カデーニャ

大企業×社内ベンチャーが生み出すシャープの新たな挑戦「TEKION LAB」

冷やに人肌、ぬる燗に熱燗などなど、日本酒の飲み方は様々。しかし氷点下まで冷やした日本酒を飲むというスタイルはいままでにはありませんでした。

冷蔵庫・冷蔵室の温度は5℃前後。生酒や原酒、吟醸酒といった日本酒はここまで冷やす雪冷えで飲むこともあります。しかしパーシャル・チルド室(-1℃前後)で冷やすといったことは今までなかったことでしょう。もちろん冷凍庫・冷凍室(-18℃前後)で冷やすことも。

「そんなに冷やしたら、味も香りも閉じたままになるじゃないか」

そんなふうに考えていた時期が僕にもありました。しかしクラウドファンディングサービスで多くのファンを集めている蓄冷材&保冷バッグで、-2℃に冷やしたスパークリング日本酒を口にふくむと! エクスプロージョン! 最初はサラリとしていた液体から炭酸感が高まり、味も香りも鮮やかに色づいたのです。

自分の体温で暖められたスパークリング日本酒の目覚めが強烈。極冷で飲むために作られたお酒とはいえ、酸味よりも甘みのほうが立っていて、美味しい。なにこれ、こんなお酒、初めて飲んだ!

しかもこの蓄冷材、テーブルに置いたままでも1.5~2時間程度、包んだ瓶を氷点下に冷やし続けてくれるんですって。まるで魔法です。

停電多発国のためにシャープの研究所が開発した新蓄冷材

この蓄冷材を開発したのはシャープ株式会社の内海夕香さん。研究開発事業本部 材料・エネルギー技術研究所に所属している工学博士で、現在は同蓄冷材を活用するTEKION LABのCTOも務めています。

「2009年、エネルギーに関わる新しい材料を開発するために、材料・エネルギー技術研究所が発足しました。シャープには電池はありますし、太陽光パネルもあります。そこで光と電気の次にやるのは熱に関わるものだということになったんですね」(内海さん)

しかしいざ取り組むとなると、エネルギーは事業化するのに大掛かりとなってしまい、出口が見えにくいという現実にぶつかります。そこでシャープの事業に適合するなかで何かできないかと考えていたところ、アジアの駐在員から興味深い話が寄せられます。

「駐在員の方が出張から帰ってきて、冷蔵庫に入っていた食材でごはんを作って食べたら、お腹を壊しちゃったんですよ。どうやら出張中に停電があったんですが、帰宅した時は通電していたし、食材も見た目には傷んでいなかったんですって。その話を聞いて調べてみると、停電のある地域はいっぱいあることがわかりました。そこで周囲の気温が1℃以上で凍る蓄冷材があれば、停電時にも冷蔵庫内の食材を守れるのではと考えました」(内海さん)

すでに、そのような材料はあったそうです。しかしそれは石油由来のもの。揮発性もありますし、冷蔵庫の中で使うには適していません。そのために水をベースとすることに決定。氷の融点を変えることを念頭に開発が行われました。その結果として誕生したのが、5℃で凍結し、12℃で融ける蓄冷材です。この蓄冷材を使った冷蔵庫は停電時でも3時間まで低温状態を維持することに成功。しかも蓄冷材を冷凍庫から冷蔵庫に入れ替える必要がなく、日常的に使えるものとなりました。

「その後も研究を進めて、-24~28℃という特定の温度で融け始める蓄冷材の開発に成功しました。そこでほかに商品化の道はないかと考えまして。しかし材料だけとなると、シャープのビジネスでは扱いが難しい。冷蔵庫内の食材を守る効果があったんだからと、飲食物を美味しくいただける温度に保つ製品を作ってみようということになったんです」(内海さん)

そして社内の研究開発成果の発表イベントに、室内でも一定時間、ワインを冷やしつづける蓄冷材のプロトタイプを出品します。

「ベニヤ板とダンボールと布を使って試作したんです。展示したところ幹部のウケがよくて『これいいね。やってよ』となりまして(笑)。これが、TEKION LABが生まれたキッカケとなりました」(内海さん)

