることができる」というわけだ。

 もうひとつは、ムービー化やソフトウェアプロトタイプの開発が、結果として、プロジェクトの推進を加速することになっているという点だ。

 「もともとパナソニックはハードウェアの会社であり、ハードウェアプロトタイプという発想しかなかった。ここに到達するには、多くのことを決定してからでないと進めない。結果としてスピードが遅くなる。しかしHOME Xでは、グっときたアイデアをすぐにソフトウェア実装し、共感を生むことができたシナリオだけを次のステップに進めることができる。顧客視点で検証ができ、つまらないものに早く気がついて、すぐに切り落とすことができる。最初からユーザーを巻き込んだ形で検証しているため、世の中に出したときにユーザーの共感を得られなかったということがないプロセスになる」と馬場氏は語る。

 HOME X では、わずか1カ月、2カ月前にアイデアとして議論していたものが、実際に家を建てて、実装して、検証を行なえるスピード感を実現している。

 実際、HOME Xに向けては、1,293個のアイデアが創出され、そのうち81個のソフトウェアプロトタイプを作り、それをハードウェアプロトタイプでは31個に絞り込み、3つの住空間プロトタイプとして検証を始めているという。

 「HOME Xは、7月からスタートし、11月までの5カ月間で、3つの住空間プロトタイプを作ることができた。アイデアが体感できるようになるまでのスピードが飛躍的に高まっている。私が知る限り、こんなにスピードが速い会社はなく、シリコンバレーのスタートアップ企業よりも速い」と、住空間で住む居住者に対して、パナソニックがデザインシンカーになることを示すことができる成果だと自信をみせる。

 だが、課題についても指摘する。

 「アイデアをリアルに体験できるところまではできているが、家電や家、設備というモノをつくるところには、まだインパクトしていない」

 短期間でプロトタイプ化し、検証を行うまでのスピード感は実証したものの、商品化までに至っていない点が課題というわけだ。

 この課題を解決するためには、従来のパナソニックの発想を、さらに変える必要がある。

 たとえば、製品化する際に、100個や1,000個といった数量では、大手メーカーであるパナソニックが生産する量としては少ない。何万、何10万、何100万というロットで作らないと原価が合わなかったり、パナソニックとして、事業を行なう意味がなかったりという判断が働くことになるからだ。

 「ユーザーに受けるかどうかわからないが、とりあえず100個や1000個を作ってみて、世に出してみる。しかも、それがプロトタイプではなく、値段がついて、店頭に並ぶ形で、使える商品を作ることが必要である。そのためには、それだけの数量の製品を作る製造部門を、Panasonic βのなかにつくる必要もあるだろう。だが、これが回り出すと、アイデアが出て、体験ができて、モノが作られて、世の中に出すというところまでのスピードを速めることができる」

 製品化という出口までの体制を、Panasonic βとして整備することが、直近の課題というわけだ。

「Panasonic βは積極的に技術や製品を世に出すホワイトホール」

 「パナソニックは、やることを決めて、トップダウンでドカンとやるときには、強い力を発揮する会社である。これでいくぞと決めたときの動き方はすごい。それがパナソニックの企業カルチャーである。これとは違う文化を作りたい」とする。

 そこで馬場氏は、「ホワイトホール」という言葉を使ってみせる。

 「大企業は、様々な理由から、いろいろなものがブラックホールのなかに吸い込まれていくことが多い。そのために、世に出ない技術や製品も多い。ホワイトホールは、それとは逆に、技術や製品が世の中に出て行く流れとして作ったもので、科学的にはない言葉。Panasonic βは、ホワイトホールと呼ぶに相応しい、アジャイルなハードウェアスタートアップの考え方を導入するものになる」と語る。

 そして、Panasonic βのもうひとつの役割が、「メインストリームビジネスの再構築」である。これは先に触れたデジタルトランスフォーメーションに属するものだ。

 馬場氏は、「新規事業が10個も100個も生まれても、パナソニックの事業規模から見れば影響力は少ない。たとえば、100億円の事業が10個生まれても1000億円の規模であり、全社から見ても80分の1でしかない」としながら、「これまでの家電製品のくくりのなかで、ヒット商品を出すだけでは意味がない。家電や住設、住宅を組み合わせた住空間という新たなセグメントをつくり、『これが、パナソニックが言っている住空間である』ということを示しながら、そこにおいて、既存事業での再成長を促したい」とする。

