藤山哲人の実践! 家電ラボ
知っているようで知らない水力発電所。ダムマニアも驚く見学ツアーを余すことなく紹介!
知っているようで知らない水力発電所。ダムマニアも驚く見学ツアーを余すことなく紹介!
2018年7月12日 06:30
火力発電所などは、これまでに家電Watchでも紹介してきた。しかし水力発電所をお伝えしている記事というのは、なぜか極端に少ない。そこで今回は、意外と知られていない水力発電所の内部を余すことなくお届けする。
水力発電所は、ご存じのとおり人里離れた山の中にダムがあり、そこから水を引いて、水をろ過して、貯水して、高いところから落として、発電してと、非常に規模が大きい。
こうして秘境の山の中を歩き回り、各種施設を全部紹介するというのは、取材というより、川口浩探検隊の様相なのだ。つまり体力的にもめっちゃ大変な取材なのだ。
そんな折、東京電力から水力発電所のバスツアーをするという知らせが入った。なかなか見られない秘境のダム〜発電するまでのすべての施設をめぐる、一大スペクタクルツアーに参加してきた。
秘境の地「グンマー」にある綾戸ダムから発電用の水を確保
群馬県は高崎市から車で1時間ほど山道を走ると、綾戸(あやど)ダムに着く。このダムは、利根川をせき止めた重力式コンクリートダムだ。
利根川にはいくつもダムがあり、さらに上流には国交省が管理する治水用のダムもあり、大雨が降った時などは下流へ流れる水量を調整している。上流の治水用ダムができてから、洪水時の利根川の流量変動も小さくなったという。
この綾戸ダムは、重力式コンクリートダムという形式で、映画などでおなじみの黒部ダムとは違ってアーチ型をしていない。ダム自身の重さで水をせき止める方式で、日本では一番ポピュラーな形式だ。ダムといえばアーチ型を思い浮かべるが、実はこの簡素なダムが日本では一番多いのだという。
さらに綾戸ダムは、2つの顔を持つ。1つは群馬用水の取水口としての機能。当初は農業用水としての利用だったが、現在は水道用水としても使われているという。そしてもう1つの顔が、少し下流にある佐久発電所の発電用の取水口としての顔だ。
ダムの左右には、それぞれの取水口があり、ダムに貯めた水をシェアしている。川の水は有限な資産なので、水利権という権利があり、必要以上に水を独り占めできない。そこでダムに貯める水位を一定に保ち、水利権を超える水は下流に流すというワケだ。
それぞれの取水口には、流木などを吸い込まないようにするための柵が設けられている。時折、柵に引っかかった流木の掃除をするらしいが、時には警察を呼ばなければならない「者」も流れてくるそうだ。
また環境への配慮も怠らない。ダムの脇には、魚たちが遡上できるように魚道が設けられており、上流に泳いで行けるようになっている。
実はダムでは発電していない!?
いろいろな形式があるダムだが、運用にもいろいろな形式がある。この綾戸ダムは、安定した取水がメインの運用。だから発電施設を持っていない。そう、「ダム=発電所」というワケではないのだ。
では取り込んだ水はどこに行くのか? その疑問に答えるのが、ダムに併設された施設。
取水口から取り込んだ水は、併設されている沈砂池に送り込まれる。送り込まれた水は泥や砂を多く含んでいるため、ゆっくりとした流れにし、水に含まれている砂や泥を池の底に沈殿させ、きれいな水だけを取り出す。これが沈砂池の役割。もしこれを怠ると、水中の砂粒がサンドペーパーのようになり、発電用の水車をどんどん削ってしまうのだ。
綾戸ダムには、沈砂池が2系統あり、その入り口に水門が設けられている。一定期間ごとに沈殿した砂泥を取り除く必要があるが、このときは1系統を止めて、もう1系統を機能させる。こうすることで、ノンストップの運用ができるというワケだ。
厳密にいうと、ダムはごく小さな発電施設を持っている。ダムには下流の流れを阻害しないよう一定量の水を流し続ける「河川維持流量」が定められている。そこでただ流しているのももったいないので、ミニ水力発電所を設けている。骨までしゃぶる、エコっぷりが凄い!
長さ12kmのトンネルを抜け調整池に流し込み
砂泥を取り除いた水でさっそく発電したいところ。しかし写真を見てお分かりのとおり、ダムも小さく河川も緩やかなので、ここで発電しても効率が悪い。
同じ水量で発電用の水車を回すなら、より高いところから水を落とした方がより水車が強力に回せる(高い場所から水を流せば、水の位置エネルギーを水車の回転力に変えられる)。
そこでここ綾戸ダムから、崖のように高低差がある12km先の場所まで水を誘導してやるのだ。いやー、水力発電はもどかしー!
