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病院を作るってどういうこと? フィリップスのデザイナーに聞いた

 オランダの家電メーカー、フィリップスのヘルスケアについての取り組みを紹介している。前回は、コンシューマー製品を扱うメーカーならではの着眼点が詰め込まれた2つの医療機器を紹介した。今回は、フィリップスのヘルスケアの「未来」について話を聞いてみよう。

 伺ったのは、フィリップス本社があるオランダ・アイントホーフェンにある「フィリップス デザイン」。ヘルスケアの取材なのに、デザインキャンプ? と最初は不思議に感じたが、同社では、全てのプロジェクトはデザインから始まるというスタンス。製品だけでなく、プロジェクトそのものをデザインするという考えのもと、ヘルスケアに関するプロジェクトもこちらで進めている。

フィリップス本社があるオランダ・アイントホーフェンにある「フィリップス デザイン」

 「ここでは、デザインスタッフが医療従事者や患者と共に製品作りを進めています。まずは、医療側のニーズ、ユーザー側のニーズをしっかりと把握することを重視しており、そのためには、フィリップスだけではなく、様々な企業や大学と協力関係を築くことが重要です。現在、地元のアイントホーフェン大学と、応用リサーチ、基礎調査を共同で進めているほか、250の大学と協力関係にあります。日本の自転車部品メーカーのシマノとも協業を進めるなど、企業との協業も積極的に進めています。複数のリーディングカンパニーと協業を推進、その数は140社にのぼります」(フィリップスリサーチ アカウントマネージャー Jos Brunner(ジョス・ブルナー)氏)

フィリップスリサーチ アカウントマネージャー Jos Brunner(ジョス・ブルナー)氏

 では具体的にどのようなプロジェクトに取り組んでいるのか。まず見せてもらったのが、病室のデザインだ。光が体調や気分に影響するというのはすでによく知られた話だが、この病室では、その日の気分やスケジュールと連動させた灯りをプログラムすることもできる。

 例えば脳卒中で倒れた人のための病室では、まずは安静に過ごすことが重要なので、刺激が少ない灯りを採用。回復してきたら、映像などを流して、少しづつ脳に刺激を与えるようにプログラムされている。また、精神錯乱患者のための病室や、精密検査を受ける前の待合室など、患者の容態や状態に合わせて様々なプログラムを用意する。

フィリップスが提案する病室のデザイン。ベッドの周りに効果的に灯りを配置することで、安静にする、気持ちを落ち着かせるなど、様々な効果が期待できるという
ドアの向こうが透ける、透けないというのも、選ぶことができる

政府も巻き込んで取り組むべき“ヘルスケアシステム”とは

 Jos Brunner氏は、日本の医療の現状について強い関心を寄せる。

 「日本の高齢化社会は、世界のモデルケースとなりうる。日本の医療は世界の中でも高度ですが、現状として高齢者の医療費が国の財政を圧迫しています。大変な状況ではありますが、学術的な見地からみても、日本の例はとても興味深い。なんらかのイノベーションを導入することで、解決できると思います。これは経済をスムーズにするためのチャンスにもなりうるでしょう。

 また、オランダの隣の国、ドイツでも医療費の高騰は深刻です。ドイツでは、保険会社と組んで、解決のためのプロジェクトを進めています。慢性的な疾患を抱える高齢の患者が増えるということは国の医療サービスを逼迫します。この問題を解決するためには、一社の取り組みだけではなく、患者、医師、看護師、そして政府も一緒に取り組んでいく必要があります」

 フィリップスが取り組んでいる“ヘルスケアプロセス”では、「健康な生活」「予防」「診断」「治療」「ホームケア」を一連のプロセスとして、統合的な医療、リアルタイム分析、及び付加価値サービスを通じて人々の健康と効率性を改善するという。

フィリップスが取り組んでいる“ヘルスケアプロセス”では、「健康な生活」「予防」「診断」「治療」「ホームケア」を一連のプロセスとして捉える

 「人々が“ヘルスケア”を意識し出すのは、身体に異常を感じてからだったり、病院で診断を受けてからで、それから初めて健康について考え出すという人が多いですが、私達はその前からケアする必要があると考えています。ストックホルムにある病院とは予防医療の取り組みを既にはじめています。患者さんにデバイスをお渡しして、病院でのケアだけでなく、自宅でのケアも同時に行なうというものです。病院とは14年間の契約を結んでいるので、ある程度のデータをここで取得し、今後の取り組みに活かしていくつもりです」

病院の設計に活かす“デザインの考え方”

 フィリップスでは、このような考えに基づき、新たなプロジェクトを進めている。フィリップスデザインのシニアデザインディレクターのKurt Ward(クルト・ワード)氏は、ビジネスとパートナーを超えた戦略的な連携やコラボレーションを促す責任者で、モノのデザインを超えた、新しいデザインの形を模索しているという。

