藤原千秋の使ってわかった! 便利家事アイテム
未来の“ひみつ道具”的ガジェット。サンコー「ネッククーラーNeo」
2020年8月18日 08:00
「失われた20年」といえば経済用語として1990年初頭のバブル崩壊時から2010年代にかけてを指すのが定説だが、団塊ジュニアど真ん中世代である筆者にはもう5、10年後ろにずれたところを起点にした20年間であると感じられる。
そしてそれは「失われた」というより「一瞬で過ぎ去った」というほうが体感として正確だ。もし今パッと世界が20年巻き戻っても、すぐに適応できるという謎の自信がある(自信があったところでどうなるものでもないが)。
この直近の20年は、それ以前の20年間に比べ、変化が緩やかなのは自明だ。さらにそれ以前の20年、その20年前……と遡っていくほど、世界の変容は甚だしい。
筆者には今年18歳になる娘がいるが、彼女が幼い頃(2000年代初頭)、自分自身が幼い頃(1980年代)に観ていたアニメのビデオを借りてきては、よく一緒に観ていた。
1980年代の日本を舞台にしたそのアニメ世界を、子どもは然程違和感なく眺めていたのだが、時々「あれ何?」と聞かれることがあり、そのひとつが「電話ボックス」の存在だった。
ガジェットとしての携帯電話は、この子が生まれる数年前にはすでに世の中に行き渡っていた。その後も日常生活に「電話ボックス」は必要とされないまま、どんどんその姿を消していくことになる。
ビデオの存在もじきに消え去り、DVDが席巻し、Blu-rayが当たり前になり、携帯はスマホに代わり、今やソフトすらなくても長時間の映像を手のひらの上で視聴できるようになった。これは筆者が子どもの頃夢見た「ひみつ道具」そのものだと時々思ってうっとりする。私たちはいま明らかな「未来世界」に居る……。
20年前とさほど変わりない地平であるように感じられつつ、20年前には確実に存在しなかったそういうガジェットは他にもある。そのひとつが、熱中症対策のいろいろだ。
筆者は「ネッククーラー」という商品を今年、初めて手に入れた。不可思議で驚くべき品ものであった。
首回りに挟むように装着し、電源を入れるとすぐに鋭い冷たさが金属板伝いに感じられる。そうして電源のある限り、頚動脈のあたりをずっと冷やし続けることができる。
数年前に熱中症を発して以来、夏を恐怖している者にとって、これもまた未来のひみつ道具だと感じる……。