実はこの綾戸ダムが作られたのは大正時代。現在のような大型重機はなく、発破を使ったとしても12kmの水路を作るのは大変な工事に違いない。
その工事を行なったのは、みなさんもどこかで耳にしたことがあるかもしれない浅野総一郎だ。セメントが建設資材になることにいち早く目をつけ、浅野セメントを設立。後の日本セメント⇒太平洋セメントとなる。
また後の日本鋼管やJFEエンジニアリングなどの母体も創設し、一代で浅野財閥を築いたその人だ。これらの大企業とゆかりが深い川崎の京浜工業地帯には、浅野駅がある。もうお分かりの通り、浅野総一郎の名前を取った駅なのだ。
こうして日本の重工業の礎を築く過程で、日本での水力発電の必要性にも目をつけ、このダムと水力発電所を建設した。ちなみにこの水力発電所は佐久発電所という名称なのだが、「佐久」は地名ではなく、なんと奥さんの名前という点も面白い。
発電所に安定した水量を送る真壁調整池&真壁ダム
さて、砂泥を取り除き、いい感じに発電できそうな崖に作られたのが真壁調整池だ。
周囲は緑に囲まれ、池には島もあり、鳥たちのパラダイスになっている。でも実はこれ、池のように見えるダムだという。綾戸ダムから引き込んだ水が湧き出る吐出口をよく見てみると、何やらコンクリートが打ってある。しかも地図を見ると、直線で人工物であるのが一目瞭然。
この調整池のコンクリート壁を降りてみると、高さはそれほどないけれど、分類的にはダムだという。
その区別はダムの高さにあり、人が歩ける堤までの高さが15m以上はダムになり、15m未満のものは堰(せき)となる。実はこれまでさんざん「ダム」と連呼していた「綾戸ダム」だが、堤高は14.45mしかないので、「綾戸堰」というのが正しい。が! 一般人から見ると、そんなのは「ユーザー」でも「ユーザ」でもいいほど些細なもの。だからここでは、ダムということにした。だって面倒くさいじゃん(笑)。
さて、調整池の真壁の場合、実は階段数段で降りられる高さのところもある。深いところは堤高が26.1m。浅い池のように見えて、実は正式なダムだったりする。
余談だが、真壁ダムはダムマニアに有名で(池のようでダムなとこ、綾戸堰、口述するサージタンクとのセットがその理由)、さらには群馬の心霊スポットとしても超有名なんだとか。
さて、ここから先は、高低差のある緩やかな坂と、崖っぷちになっている。水の高さを稼いで位置エネルギーを水に込めるという役割が一番大きい。しかしもうひとつの顔は、上流の綾戸ダムの水量が増減しても、この真壁貯水池の水がバッファ(緩衝材)となって、発電所に流れる水量を一定に保つという役割もある。いや~、水力発電って奥深い! それを大正時代に設計して作っちゃったんだから、浅野総一郎、恐るべき男!
一気に水を落としてサージタンクへ
真壁貯水池(ダム)から発電所までは、ぶっとい金属製のパイプが伸びている。かっこよく言うと「水圧鉄管」という。まあ単純に送水管とも。
この管の太さは、直径4.5m。N700系新幹線車両の高さが、台車も含めて4.5mあり、車幅は3.4mなので、この管の中に新幹線が走れるという計算だ。まぁ実際には線路幅があるので走れないが、新幹線の座席に座ったあの感覚ぐらいのパイプをイメージして欲しい。
周りには木が生い茂り、朽ちた設備にも見えるが、今もなお高圧の水が流れる送水管なのだ。その証拠に送水管の表面をよく見ると、結露しているのが分かる。これが中に冷たい水が通っている証拠だ。
そしてパイプの行く手には巨大な煙突が! あまりにも巨大なので、関越道の渋川伊香保ICあたり一帯で車窓から見えるほど(下り方面だと運転席側)。
このノッポのタンクは、サージタンクといい、真壁ダムから流れる水量にちょっと増減があってもカバーしたり、トラブルなどで水力発電所に流れる水量が変化する場合、水圧の変化で発電設備に悪影響がでないようにするものだ。
タンクの高さは、ちょうど上流の真壁調整池の水面とほぼ同じ高さになっていて、75.2mある。タンク内側の直径は12.5m。川崎から木更津を結ぶ東京湾海底トンネルの直径は、土に触れる外形が14mなので、その大きさは推して知るべし。
もしタンクいっぱいに水が貯まり、サージタンクと真壁ダムの水位が同じになると、パスカルの原理によって、ダムから水流が止まるというわけ。にわかに信じられない現象だけど、ペットボトルで実験すればすぐに分かる。
