パナソニックの理由(ワケ)あり家電~Panasonic 100th anniversary in 2018

モノではなく、価値・体験を売る。パナソニックのスマート焙煎機「The Roast」の挑戦

2018年3月に100周年を迎えるパナソニック。国内の家電市場においてシェア27.5%を獲得するなど、名実ともに日本トップの家電メーカーだ。この連載では、パナソニックのものづくりに注目。100周年を迎える中で、同社がどのような思考でものづくりを続けてきたのか、各製品担当者に迫る

 本体価格は10万円、操作はスマートフォンで行なう、あらかじめ契約した業者から定期的に生豆が送られてきて、その豆に最適な焙煎方法をプロがプロファイル、それに従って最適に豆を焙煎する。

 パナソニックが昨年発売した家庭用の焙煎機「The Roast」の話だ。

 その見た目や仕組み、価格、デザインに至るまで「家電製品」という枠にはとても収まらない。その狙いや経緯について話を聞いた。

パナソニックが昨年発売したスマート焙煎機「The Roast」。その価格やスマートフォンと連携した機能などに注目が集まった

新しい領域、新しいビジネスモデルを探す社長直轄の「事業開発センター」

 The Roastは、家電事業部とは異なる「事業開発センター」で開発、製造されたという経緯がある。事業開発センターは、「新規事業を創出せよ」というミッションのもと、社長直轄で立ち上げられた部署で、「パナソニック アプライアンス社の新規事業であること」それ以外にはなんの縛りも、ルールもないという。

 「通常の事業部ができないところに視点を持ち、新しい領域で新しいビジネスモデルを探していくというのが事業開発センターの目的です。特長は社長直轄で、スピーディーな意思決定が可能だということ、そして事業部を超えた横串の連携を取りながら事業を進めていくということです。事業開発センターは基本的に、『新規事業の開発に携わりたい』、と社内公募で手を挙げた人間が集まってきています。それぞれのバッググラウンドや得意なこと、やってきたことが違うので良い意味でのシナジーも生まれていると思います」(パナソニック アプライアンス社 カンパニー戦略本部 事業開発センター 事業企画部 部長 寺野真明氏)

パナソニック アプライアンス社 カンパニー戦略本部 事業開発センター 事業企画部 部長 寺野真明氏

 しかし、何もないところから事業を立ち上げるというのは、やはり並大抵の苦労ではないという。

 「千三(せんみつ)という言葉がありますが、実際に事業化までこぎ着けられるのは、1,000のアイディアがあるうちの3つもありません。しかし、事業開発センターは、社長直轄で、社長が納得してGOを出してくれれば、一気に進むというメリットもあります」(寺野氏)

 通常の事業部で製品開発を進める際は、度重なる稟議が必要になるが、事業開発センターではそれが必要ない。そのため、アイディアが具現化するまでの時間が短い。パナソニックが展開するサービス付き高齢者向け住宅に既に導入されている「見守りエアコン」(入居者の動きや睡眠状態、室温度をモニタリングできる)がすでに事業化されているほか、バス停のクールスポット化を目指した「グリーンエアコン」(極微細粒径を実現したドライ型ミストと、冷却効果を高めるエアカーテンを採用)も2018年度中の事業化が予定されている。

バス停のクールスポット化を目指した「グリーンエアコン」。極微細粒径を実現したドライ型ミストと、冷却効果を高めるエアカーテンを採用する
入居者の動きや睡眠状態、室温度をモニタリングできる「見守りエアコン」。現在は、サービス付き高齢者住宅などで導入されている

