そこが知りたい家電の新技術
ついに白熱電球の生産が終了、パナソニックの白熱電球76年の歴史を振り返る
by 正藤 慶一(2012/12/27 00:00)
2008年、政府は国内大手家電メーカーに対し、地球温暖化防止のため、2012年度までに消費電力の高い白熱電球の製造中止を呼びかけた。あれから4年、既にほとんどのメーカーが白熱電球の製造を中止しており、今では家電量販店の照明コーナーのほとんどが、LEDをはじめとする省エネ光源になっている。
家電Watchではこれまで、電球形蛍光灯やLED電球といった新しい省エネ光源にスポットを当ててきたが、白熱電球については、あくまで新光源の性能の高さを示すための比較対象としてしか扱っていなかった。今回は、これまで日本の暮らしを照らしてきた白熱電球に“感謝”の意味も込めて、日本のメーカーにおける白熱電球の歴史を振り返ってみたい。
話をうかがったのは、1936年より白熱電球を製造しているパナソニック。同社はこの10月に、76年に及ぶ白熱電球生産の歴史に幕を閉じたばかりだが、パナソニックの白熱電球にはどのような積み重ねがあったのだろうか。白熱電球・電球形蛍光灯・LED電球という3つの光源の開発に携わっている、パナソニック アプライアンスマーケティング ジャパン本部 ライティングチームの鈴木勝氏に聞いた。
基本的な構造は、133年前に発明されたエジソンの電球からほとんど変わっていない
そもそも、白熱電球が誕生したのは19世紀のこと。諸説あるものの、1879年にアメリカのエジソンによって生まれたという説が有力だ。白熱電球は、電球の内部にある「フィラメント」という線状の部分に電気が通り、その抵抗で熱と光が生み出される構造になっているが、基本的な仕組みは今も変わっていない。
「133年にエジソンが開発したこの時点から、電気を通してフィラメントが光るという基本技術は何も変わっていません。ある意味でパーフェクトでした」(鈴木氏)
とはいえ、当時の寿命は40時間程度ととても短かった。フィラメントの素材が、木綿の糸にタールを塗りつけただけという簡素なものだったからだ。現在の白熱電球は、フィラメントの素材に「タングステン」という融点が高い金属を採用していることで、約2,000時間の発光が可能となっている。
エジソンは白熱電球の寿命を長持ちさせるために、フィラメントの素材として「竹」を取り入れて改良した。特に、京都府八幡市の石清水八幡宮に生えている竹を好んで採用し、その寿命は1,200時間に及んだという。
日本での白熱電球生産は1890年から。パナソニックは1936年に参入
海外で白熱電球が生まれる中、日本でも白熱電球を製造する動きが出始めた。1890年には、日本で初めて白熱電球を製造する会社「白熱舎」が誕生。白熱舎はのちに東京電気に改称、東京電気は芝浦製作所と合併し、東京芝浦電気(現・東芝)となる。
パナソニックが白熱電球を開発したのは1936年のこと。パナソニックグループの創始者である故・松下幸之助氏が「ナショナル電球株式会社」という会社を大阪・豊崎(大阪市北区)に設立したことが始まりだった。1918年に「松下電気器具製作所」として誕生したパナソニックは、同年に電気ソケット、1923年の自転車用ランプなど照明器具を展開していたが、家庭向けの光源はこれが初めてだった。
しかし、当時の白熱電球市場は、前述の通り先行して販売していた東芝が圧倒。東芝の電球は当時36銭で売られていたが、他のメーカーはこれに対抗するため、10銭、20銭と安い値段で販売していた。
パナソニックもこれに順じて安く売るかと思いきや、敢えて東芝と同じ36銭に設定した。これは「一社だけが独占している市場は良くない、我々も販売会社に協力していただき、対等に戦える姿であるべきだ」という、故・松下幸之助氏の狙いがあったという。
当時の生産台数は月産5~6万個だったが、第二次世界大戦が終わった1952年には、オランダのフィリップス社と提携を結び、電球やブラウン管などを製造する子会社「松下電子工業」を設立。1954年には大阪府・高槻市に、大規模な工場を建設した。