フィリップスデザインのシニアデザインディレクターのKurt Ward(クルト・ワード)氏

 「デザインには歴史があり、モノの形を考えるデザインや、ブランドの在り方を考えるブランドデザイン、あるいは人々の体験をデザインするなど、様々な変遷を経てきました。現在の“デザイン”というのは、作って運ぶものではなくて、人々の生活を変えるものになってきています。

 次の5年間で出される製品をデザインするというのは実はそんなに難しくない。ただし、それ以降5~10年後に出される製品のデザインは難しい。例えば携帯電話ひとつとっても、テクノロジーの進化というのはすさまじく、デザインもそれに伴うものでなければならないので、とても難しいのです」

 同氏が現在手がけているのは、病院のデザイン。

 「個人用の製品をデザインするのとは全く違ったプロセスが必要で、私達のチームには心理学者や社会学者、人類学者などが加わっています。病院を完成させるには、建築やIT、法律、医療、保険など様々な問題が複雑に関わっています。例えば、放射線室を完成させるためのロードマップというのは、ITに関わっている人、建築家、そしてフィリップスの人間では全く違うものを思い描いています。それを1つにまとめ上げていくという作業が必要になるため、病院が完成するまでには、5~10年もの年月がかかる。しかし、病院がオープンするときには様々なテクノロジーが時代遅れになってしまうのです。つまりヘルスケアシステムは過去のやり方を踏襲していていてはダメ、やり方を大きく変える必要があるのです」

テクノロジーの進化が著しい現在では、1つのモノを作り上げるために、様々なジャンルの人でチームを作る必要がある。その中には建築家や、技術者はもちろん、哲学者や心理学者も含まれる

 フィリップスを始めとするヘルスケアメーカーにとって、病院を作るというプロジェクトに参加する場合、どれだけ自社の製品を納入できるかというのが重要なトピックのはずだ。しかし、同社が今、進めているのは全く違う役割だという。

 「今目指しているのは、病院あるいは、厚生省などヘルスケアシステムのステイクホルダー(利害関係者)と病院完成までのマップを描く監督のような役割を担うことです。未来の方向性を予想し、高齢化や環境問題、財政問題など、政府が抱える様々な問題を解決できるような提案をしていくのです。まるで夢のような話だと思われるかもしれませんが、この計画にはゴールがあるわけではなく、継続的に更新していくことが必要です。財政的な問題や、患者の抱える問題、法律、そしてもちろんデザインというものは常に変化していくものであり、それに対応できるような病院作りが必要です。正直、今はまだ産業界はこのような考え方をしていないのが現実ですが、私個人としてはこの計画に使命を感じているし、信じています」

従来は、自社の製品をどれだけ納入できるかどうかが重要だったが、現在はヘルスケア全体のシステムに関わるようなビジネスを進めているという。写真はフィリップスのMRI

統合に重きを置いた製品デザイン

 同じく、フィリップスデザインのシニアデザインディレクターのWich Thijissen(ウィック・ティッセン)氏には、より具体的な製品デザインについて話を伺った。同氏が担当しているのは、診断と治療をサポートする画像診断や超音波診断のデザインだ。

フィリップスデザインのシニアデザインディレクターのWich Thijissen氏

 「私達のシステムは、“統合”に重要性があります。例えば、手術室で大きな手術を行なっている時、そこには様々な情報がいきかっています。患者の血圧・心拍といった生体情報はもちろん、過去の術歴、麻酔の状態、血管の状態や臓器の状態など、複雑な手術であればあるほど、その情報は増えます。手術中であっても、様々な検査を行ない、その検査の結果をほかの部屋に確認に行き、また戻って手術を続けるということも頻繁に行なっています。

 そこで、私達が提案しているのが、それらの情報を1つの場所で統合するというものです。たとえば、心臓のバイパス手術の場合、とても複雑な手術のため、現場はとても混乱しています。大人数のスタッフが参加していますし、色々な機器を使います。そういったシーンで複数の製品を1つに統合することで、患者の手術により注力することができるのではないかというのが私達の提案です」

手術中に必要な様々な情報を統合し、わかりやすく表示する
手術室そのもののデザインも手がける。患者と医師、双方にとって快適な場所を目指す

 こういったアイディアやデザインの根底には、全てのワークフローを洗い出すといった地道な作業がある。

 「例えば、1つの手術をするとき、どういった人が関わるのか、それらの人々はどういった行動を取っているのか。新しいものをデザインするときはそれに関わる人達の関係性を検証することで問題点を洗い出し、コンセプトやデモを作っていきます」

 デザイナーのKurt Ward氏は今後のフィリップスヘルスケアの方向性について、「設備投資のタイミングで製品を売り込むのではなく、ヘルスケアを通して人々をより健康にするための手助けをする企業へと変化を図っています。夢みたいなことを言っているとおもうでしょう? でも、私たちは必ず実現します」と力強い言葉を残した。

 世界的な高齢化が進む中、今後のヘルスケア市場の成長は間違いない。今回取材したフィリップスだけでなく、パナソニックも高齢者向け施設に力を入れるなど、製品だけではなく、システムや施設全体に取り組もうという流れは更に加速していきそうだ。

阿部 夏子