職人の手技を活かす、「三方良し」のビジネスモデル

 事業開発センターが近年、特に注力して取り組んできたのがモノとインターネットを繋ぐことで生まれる新たな価値を提案する「IoT」事業だ。

 「その中でも我々が着目したのが、食のサービス事業でした。近江職人の心得を表した『三方良し(さんぽうよし)』という言葉がありますよね。あれは『売り手良し、買い手良し、世間良し』の3つの良し、つまり売り手と買い手が満足し、社会貢献できるのが良い商売であるということを説いたものですが、我々の考え方も原点はそこです。つまり、社会にお役立ちするというところがまずないと、定着しない。今の日本の食文化はそこが失われているのではないかと。生産者の方に陽の目が当たらず、どんどん後継者が失われている。それでは良くない。職人の手技をしっかりとデジタルで残すなど、我々ができることはまだまだあると。ただ、ハードを提供するだけでなく、お客様とつながり続けることができ、価値を継続的に提供できるような仕組みを考えなくてはという使命を感じていました」(寺野氏)

 The Roast プロジェクト 事業リーダーの井伊達哉氏は、“食”というテーマの中で、議論を重ね最終的には「コーヒー」を選んだ理由について次のように話す。

The Roast プロジェクト 事業リーダーの井伊達哉氏

 「世界的にコーヒーがブームになっているという背景があり、調べ始めたのが最初でした。コーヒーの世界は知れば知るほど奥が深く、その中でもエンドユーザーにはあまり知られていない『焙煎』に注目しました。コーヒーが提供されるまでには、収穫、精製、焙煎、挽く、抽出という工程がありますが、中でも生豆とそれに応じた焙煎はコーヒーのおいしさの9割を決めるといわれるほど、重要な工程です。しかし、家庭用のコーヒーメーカーでできるのは、最後の抽出の部分、全自動のコーヒーメーカーでも挽くと抽出のところだけです。ここをいくら頑張っても、おいしいコーヒーというのは飲めないのではないか、もし、本格的な『焙煎』を家庭で楽しめるような製品があれば、コーヒーの新たな常識を作れるのではないか、というところから、The Roastの開発がスタートしました」(井伊氏)

パナソニックの常識をひっくり返す

 しかし、家庭用焙煎機というのは、事実上存在しない中で、開発チームは様々な壁にぶち当たっていく。まず焙煎前の生豆をどこで手に入れるのか、スーパーなどでは売っていない。また、焙煎のレシピは誰が考えるのか。生豆の焙煎は非常にデリケートな作業で、一定時間煎ればいいというものではない。そのときの室温、湿度、豆の状態、産地、さらには、どういう仕上がりにしたいのか。“職人”の知識が不可欠だった。さらにいうと、これまで作ったことがなく、ノウハウが全くない焙煎機をどう開発、生産していくかという問題もあった。

 「我々のプロジェクトの重要なミッションの1つが、スピーディーに進めるということです。そのため、これまでのパナソニックの常識をひっくり返してでも、問題に取り組んでいく必要がありました。それはすなわち、外の力を借りるということです。今回のプロジェクトはとにかく、プロの知識が不可欠であり、すでに知識をもっている方のノウハウをお借りするというのが一番の近道だという判断でした」(井伊氏)

 国内トップの家電メーカーとして、パナソニックは様々な事業を展開し、建材や照明、空調設備、そしてもちろん家電製品に至るまで全て自社の製品で揃えた「おうちまるごとパナソニック」を実現している。世界広しといえど、これほど多くの事業を扱うメーカーというのは珍しい。それほど“自前主義”にこだわってきたパナソニックだが、The Roastのプロジェクトでは、焙煎機本体はイギリスのベンチャー企業IKAWA社と提携、生豆の調達は知識のある石光商事にそれぞれ依頼した。家電メーカーでありながら、焙煎機の技術を他社に頼るということに関しては、社内で議論も起きた。

 「日本の品質基準を保つなど苦労もありましたが、海外の会社とオープンかつスピーディーに技術連携ができたというのは、我々にとっても良い経験になりました」(寺野氏)

生豆の調達は知識のある石光商事に依頼。世界各国で厳選された生豆が毎月送られてくる
焙煎技術はイギリスのベンチャー企業IKAWA社と提携。イチから製品開発をする必要がなくなった

 一方、もっとも苦労したのが焙煎、つまり“職人の持つ技術”のところだ。The Roastでは、世界で厳選された生豆が自宅に届き、プロのプロファイリングによる最適な焙煎を行なう。その生豆にあった最適なプロファイリングをしてくれる職人の存在が不可欠となる。

