パナソニックの理由(ワケ)あり家電~Panasonic 100th anniversary in 2018

夢は、全世界でシェアナンバーワンの製品を作ること。パナソニックの凄腕マーケターに迫る

2018年3月に100周年を迎えるパナソニック。国内の家電市場においてシェア27.5%を獲得するなど、名実ともに日本トップの家電メーカーだ。この連載では、パナソニックのものづくりに注目。100周年を迎える中で、同社がどのような思考でものづくりを続けてきたのか、各製品担当者に迫る

 普段なにげなく使っている家電製品だが、そこには当然様々な人が関わっている。量販店の店員、量販店に製品を売り込む営業の人、製品を作る工場で働く人、製品を設計する人、その製品を開発する人、さらに遡ると、今の市場を調査して、どのような製品を出せば売れるのか考える人もいる。一般的にその仕事はマーケティングと呼ばれており、その仕事をする人はマーケターと呼ばれる。ある製品がヒット商品になるのか、それとも全く売れないかというのは、もちろんその製品自体の良さも関係するが、発売のタイミング、プロモーションなども大きく関わってくる。家電メーカーのマーケティングは、それら全てを慎重に考え、見極める必要があるのだ。

 日本最大手の家電メーカー、パナソニックにおいても、もちろん、マーケティングを重要視している。今回、話しを伺ったのは、手がけた製品が次々にヒット商品になると噂の敏腕マーケター。パナソニック アプライアンス社 ビューティ・リビング事業部 商品企画部 スタイラ・アイロン商品企画課 課長 清藤美里氏だ。

パナソニック アプライアンス社 ビューティ・リビング事業部 商品企画部 スタイラ・アイロン商品企画課 課長 清藤美里氏

 清藤氏は、2000年の入社後、国内営業、海外営業を経て、2005年から商品企画部に異動。その後、中国市場においてドライヤーのシェアをトップに導く。国内においてもドライヤーなどのビューティ製品を担当し、次々にヒット商品を生み出してきた。現在は、ビューティ製品に加え、これまたヒット商品の「衣類スチーマー」を含む、衣類ケア部門も担当している。

超氷河期でも「就職活動は楽しかった」

 華麗なる功績を挙げてきた清藤氏だが、大学卒業時の就職活動の時には家電メーカーで働く気は「さらさらなかった」という。

 「大学在学中はベンチャー志向で、どれだけ短期間で経営を学べるかという点を重視していました。というのも、当時の私は独立志向が強く、いずれは事業を興したいと考えていました。ベンチャー企業はハードだけれど、組織規模が小さいからこそいわゆる会社組織というものをてっとり早く理解できると思っていました。

 しかし、そんな私に対して、大企業で働いていた父から『最初は大きな組織に行った方がいいんじゃないか』というアドバイスがありました。大企業からベンチャー企業に転職することはできるけれど、その逆は難しい。大企業には、大企業なりの成長している理由がある、まずはそれを勉強するのが先じゃないかと。その意見が自分の中で腑に落ちて、そこからは各業種のトップを走る大企業ばかりを狙いました」

 時代はいわゆる就職氷河期であり、世間一般的には非常に厳しい状態だった。しかし、清藤氏に言わせると、就職活動は本当に楽しかったという。特に清藤氏が注目していたのが、ほかの学生の受け答えだったという。

 「同世代の人たちが、就職をどう捉えているか、どういう基準で企業を選んでいるのか。そんなこと、普段の生活ではわからないことじゃないですか」

 筆者自身の就職活動を振り返っても、そんな余裕は到底なかった。しかし、清藤氏は就職試験という緊迫したムードにあっても、ほかの人がどう考えて、どう行動しているかに着目して、分析していたという。これはまさしくマーケティングであり、当時からマーケーターとしての資質が備わっていたと感じられる興味深いエピソードだ。