エジソンVSテスラが見られる佐久発電所
サージタンクを経由して勢いよく流れてきた水は、昭和の面影を強く残す建物の中に導かれ、巨大で重い水車を回す。水車の軸には発電機の軸が直結されており、その回転力を電気エネルギーに変えている。昔は運転員が常駐していたらしいが、現在はオンラインでセキュリティから運転まですべて管理しているという。
ここで利用されている水車の形は、フランシス水車とカプラン水車いうもの。
建物の外観も内装も昭和を思わせるレトロな作りだが、発電機は最新のものが導入され、低いうなりを上げながら発電機を回していた。でも筆者が気になったのは、発電機についている銘板。なんとウェスティングハウスの名前があるのだ。
ウェスティングハウスとは、1890年ごろの発電機メーカー。鉄道用のブレーキシステムの製造なども行なっていた、重工系の会社だ。当時はガス灯が電球に変わり始め、送電網が問題になっていた。有名なエジソンは、直流の発電機と送電網を推進。一方、変わり者として有名な科学者、二コラ・テスラは交流の送電網と発電機を推進し、互いに争っていた。
その原因の一端は、1983年に開催されたシカゴ万博だ。万博の目玉として、夜間に電球を使って会場を照らすという催しをするべく、およそ1000km離れたナイアガラの滝で発電した電気を、万博まで引き込むという工事の入札が行なわれた。
もちろんエジソンも入札に参加、テスラは自身で入札せずウェスティングハウスに交流送電網の特許を売り、会社経由で入札するに至った。
詳しい話は割愛するが、送電は交流が明らかに有利でウェスティングハウスの落札は目に見えていたが、エンジニアではなく経営者としてのエジソンは、交流のイメージダウン作戦に出る。それが唯一エジソンが交流電気で開発した、処刑用電気椅子だ。
結果は、ウェスティングハウスの交流が落札した。当時使われた電球は、車のハロゲンライトのように、フィラメントの電線がガラス管から2本チョロンと出ているものだった。しかし発電網の屈辱を晴らすべく、ねじ式の電球を開発。今でも口金の種類をE26やE17と呼ぶが、頭の「E」はエジソンのEで、ねじ式電球を示しているのだ。エジソンの怨念、恐るべし!
話は少しそれたが、なぜ佐久発電所の発電機にウェスティングハウスの銘板が付けてあるのか? 聞くと、創設した浅野井総一郎が、発電施設を作ろうとアメリカを訪れた際、ナイアガラの水力発電所を視察したからだという。総一郎は、ナイアガラの姿を見て、日本の発電は水力であるべき! と確信し、昭和3年当時にウェスティングハウス社の発電機を佐久発電所に導入した。銘板は、そのときの発電機のものなのだという。
その経緯は、先に紹介したサージタンク近くに立っている、浅野総一郎像にも刻まれているという。
吾妻川の温泉を含んだ強酸性の水を薄める役割も
実は真壁ダムがある場所は、利根川と吾妻川が合流点。草津をはじめ有名な温泉地を沿線に持つ吾妻川だが、実は魚が住めない強酸性の川としても有名。そのため川の上流では、石灰を混ぜて中和するという環境保全を行なっているほどなのだ。
また吾妻川にもたくさんの水力発電所があり、上流から取水した水を使い回していくつも発電所を経由しながら佐久発電所に至る。
上流で石灰を投入し中和はしているものの、きちんとPH管理された本流と、上流から取水し下流にある多数の発電所で使い回す発電用の水は異なる。そこで、最下流の佐久発電所で吾妻川の水を使って発電し、その水を真壁ダムから送水された利根川の大量の水で薄めて、利根川に戻しているのだ。
佐久発電所は、こうして環境保全にも役立っている。
奥深い水力発電所は全国ダム巡りをしたくなる!
実はこの発電所見学ツアー、東京電力の「アクアエナジー100」に加入している世帯に行なっているサービスの一環。アクアエナジー100とは、自宅の使用電力を水力発電で賄っていることを保証するプラン。つまりこのプランに加入している世帯全体の消費電力が、水力発電の発電量を超えていないことを示すものだ。
ここで説明したとおり、水力発電所は、火力などに比べると非常に奥深く面白い。興味のある方は、このプランに加入してみるのもありかもしれない。
とはいえダムの外観や水力発電所は、外からでも見られるものも多く、ここで紹介した仕組みを知った上で見てみると、非常に興味深い。大人の趣味としてダムマニアが成立しているのがよく分かったスペクタクルツアーだった。