 これは、デジタルネイティブであるHOME Xが成功したのちの、Panasonic βが役割ということになる。

「パナソニックの変革には、3つのPを変える必要がある」

 Panasonic βは、なぜシリコンバレーという地に拠点を置いているのか。

 馬場氏は、「ヨコパナの実現には、テクノロジーとカルチャー、ファイナンスという3つの要素がある。このなかで、カルチャーを変えるという意味で、シリコンバレーという場所は重要である」とする。

 「経営コンサルタントである大前研一氏は、人間の性格を変えるには、会う人を変え、時間の使い方を変えて、住む場所を変える、という3つの変化が必要だとしている。つまり、ピープル、プロセス、プレイスの3つのPが、変化には必要であると言い換えることができる。国の文化を構成する要素も同じで、人種や民族の構成というピープル、習慣というプロセス、そして気候などのプレイスによって変わる。そして企業も、この3つをうまく組み合わせると変わることができる。パナソニックという法人がデザインシンカーになるには、法人としての性格を変える必要がある。そのためには、場所を変えることは重要な要素になる」

 世界一の企業であるアップルの本社を見ながら仕事をすることも大きな刺激になるだろう。また、世界中からシリコンバレーに集まる優秀な人材との交流もプラス要素になるはずだ。

オフィスから道を挟んだところにアップルパークがある
説明する馬場氏の後ろにはアップルパークが見える

 なお、パナソニックは、2017年に、データサイエンティストなどが参加するARIMO(アリモ)という会社を買収しており、Panasonic βではこの組織とも連携する。

 「ARIMOには、Googleのバイスプレジデントをやっていたり、Facebookに自分の事業を数100億円で売却したり、Amazonのゼネラルマネージャーや、イーベイでショッピングAPIを作った人物など、超一流のタレントたちがいる。これは、樋口さん(=前日本マイクロソフト会長であった、パナソニックの樋口泰行代表取締役専務)や、私などとは比べ物にならないほどのトップタレントを外部から招聘したともいえる。そうした人物と一緒に仕事ができる。私が知る限り、日本でこれだけのトップタレントと仕事をしている企業はない。こうしたタレントプールを活用できることが、シリコンバレーにいるメリットでもある」とする。

 ただ、こうも語る。

 「場所をシリコンバレーに置いただけでは、法人としての性格は変えられない。同時に、ピープル、プロセスも変えなくてはならない。また、ピープルやプロセスを変えても、従来と同じプレイスでやっていてはワークしない。この3つを同時に進めることが必要である」

 実際、シリコンバレーでPanasonic βに参加した社員からは次のような声があがっているという。

 「ヨコパナと聞いただけで、事前の調整などに多くの時間が割かれてしまうのではないかと考えていたが、それがここではないことに驚いた」

 「いままでは説明のための膨大な資料や、数々の打ち合わせが必要であり、そこで企画が承認され、ようやく実行することになっていた。だが、いまは作ってから考えるということができるようになった」

 「上司ファースト、関連部署ファーストから、ユーザーファーストになった」

 「所属部門で扱う商品は、自社商品、自社商材に限定されていた思考から解放された」

 「失敗の許容が生まれた。否定ではなく、どうすれば実現できるかを考えるようになった」

 「最速で物事を進めるための健全なプロセスを考えるようになったこと、ユーザー視点で検討することになった」

 などといった声だ。

 Panasonic βの「β」には、「不完全に対する許容」の意味が含まれるとともに、「パーフェクトを目指すのではなく、とにかくやってみた方がいいという考え方がベースにある」と馬場氏。また、ずっとβであり、それによって改善を続けるという考え方も含まれるという。

 「これは、品質を度外視するとか、粗悪なものでもいいという考え方ではない。シリコンバレーでは一般的な考え方。たとえば、Perpetual betaを標榜しているGoogleの場合、決して粗悪なサービスを提供しているとは誰も思わない。クオリティを高めるやり方が異なるだけであり、改善し続けると最高のものが提供できるという手法である」と話す。

 このように、シリコンバレー流のデザインシンキングや、それによって実現するアジャイル型ビジネスモデルの創出が、Panasonic βによって始まっているというわけだ。