 その後、就職活動を続ける中で、もの作り、特に家電に興味が湧き、家電メーカーを第一志望に切り替えた。「家電は生活に変化をもたらすものであり、人の生活を豊かにします。そんな業界、ほかにない! と思いました。当時のパナソニックは、テレビ事業の衰退で社内リストラなどもあった時期でした。だからこそ、採用方針も変えて、従来のパナソニックにいない、私のような人間を採用したのかもしれないですね(笑)」

パナソニックの全てが異次元に感じ、すぐに辞めたいと思った

 入社後、最初に配属されたのは、国内営業チーム。というのも、まずは「どろどろの営業現場」を知りたいと自ら志願したのだ。

 「もともと、大学ではマーケティングをかじっていたので、将来的にマーケティングをやりたいという想いはありました。でも、大学で学んでいたのはあくまで理論であって、机上の空論でしかないと感じていました。せっかくモノ作りをしている会社に入ったのだから、まずは“現場”を知りたいと。モノを売る人がいなければ、全てが成り立たないですよね」

 希望が通って、国内営業へ配属された訳だが、すぐに順風満帆とはいかなかった。

 「入社当時の私にとってはこの会社の全てが異次元でした。社訓とか、巻物みたいなものを読んでいる姿を見て、すぐに辞めようと思いましたから(笑)。ただ、今辞めて、ほかの企業に行ったところで、その会社もすぐに辞めるだろうと。どうせ辞めるなら、自分が仕事を面白いと思えた時に辞めようと、そのときに決心して、そこからは死ぬ気で仕事をすることにしました」

 そこからは、がむしゃらに仕事をしていくわけだが、幼少時代を海外で過ごした彼女にとって、日本の大手企業のやり方は時に納得がいかないこともあり、反発を重ねていった。例えば、終業後の同僚や会社内の関係者との飲み会は基本的に全て断り、同僚や上司とのコミュニケーションも最低限で済ませていたという。

 「仕事だけは必死でやっていたので、社外のお客様は大事にしていましたが、それ以外の『社内』コミュニケーションは不要だと(笑)。話しかけないでオーラを出しまくっていましたね。それでも、当時の上司が本当に素晴らしい方で、そんな私を見守ってくださいました。今考えると、私は本当に人に恵まれているなと、しみじみ思います」

モノを売るにはます市場を知ることが重要

 その後、海外営業も経験して、念願の商品企画部に配属された。最初に担当したのは、海外、それも当時苦戦していた中国の美容家電だった。当時の中国市場はヨーロッパのメーカーが席巻していて、パナソニックの存在感は少なかった。そこで清藤氏は、徹底的な市場調査からスタート。中国に何度も足を運び、ドライヤーを生産している中国の工場や販売会社を訪れ、直接交渉を重ねたという。

 「当時の中国市場は、日本の美容家電市場とは大きくかけ離れていました。2005年当時、日本はマイナスイオンが大ブームで、パナソニックもその勢いのまま、ナノケアドライヤーを全世界で展開していこうとしていました。しかし、中国ではまだ“ドライヤーは熱で髪にダメージを与えるもの”というイメージが強く、“髪に良いドライヤー”を理解してもらうのはまだ早い、と判断しました。

 よって、“髪に良い”ナノケアドライヤーを導入するのではなく、その前ステップとしてドライヤーは熱で髪を傷めるのではない事を簡単に想起していただけるようなモードを作ることにしました。そこで搭載したのが約50℃の温風が出る『ヘルシー風』というモードです。一般的なドライヤーの風が約120℃なのに対して、このドライヤーは約50℃の風が出る、だから健康的で美しい髪へ導けるよ、という訴求を行なったのです」

 その読みは見事に市場にフィット。パナソニックは中国のドライヤー市場で初めてトップを奪った。

 「ドライヤーを生活必需品と捉えて、地場のメーカーと価格競争をするというのは、パナソニックの戦い方ではないんです。我々は、お客様が欲しいというニーズを見極めて、その価値をご理解、共感頂きながら、付加価値商品でシェアをとっていく。そういった理想を体現できた事例だとおもいます」