同工場では、当時で世界一新しい電球の製造マシンを導入し、生産量で“国内最大の電球工場”となった。月産生産数は300万個。作り始めた頃から数十年で、生産量は60倍に増えた。量だけではなく、フィリップスの技術も取り入れることで、品質も飛躍的に向上したという。
1960年代は電球を包む「丸サック」と眩しさを抑える「シリカ電球」でシェアを伸ばす
1960年からは、現在でも白熱電球の象徴となっているあるモノが開発された。その1つは、梱包だ。白熱電球を店先で購入する際、電球を取り囲むような円柱形のフワフワの梱包を手にしたことがある人も多いだろう。通称“丸サック”と呼ばれるあの梱包は、パナソニックが独自に開発したものなのだ。
「電球は振動に弱い面があります。作った時はちゃんとしてても、移動している間に切れる、ということもあります。この丸サックによって、品質が非常に上がりました」(鈴木氏)
当時のテレビCMでは、おばあさんが電球を棚から孫の手で落としても、丸サックがあるから大丈夫、という内容のものも放送された。さらには、甲子園球場の上にヘリコプターを飛ばし、何十メートルも上から落としても大丈夫、という内容のものもあったらしい。
「包装としての特許も取っているため、この包装はパナソニックだけです。このパッケージによって、白熱電球の認知が高まった面もあります」(鈴木氏)
もう1つの新たな技術としては、「シリカ電球」の開発がある(1974年)。シリカ電球とは、電球の内部にシリカという白い塗料を塗った電球のことで、今では電球の代名詞とも言える製品。それまでは、シリカ電球よりも白い塗料が薄めだった「ソフト電球」が流通していたが、シリカ電球はそれよりも眩しさを抑えることで、より光源が見えないように光るようになったという。
また、1960年頃からは、商品ではなく販売ルートも広がった。当時の電球は、メーカー専売の電器店でしか販売されなかったが、同社の管球事業部が“どうやったら売りが広がるのか”、“販路を広げよう”という努力から、電器店ではなく日用雑貨店でも電球を扱うようになったという。こうした取り組みの結果、シェアは大幅に伸びた。
「新しいことに取り組み、販売と品質で伸ばしてきたのが、我々パナソニックの特徴ではないかと思います」(鈴木氏)
80年代は白熱電球なりに省エネ性と寿命が向上。小型電球も登場
1980年以降は、省エネ化と長寿命化が図られた。LED電球や電球形蛍光灯と比べると、消費電力も高く寿命も短い白熱電球だが、白熱電球なりに性能は向上した。
省エネについては、1980年には3%の省エネ(60W形の場合58W)を達成。その後も徐々に省エネ性は高まり、2000年頃には10%(同54W)の省エネを実現した。省エネ化のポイントとしては、フィラメントの抵抗を上げることによって、効率よく明るく構造にしたという。
寿命についても、電球のカバーの中に入っているガスを変えることで伸びている。長寿命タイプの白熱電球では、中に入っているガスを、従来のアルゴン(元素記号:Ar)からクリプトン(Kr)へ変えている。クリプトンの方がフィラメントが長持ちするため、寿命はアルゴンの1,000時間から2,000時間へと伸びた。
また、一部の小型電球では、内部のガスをキセノン(Xe)に変えることで、4,000時間としている。ただこの場合、電球の値段が高くなるため、一般的なサイズのE26口金の電球ではなく、小型タイプにのみ採用されている。
「ここに何のガスも封入されていない真空状態では、電球はすぐに切れてしまいます。もし、電球を交換したばかりで電球が切れたら、ガラスにヒビが入るなどで、中のガスが抜けている可能性があります」(鈴木氏)
なお、電球内に封入されているガスは、体に悪いものは使われていないとことだ。
1980年代はまた、ボール型やレフ形、特殊形など、多種多様な電球が増えてきた時期でもあった。その中でも数が伸びたのが、E17口金に取り付ける小型電球「ミニクリプトン電球」だ(1984年に発売)。