 「パナソニックのある幹部からは、『アジャイル開発は当たり前であり、すでにやっている。パナソニックβの取り組みを見なくてもいい』という声があった。だが、Panasonic βを見たことがある部門長に、『本当のアジャイル開発は違う、日本ではアジャイル開発はやれていない』と進言した。その結果、シリコンバレーでの取り組みを見てもらい、日本でやっていることとはまったく違うことを感じてもらった」とも。

今後はイノベーションの量産化を目指す

 馬場氏は、「ビジネスイノベーション本部は、イノベーションを量産化するマザー工場を目指す」という。「イノベーションの量産」という言葉はあまり聞き慣れない言葉である。これはどういう意味なのだろうか。

 「パナソニックは、松下幸之助創業者によって、民間企業で初めてモノづくりの量産化を支える『生産技術』に取り組み、この基礎となるシステムを作った。生産技術とは、設計が意図する価値を、具現化する手段であるとともに、高度な技能を汎用性がある手段に変更することである。これが他の産業にも影響を与え、日本のモノづくり産業が強くなった経緯がある。

 さらに、パナソニックは、最終製品を作るモノづくりだけではなく、モノづくりのための生産設備もつくり、量産するためのメソッド(方法論)も開発した。パナソニックは、全世界に300もの工場を持つが、どの工場で、どんなものを作っても、素晴らしいクオリティと低コスト、安定した納期を実現している。これは属人性によって実現したものではなく、生産技術というメソッドが社内に作られたからである。

 だが、イノベーションを作るところは、属人的であるというのが通常の企業のケースである。パナソニックが取り組んでいるイノベーションの量産技術というのは、かつての生産技術のように、メソッドを作ることで実現できると考えている。300個の工場でなにを作っても高い品質でモノづくりができるように、パナソニックのどんな事業でもイノベーションが生まれてくる。これがイノベーション技術の量産になる」

 生産技術の確立では、メソッドや設備の開発と、生産する技能者を育てるという2つのことに取り組んできた。Panasonic βでも同様に、イノベーションを生み出す仕組みの開発と、イノベーターの育成の2つに取り組むことになるという。

パナソニックは生産技術によって高い品質での量産を可能にした
今後パナソニックはイノベーションの量産化に挑む

 ヨコパナによるイノベーションを全社展開するまでに、3つのステップがあると馬場氏は話す。

 最初のステップは、HOME Xを推進することだ。

 「最初に、仕組みの話をしてもピンとこない。時間もかかる。パナソニック用語でいうと『手触り感がない』という表現になる。そこで、一度汎用性を無視して、まずはHOME Xというひとつの領域に特化したやり方で走ることになる。ただし、これはプロトタイプを作るものではなく、実際のプロダクトやサービスとして提供し、ビジネスとして収益を出し、ユーザーに喜んでもらわなくてはならない。そうしなければ、Panasonic βによるモデルがワークすると思ってもらえない」

 HOME Xによる成果をもとにした次のステップは、汎用化である。

 「Panasonic βを抽象化するために、Energy XやMobility Xといった提案を始める。これらは、現時点では仮称にすぎないが、汎用性を高めていく。これは生産技術を横展開していったのと同じである」

 そして、最後のステップがイノベーションの量産化である。いくつかの成果をもとに、Panasonic βの手法をさらに広く展開。世界中のパナソニックの社員によって、イノベーションの量産化を図るというわけだ。

 HOME Xは、実演を持ってやり方を示す「Leading by Example」であり、Panasonic βは、仕組みやフレームワークによって牽引する「Leading by Design」の役割を担うと馬場氏は位置づける。

 「次の100年に向けて、Panasonic βを作り、その牽引役となるのがHOME X。エンドユーザーに対する価値を提供することになる」というわけだ。

 さらに馬場氏は、「パナソニックのような歴史がある大企業は、イノベーションを起こそうとすると歴史的な阻害要因がある。これを取り除かないと、実効性が生まれない。これを解く仕組みが、Panasonic βとなる。独立した新たな会社のような形で、デジタルネイティブビジネスを構築し、それをもとに、パナソニックのビジネスプロセスやビジネスモデルをデジタル変革していくことになる」と続ける。

 もちろん、25万人の社員を抱える大企業である。ヨコパナのやり方が広く浸透するまでには、まだ時間がかかる。しかし、創業100周年を迎えたパナソニックの変革が、Panasonic βとして、シリコンバレーを起点に動き始めている。

大河原 克行