中国で発売されている「ナノケア ドライヤー」。現地ではかなり高額なのにも関わらず、品薄状態が続くほど人気を集めている
現地で使われているパンフレト

技術ではなく、どういった効果が得られるか“提供価値”で勝負

 中国での活躍が評価され、その後国内のビューティー製品も任されるようになった。発売当初好調だったナノケアドライヤーだが、2007年~2008年頃は、発売当初の勢いが少し落ち着き始めていた。

 「モノを売り続けるには、話題性がすごく大事です。ドライヤーというのは、生活の必需品ではありますが、頻繁に買い替えるような製品ではありませんよね。買い替えたいと思わせるような仕掛けが必要だと考えました。そこで、まず取り組んだのが、様々な美容雑誌を徹底的にリサーチして、美容トレンドを研究しました。それまでのナノケアドライヤーは、水の補給なしでナノイーをコンスタントに放出する、ナノイー放出量アップなど、ナノイーの技術的な側面をPRしていましたが、そうではなくて、このドライヤーを使うことで、どういう効果が得られるのか、提供価値を提案したかったのです。

人気のナノケア ドライヤーも販売の伸びが鈍化した時があったという。写真は最新モデル

 そこで会社のR&D部門に依頼して、そもそも、どうして髪が傷むのか、徹底的に分析してもらいました。そこで出てきたのが、紫外線による髪へのダメージでした。美白ケアは当たり前のようにするのに、どうして髪はしないのか、もしナノイーが紫外線ケアに有効だとしたら、すごく面白いと思いました。そこからすぐに、沖縄に飛んで、2カ月間、髪の毛のモニタリングをスタートしました(笑)。

 そこで、亜鉛という物質が紫外線のケアや摩擦のダメージに抑制実感があるということがわかり、2つの亜鉛電極から発生するミネラルマイナスイオンを新たに搭載しました。紫外線ケアができるドライヤーということを最大限に活かすために、製品の発売シーズンを従来の9月から4月に変更、夏のイメージを出したかったので本体カラーにオレンジを追加しました。美容のトレンドワードを入れて、見た目も変えたことでなんとか、売れてくれました」

最も重要なのは感性。その間をロジックで埋めていく

 様々な製品を成功に導いてきた清藤氏に、マーケティングをする上で最も大事なことは何かを聞いたところ、意外にも「感性」という言葉が返ってきた。これまで話を伺ってきた中で、清藤氏はロジック派の女性だと感じていたからだ。

 「これまで、マーケティングの仕事に関わってきてやっぱり感性とか、感覚っていうのは重要なんだなと改めて感じています。市況っていうのは、日々刻一刻と変わっていくし、モノ作りというのは積み重ねた経験値であったり、必要な機能など、そうそう変えられるものではないです。じゃあ、マーケターというのは何をするかというと、やっぱりどう売るか、どうお客様の感性に訴えかけるかということなんですね。我々もよく市場調査やインタビュー調査などを行なっていますが、例えば10人の方にインタビューをしていて、その中のたった1人の方の意見からひらめきや着眼点を得るということはよくあります。同じ調査であっても、感じるところはみんな違っていて、お客様の何を信じるかも違う。

 お客様の購買行動というのも、その方によって全然違います。流行やトレンドを追いかけて、製品を購入されるお客様はたくさんいらっしゃいますが、どちらかというと我々は、トレンドを作り出す側のお客様、つまり、良い製品とは何か、自分の物差しがあるお客様をターゲットにしていかないといけないんです。そのお客様を嗅ぎ分ける感性が大事だと思います。私が、もし人より優れていることがあるとすれば、感性とロジックのバランスが取れているということだと思います。感性価値が大事だといっても、会議で感性だけを訴えてもダメです。感性からスタートしたとしてもそれを裏付けるデータや市場背景、そしてマーケティングの基本である3C分析(Customer:市場・顧客/Competitor:競合/Company:自社)をして、社内承認を通すためのストーリーを作ることが重要です」