研究者も積極的に試作するという社風

内海さんたち、材料・エネルギー技術研究所の研究者がプロトタイプを作った、という事実にびっくり。

「シャープの特徴でもあるのですが、研究者であっても学術的・基礎的なところだけを追求するのではないんですよ。みんなモノづくりが好きなんですよね。慣れていませんし、商品企画・設計の経験者は1人もいないので大変なところはありますが、自分たちの技術を商品化までもっていきたいという想いが強いですね」(内海さん)

必要とあらば積極的にプロトタイプも作るとのこと。今回の蓄冷材に関しては、研究開発事業本部で試作用の装置を導入したそうです。

「社内でアピールするときはベニヤ板とかでも問題ありません。ただお客さまに持っていくときや、全体のスケールが大きくなったときは外部に委託します。電気製品のケースでも同じですね。」(内海さん)

全パートを試作するとなると時間的コストがかかってしまうので、自分のところでできることは自分たちで作り、例えば制御基板などは大学発の企業に相談して製作してもらうなど、調達できるものは調達するということなんですね。

シャープとしては初めての試みとなったクラウドファンディング

そして内海さんと一緒に“適温”を追求するチームにジョインしたのが、長らく商品企画を担当し、現在TEKION LABの代表を務める西橋さんです。

「幹部からの期待があっても、シャープの事業領域では難しいところもありました。電気を使わない商品の販路もなく、当初は量産のノウハウもありませんし。このノウハウをつちかうためには開発が必要で、そうなるとどれだけのお客さまがいるのかのリサーチも必要になります。でも既存の枠を越えたもので、よりお客さまが喜んでくれるものを作りたいと考えました」(西橋さん)

そして注目したのがクラウドファンディングです。製品として成り立つ前から、将来のユーザーに対して価値をアピールできるサービスです。

「様々なサービスがありますが、ユーザーの方の動向を見ているとこういった活動に前向きで好意的な方が多かったのがMakuakeさんだったんですね。そこで相談をしにいったら『プロトタイプのワインクーラーも面白いし売れると思うのですが、もうちょっと踏み込んで、一緒に商品開発しましょうよ!』ということになりまして」(西橋さん)

話を進めるうちにMakuakeだけではなく、日本酒業界の方々も巻き込んで侃々諤々。企業の垣根を越えたチームが結成されました。

「そのときに、日本酒に注目が集まっている、しかし夏に日本酒は売れないという日本酒業界の悩みの話が出たんです。じゃあ氷点下の日本酒ってありましたっけ? と言ったら『日本酒に氷点下はありえませんよ』と。そこで日本酒蔵の方々と日本酒を氷点下まで冷やして飲んでみたんですよ。そうしたら…美味しかったんです」(西橋さん)

氷点下にまで冷やした日本酒を口に含むことで、体温で味が変わる瞬間がわかる。これはだれでも感じられるアトラクション。

「『えっ! いまのなに? 味が変わったよ!』ということが楽しい体験になるとわかりました。でも氷点下に冷やして飲む日本酒はありません。『じゃあ、その温度に合うお酒作りますよ!』と埼玉県の石井酒造が雪どけ酒・冬単衣というお酒を作ってくれることになりました」(西橋さん)

しかし、シャープ側のチームは大きな壁にぶつかります。

「まだシャープのなかで、クラウドファンディングを使った動きができるかどうかわからなかったんですよ(笑)。『なぜウチがそんなことしなければならないんだ』ともいわれました。実際に事業部門に話をもっていくと、『マーケットはどれだけあるんだ』『どれだけ儲かるんだ』『リスクはどうだ』という話になってしまいます。それが繰り返されるうちに、やる気が失われちゃうんですよね」(西橋さん)