当初は電球の口金はE26がほとんどだったが、1980年代より、デザインとしてインテリアを美しく見せるために、口金が小さいE17口金の照明器具が増えてきた。
「現在、日本国内に口金が3億個あると言われていますが、E26口金とE17口金の割合は2:1で、(E17口金は)後から出てきた割にはかなりの割合を占めています」(鈴木氏)
E17口金の電球はE26口金よりも小さいため、今ある電球を小型化する必要があるが、フィラメントや電球カバーなどすべての部品が小さくなるため、より精度が問われることになるという。
「特に求められる技術が、ガラスの加工技術です。昔は電球の工場には炉があって、ガラスを溶かして成形するということをやってきたため、ガラスの加工技術は非常に高いです。我々は電球屋ですが、結局はガラス屋に近いものがあります。逆にいうと、大規模な設備と技術が求められるため、簡単には参入できない市場でした」(鈴木氏)
白熱電球を惜しむ声はあるが、代替となる電球も用意されている
こうして成長を続けてきた白熱電球だが、1980年にはより消費電力が少なく長寿命の電球形蛍光灯が登場。さらに2009年からは、電球形蛍光灯よりもさらに消費電力が少なく、寿命も40,000時間と非常に長いLED電球も普及しはじめた。これまで照明器具の主力だった白熱電球だが、消費電力が高い“非エコ”な明かりとして、新光源の省エネ性能の高さを示す比較対象として話題に出ることが多くなった。
冒頭で述べた通り、今後白熱電球は製造されないため、今使っている白熱電球が切れたら、電球形蛍光灯、あるいはLED電球に交換する以外の方法はない。ユーザーの中には、白熱電球の明かりを惜しむ声もある。
「確かに白熱電球の柔らかい光は、蛍光灯でもLEDでも再現は難しく、まったく同じ質感は出しづらいです。“(白熱電球を)何で無くすんだ”という問い合わせは、特に飲食店から聞かれます」(鈴木氏)
しかし、だからといって、代替となる光源がダメかというとそうではない。パナソニックでは、反射板を搭載することで、光の広がりを白熱電球と同じ300度としたLED電球「LDA11L-G/LDA11D-G」や、電球カバーを透明にすることで、クリアタイプの白熱電球のようなきらめき感を重視した“クリアLED電球”の「LDA6L/C」など、白熱電球の光を引き継ぐようなLED照明を用意している。
「白熱電球を再現することを考えなければ、反射板などを使う必要はありません。でも、電球と同じ300度の配光にこだわるために使いました。相対的にフチの部分は明るくなりますが、電球を見て生活するわけではありません。器具に入れた時に、白熱電球と同じ感じになることを重視して作っています」(鈴木氏)
また、無理にLED電球に交換をしなくても、電球形蛍光灯でも十分に使えるという選択肢だってあるだろう。省エネ効果はLED電球の方が高いものの、電球形蛍光灯も白熱電球と比べると、消費電力を1/6程度に抑えている。
「特に白色系の光色で比べた場合、現時点ではLED電球よりも電球形蛍光灯の方が色は良いです。また、電球形蛍光灯は300円台から買えるものある。無理して割高なLED電球を買わなくても、予算と使い方に併せて、最適な電球を使っていただければと思います」(鈴木氏)
昭和の暮らしを支えた白熱電球は、間もなくその役目を終える。慣れ親しんだ明かりが無くなることに寂しさを感じるが、一方で、白熱電球を上回る新たな技術が生まれなければ、また、その新技術を使って無駄な消費電力を抑えようとする社会的な制約がはたらかなければ、今でも光源は白熱電球のままだっただろう。白熱電球を省エネ光源に交換するということは、もしかしたら技術や社会の進歩の証明になるかもしれない。
2012年、白熱電球というひとつの時代が終わろうとしているが、それは2013年から、“省エネ”や“省資源”の明かりがスタンダートとなる、新たな時代の始まりでもあるのだ。