 感性が大事だとしながらも、それだけに頼らず、冷静に判断し、周りを説得し、巻き込むことが重要だという。そのため、清藤氏は3Cや4P(Product:製品/Price:価格/Place:流通/Promotion:プロモーション)といったマーケティングの最も基礎的な部分をとても大事にしている。この考え方は、モノを売る最前線にいた経験が役立っているという。

 「営業というのは、功績をしっかりと出すことが求められます。結果は全て数字に出てくる。一方、マーケティングというのは、なかなか結果が出にくいというか、もちろん、製品が売れれば評価はされますが、逆に結果が出なくても4Pのどこかのボタンの掛け違いを他部門の責任にする事もできるので、自責の念が生まれにくい仕事だと思います。営業という仕事を経験したことで、責任を持つとか、販売結果を見据えるという考え方が身についたかなと。例えば、4Pのうち、1つでも欠けていたらそれは結果的に売れない商品を作ることになるので、プロジェクトで求められる限られた時間軸の中でスパっとやめるということもよくします。それはマーケターとしての責任の取り方でもあります」

パナソニックを世界的なブランドにする

 大学時代、将来的には独立して事業を立ち上げたいという希望を胸に入社、周囲との軋轢に悩みながら、3年後にはこんな会社辞めてやる! という想いで仕事をしてきたという清藤氏だが、それから15年以上の月日が経っている。

 「まさかこんなに長く1つの会社で働くとは想像もしていませんでした。今はベンチャーに行かなくて良かったなと思っています(笑)。むしろ、今では、パナソニックという会社が大好きです。こんな私を受け入れてくれたという感謝もありますし、相性も良かったと思っています」

 今後、取り組んでいくべきことについては2つ、話してくれた。まずは人材の育成だ。今回のインタビューにも立ち会ってくださったアプライアンス社 ビューティ・リビング事業部 商品企画部 スタイラ・アイロン商品企画課 主務 小泉氏は、清藤氏が「家族よりもたくさんの時間を過ごす、私の右腕」と紹介してくれた。

アプライアンス社 ビューティ・リビング事業部 商品企画部 スタイラ・アイロン商品企画課 主務 小泉氏

 「私にとって、一緒に仕事をするメンバーは第二の家族であって、もし小泉に何かあったら絶対助けます(笑)。自分が上司に恵まれたということもありますが、部下にチャンスを与えられるような上司でいたいなと思っています。常に高いモチベーションを持って仕事をしてもらいたいので、例えば、私は会議ではあまり発言しないようにもしています」

 小泉氏も、清藤氏のことを「めちゃくちゃ頼りになる上司」と評す。

 「ほかの人が気付かないことを自ら率先してやってくれるようなきめ細やかさがあります。清藤の仕事の仕方を見ていて、自分としても吸収できるところがたくさんあります」

 最後に今後の目標についても伺った。

 「やっぱり、グローバルでの展開ですね。今、国内で重点的に取り組んでいる衣類スチーマーをまずは中華圏で強化したいと思います。中国の経済はもはや二極化どころではなく、上海、北京、広州など都市ごとに傾向が違っています。国全体ではなく都市に特化したマーケティングを進めていく必要があります。中華圏の文化に合わせた選択と集中を進めることで、圧倒的ナンバーワンを狙います。

 究極の目標は、パナソニックというブランドのマーケティングをすることです。しかも全世界で。日本企業として誇れるような、世界の大企業と肩を並べて切磋琢磨できるような会社にもっともっと成長できると思っています。私の感覚では、今はドメスティックなブランドになってしまっている。もっと海外でシェアを伸ばしていきたい、伸ばしていけると思っています。その中でも、一番最初に天下を穫るのは我々、ビューティ・リビング事業部の商品群、美容家電や衣類スチーマーなどの小物家電だと確信していますし、天下を獲れるようにお客様の声を聞きながら一緒に仕事をするメンバーと努力を重ねていきたいと思います」

清藤氏が今後、中国圏で販売強化していくと語った衣類スチーマー。国内では累計販売台数100万台を達成している

阿部 夏子