これも1つの大企業病というものでしょうか。西橋さん、内海さんたちはどのように乗り越えたのでしょうか。

「『こんないい材料があるのにもったいない!』と社外の方からも熱量高くいわれたのが大きかったですね。また研究開発本部が研究開発事業本部となり、事業化推進のために新しい取り組みをしようという風が吹いていました。だからクラウドファンディングを使って、これから作る商品の価値を検証することが一番かなという思いを抱きました。そして社内ベンチャーとして、TEKION LABという小規模の組織を発足させました。」(西橋さん)

結果として、TEKION LAB×石井酒造の取り組みは2249人という多くのファンを惹きつけます。プロジェクトの目標金額100万円に対し、達成率1869%の1869万5400円を調達しました。また静岡県のカネ十農園と実行した氷点下抽出の煎茶プロジェクトは161人のサポーターから、達成率202%の202万2570円を調達しました。

-2℃で味わう新しい日本酒体験。雪がとけるように味わいが変わる「雪どけ酒」冬単衣| クラウドファンディング – Makuake(マクアケ)

ジンの旨味を上げる新製法。氷点下抽出で振る舞う煎茶GIN「茶饗-SAKYO-」| クラウドファンディング – Makuake(マクアケ)

まだ間に合うスパークリング日本酒の最新プロジェクト

TEKION LABの取り組みはクラウドファンディングで成功を収めています。おめでとうございます。

「でもはじめての経験でしたし、みんなで緊張しながら、それでも強い意志を持ってすすめたプロジェクトでした。シャープの看板を背負ったままの活動でしたので、高い品質も担保しなければいけませんし。これ、うまくいかなかったら公開処刑ですものね(笑)。ただ量販店で販売するものではなく、製造数が決まってからの生産となるので、数量のリスクなく製品化することができました。そういう意味でもクラウドファンディングって、よくできた仕組みだなって思います」(西橋さん)

いわゆるスタートアップのプロダクトとは違って、高い品質を実現できたのはシャープという母体があったからだといいます。

「シャープでは、スタートアップの方に量産の支援をしたりするモノづくりブートキャンプという活動もやっています。今回はそのチームが手伝ってくれました。新しい商品であっても量産を依頼する工場の選び方とかチェック方法とか、押さえるべきポイントがあるんですよね。問題が起きたときの対応の仕方やアフターフォローなどもシャープのモノづくりの歴史が生かされているなと感じていますね」(西橋さん)

シャープというブランドが、今回のプロモーションにも役立ったそうです。またクラウドファンディングを使うことで、家電系以外のメディアからの取材も増えたそうです。

「私たちが開発した蓄冷材は液晶の研究から生まれたものでもあります。そしてもともと内海が液晶材料技術をやっていたことも、ストーリーとして成り立ったところがありますね。またシャープが電気製品以外を手掛けたというのも興味をもってもらえるポイントになりました」(西橋さん)

「またクラウドファンディングは、お客さまとダイレクトにコミュニケーションできるのがよかったですね」(内海さん)

「規模が小さいからできたということもあるのですが、いままで直接ご意見をいただけることってなかったんですよ。『これすごくよかったよ。ありがとう』という声をいただいたときには、本当に嬉し泣きしましたね」(西橋さん)

プロジェクトを支援したお客さまから寄せられた意見も、また次のビジネス、次へのステップへと繋がるのでしょう。現在進行中のプロジェクトは、「スパークリング用に使うなら味が濃い方がいい」という、お客さまの声から生まれたものとなったそうです。こちらは締切1週間前の段階で769%の769万4310円を調達しています。

冒頭でも書かせていただきましたが、TEKION LABの蓄冷材で冷やした埼玉・滝澤酒造のスパークリング日本酒は、味と香りと炭酸の変化が楽しい。これは確かにアトラクションであり、エンターテインメント。いまならまだ間に合いますよ! 新しいお酒の飲み方に、ぜひチャレンジを!

この記事は、2018年1月26日に「カデーニャ」で公開され、家電Watchへ移管されたものです。

武者良太

1971年生まれのガジェットライター。AV機器、デジタルカメラ、スマートフォン、ITビジネス、AIなど、プロダクトとその市場を構成する周辺領域の取材・記事作成も担当する。元Kotaku Japan編集長。 Twitter:@mmmryo