 「焙煎というのは、本当に匠の技術なので、人によっては自分の技を公開するということに、抵抗があります。色々な方にお声がけしていく中でダメで元々という気持ちでお話をさせていただいたのが、2013年『World Coffee Roasting Championship』で優勝した、豆香洞コーヒー 焙煎士 後藤直紀さんでした。後藤さんは、『技を継承していきたい』という我々のコンセプトに共感してくださいました。焙煎が定着していない現状で、間違った焙煎が広まるよりは、きちんとした焙煎のほうがいいという想いをお持ちで、長い目でみれば業界が盛り上がるとして、承諾してくださいました」(井伊氏)

 厳選した素材に、最適な技術、そして最高の技が揃ったことで、The Roastのプロジェクトは走り出した。本体価格は10万円で、購入者は定期的に生豆が届くプラン(有料)に入らなければならない。幅広い製品を扱うパナソニックといえども、前例のない取り組みだ。

 月に一度送られてくる生豆には、パッケージにQRコードが記載されている。そのコードを専用のアプリで読み取ると最適な焙煎プロファイルが表示される。スマートフォンと本体はBluetoothで連携し、焙煎プロファイルを本体に送信することで、焙煎がスタートする。本体にはミル機能や、ドリップ機能は搭載されておらず、いさぎよく「焙煎」に特化している。

The Roastの使い方。毎月送られてくる生豆には、焙煎プロファイルがデータ化されたQRコードが付いている。それをスマートフォンの専用アプリで読み取り、本体に送信。焙煎プロファイルに則って焙煎を行なう。その後の挽き工程や抽出工程に関しては、個人の好みに合わせて行なう

体験できないすごい価値、体験を提供

 このプロジェクトにおいて、焙煎士の後藤さんの存在が不可欠だった。

 「後藤さんと試作を重ねる中で、コーヒーの味は焙煎で決まるんだということを痛感しました。同じ豆であっても、焙煎によって味が全然違うんです。それは素人では再現できません。The Roastでは、同じ豆であっても、浅煎りや深煎りを選べるようになっています。使っていくうちに、朝は浅煎りで楽しんで、昼は深煎りをじっくりと飲むなど、自分のタイミングで楽しめるようになってきます。産地直送で送られてきた生豆を、自分好みに焙煎、直後の豆をすぐにミルで挽くと、コーヒーの香りが家中に広がります。これは、普通の家庭ではまず体験できないすごい価値、体験を提供していると自負しています」(井伊氏)

アプリでは後藤さんによる焙煎プロファイルを確認できる。写真は、後藤さんが分析したその豆の特性を表した画面。ボディや香り、苦み、酸味、後味など細かく分析されている

 そう、今回のプロジェクトにおいて、パナソニックはモノではなく、ユーザーにコト、つまり体験を届けようとしていた。そしてそのためには、その豆の持つストーリーを届けるということが求められた。

 「体験を届けるということを考えた時に、雰囲気や情報から価値が生まれるということを実感しました。焙煎士の後藤さんがどういった考えをお持ちの方で、どのようにプロファイルを決めているか、この豆はどういった場所で育って、どんな特徴があり、どういったシーンに合うのか、そういった情報をお客様にお届けすることで、より豊かなコーヒー体験をお届けできると思いました」(井伊氏)

 それはもはや家電メーカーの社員がする仕事ではない。

 どういったストーリーがユーザーの心を動かすのか、何度も議論を重ねた。そこで出た1つの答えが、毎月豆と共にユーザーに届けている「JOURNEY PAPER(ジャーニーペーパー)」という冊子だ。冊子には、その月届けられた豆が世界のどこで収穫されたか、どんな特徴があるのか、どんな処理をし、どんな精製をしたのかが全て書かれている。またその土地の文化や習慣、焙煎士後藤さんによる焙煎プロファイルの解説、石光商事の担当バイヤーによるその土地の印象を表したミニコラムなども用意され、まさに読み応え充分な一冊となっている。例えば、インドネシアのスマトラで収穫された「ベルベットモス」という豆のプロファイルはこうだ。

 「夜のイメージも強く、強いて言えばオーディオやシガーにこだわる、大人の男性向け。食事やお酒の後にバーで楽しむような、濃い一杯を淹れるにはうってつけです」(一部抜粋)

毎月生豆と一緒に送られてくる「JOURNEY PAPER(ジャーニーペーパー)」という冊子
冊子には、その月届けられた豆が世界のどこで収穫されたか、どんな特徴があるのか、どんな処理をし、どんな精製をしたのかが書かれている
インドネシアのスマトラで収穫された「ベルベットモス」という豆のプロファイル。濃い一杯で、シガーやオーディオと楽しむのにうってつけとある
監修しているのは、焙煎士の後藤さん。後藤さんが持つ知識が惜しげもなく披露されている

 プロの焙煎士によるこんなプロファイルがされているコーヒーを飲んだことがあるだろうか。The Roastがあれば、これまでに体験したことのない新たなコーヒー体験が自宅にいながらにして可能になる。

 「まだまだ色々模索をしている最中です。新しい生豆が届くと、後藤さんと一緒に8時間くらいかけてプロファイルを決めています。その現場で感じる熱というのはまだ伝え切れていないところもあります。ネットが発達した現代において、色々な物が手軽に購入できるようになりましたが、モノを購入しただけでは手にいれられない、体験もセットでお届けする。The Roastでは、そういうチャレンジをしています」(寺野氏)

次の100年のためのトライアルだと信じている

 一方で、新規事業ならではの苦労もあった。

 「新規事業というのは、ただ製品を作って終わりではないんです。特に今回のThe Roastでは、新しいことをたくさんしているので、大変でした。その1つが、新しい流通経路を作るということです。実は、The Roastはインターネットのみのダイレクト販売だけとさせていただいています。従来とは違う仕組みだったり、使い方、楽しみ方があり、それを店頭でお伝えするのが難しいという判断からです。そもそも、焙煎そのものを知らないお客様が多いので、そこの啓蒙活動からスタートしていかないといけない。そこで現在では、パナソニックセンターなどのショールームで試飲会を定期的に行なっています」(寺野氏)

 しかし、通常なら開発・製造に3~4年かかるところを、約2年で完成させた。

 「コーヒー業界の変化は早く、激しいです。オーダーが入ってから、1杯ごとにコーヒーをドリップするサードウェーブと呼ばれるコーヒーのトレンドがありましたが、それもすでに変化してきています。焙煎にフォーカスしているところがないうちに製品を発売したかったというのがありました。そこはなんとか、先陣を切れたかなと思っています。それは、社長直轄の部署であり、直接話ができたというところが大きいです。何度も本間社長の社長室に伺い、そこに製品を持ち込んでプレゼンをしました。社長室の周囲はコーヒーの香りが漂っていたと思います(笑)。事業開発センターという部署は、挑戦するのがミッションであり、そのためには、トップの理解が不可欠です」(井伊氏)

 事業開発センターでは、今後も食とIoTの取り組みを続けていくという。

 「家電メーカーとして100周年、調理家電に関しても長い歴史と経験を持つ会社なので、そこを活かして、今後も新しい取り組みを続けていきたい。まずは、安全でおいしいものを届けるということ、そして、後世に伝えるべき匠の技と、厳選された食材とのマッチングというのも1つ大きなトピックです。The Roastは、次の100年のためのトライアルになるようなプロジェクトだと信じています」(寺野氏)

 10万円という価格やIoTという派手な一面にばかり目が行きがちだが、「The Roast」の本質は全く別のところにあった。家電メーカーとしてのモノ作りの未来、そして日本の食文化の未来まで見据えた新しいチャレンジだ。縮小し続ける日本の小売市場において、どう製品開発を続けるか、家電業界の未来が詰まっているといえるかもしれない。

阿部 夏子