計画停電にどう備えるか――記者の停電体験記

~一軒家と1人暮らしの祖母編
by 本誌:小林 樹
停電時に明るかったのが、携帯電話の液晶バックライトだった

 東京電力は3月14日から、11日に発生した東北地方太平洋沖地震の影響による計画停電を開始した。

 前日のマンション編に続いて、一軒家で記者が体験した停電についてお伝えしたい。計画停電が実施されている地域にお住まいの方の参考になれば幸いだ。


やるの? やらないの? どっちなの? ~日が暮れる時間帯の停電

 記者の自宅は、築30年を越す木造2階建て。今回発表されたグループ分けでは、2グループに属する。15日は計画停電が回避されたが、16日は15時20分から19時の時間帯の中で3時間程度実行するとのことで、近くの小学校からアナウンスが流れていた。

 しかし、このアナウンスが聞き取りにくい。音も小さいし、こだまして繰り返し聞こえる。家族と、「今なんて言った? 」なんて聞きあって、声を潜めるが、聞こえない。テレビだと、市内の何丁目までやるのか、細かいところまで確認できないので、実施するのかどうかは、市のホームページで確認するしかない。パソコンで市のホームページを開いていると、横から祖母が不安そうに覗き込んでくる。普段1人暮らしをしている祖母は、パソコンが使えない。たまたまうちに来ていたので、私と一緒に確認できたものの、1人の時だったらわからないままだっただろう。実施するのかしないのか、その情報を得るだけでも手間がかかった。

 いよいよ、停電の時間帯に入る。何も起こらないまま20分ほど経った15時45分頃、突然停電が来た。なんの前触れもなく、家中の電気がプツンと切れた。幸い、まだ外は明るく、室内はやや薄暗い程度で、水とガスは使えた。

 だが、家の無線LANが途絶えてしまったので、仕事がままならない。スマートフォンからの接続に頼るが、電話も混雑しているのか繋がりにくい。

 さらに日が落ちてくると、家の中がスースーと冷えてくる。この季節、一軒家だと、暖房をつけないとまだ足元が寒い。寝てやりすごすのも1つの手だ。体調を崩している父や祖母も1つの部屋に集まって、畳の部屋に布団を並べて、川の字に横たわる。一軒家の場合、なるべく1つの部屋で身を寄せ合ったほうが暖かいし、不安も和らぐ。

 この時、湯たんぽがあってすごく助かった。ガスコンロでお湯は沸かせたので、寒気を訴えていた父には、足元に湯たんぽをいれて、布団をかけた。足元を暖めることで、ゆっくりと眠ることができたようだ。

閉めそびれた電動シャッター

 想定外のこともあった。だんだんあたりが薄暗くなってきて、リビングの電動シャッターを降ろしていなかったことに気づいた。窓や駐車場の電動シャッターは、停電になる前に確認しておくべきだった。

 思わぬ伏兵もいた。何の気なしに「よっこらせっ」と便座に腰かけたところ、あまりの便座の冷たさに飛び上がった。普段、暖かい便座が凍てつくほど冷たい。節電、停電となればそうなることは十分に予想できたが、無意識のうちにいつものノリで、ドカッと座ってしまった。あの時、お尻に受けた衝撃は忘れられない。今後計画停電が続くようなので、便座の暖房を切り、便座カバーをかぶせておこうと思う。

 ちなみに、約3時間の停電後に冷凍庫を開けたら、保存食用に冷凍している食パンは溶けていなかった。冷凍冷蔵庫の断熱性の高さを感じた。

便座はとても冷たくなっていた約3時間の停電後、冷凍した食パンは溶けていなかった

 我が家の停電準備で役立ったのは、懐中電灯を1階のダイニングキッチンと階段、そして2階の皆が集う部屋に計3つ配置し、フロア間を移動できるようにしたことと、1つの部屋に身を寄せて暖をとるようにしたこと、そして湯たんぽである。次からは、電動シャッターを確認し、便座カバーをかけておくということにも気をつけたい。また、食事の時間とかぶるようなら、停電の予定開始時刻前に、ご飯を炊いておこうと思っている。

停電による心理的な不安も ~1人暮らしの祖母の経験

まさかの黒電話が活躍

 計画停電の話とは離れるが、秋田で停電生活を送った祖母の話をしておこう。母方の祖母は、秋田市内で1人暮らしをしている。11日の地震では、幸い大きな被害は逃れたが、約3日間停電が続いた。テレビもつかず、ラジオの電池が切れてしまい、夜は真っ暗で、かなり心細かったようだ。


 唯一の情報ライフラインは電話だった。もちろん祖母は携帯電話を持たない。祖母の家の電話は、もう40 年以上前から使っている“黒電話”だけだ。

 この黒電話が意外と役に立った。黒電話は、普通の家庭にあるFAX付き電話機と違い、電話回線のみを使い、電源を必要としない。よって停電時でも、繋がりにくくはなるものの、受発信できるのだ。近隣の家々が電話がつながらない中で、祖母の家の電話だけが繋がっていた。秋田に行くたびに、「なんでこんな古いの使ってるんだろう。新しい物に交換すればいいのに」と思っていたが、「古くても、まだ使えるから」と大事に使っていた祖母に、頭が下がる思いがした。

【3月18日11時追記】黒電話だけでなく、局給電だけで動作する単機能の電話機については、停電時に通話が可能です。ただし、回線はメタリック回線(電話回線)である必要があります。ご教示いただいた読者の皆様に感謝いたします。

冗談抜きにバンクマンが活躍

 祖母に、停電の時に何が1番心強かったか聞いたところ、「バンクマンよ」と冗談抜きに即答した。バンクマンとは、以前レビューでも取り上げたおしゃべりする貯金箱のことだ。日中、勝手にベラベラしゃべって貯金をうながすもので、祖母にプレゼントしたところ、意外と大ウケ。停電で静まり返った家の中でも、無邪気におしゃべりを続けるおもちゃは、お年寄りの心をほぐすのに一役買っていたのだ。停電は、不便になるだけでなく、情報と明るさが途絶え、心細さをも招く。特に1人暮らしのお年寄りの不安は計り知れない。一見おふざけグッズのようなおもちゃでも、実はすごく心強い相棒となるのである。


輪番停電の長期化への心構え

 最後に記者の個人的な意見を意見を記しておく。今日の昼、地元のスーパーやコンビニは、節電の影響で、灯りが細々としていた。普段の活気ある明るい町並みを思うと、寂しい気もする。だが思えば、学生時代に旅したアジアやヨーロッパの市街は、昼間はあまり電気がついておらず、意外と薄暗かった。昼間からまぶしいほど灯りがついているのは、大型スーパーなど、ごく一部の場所だけだ。いつの間にか、この国では昼間から煌々とした灯りがついていることが当たり前になっていたが、本来ならば薄暗いくらいが自然なのではないか。そう思うと、少し気持ちが軽くなる。

 限られた電力でいかに寒さをしのぎ、灯りを大事するか、お互いに知恵を出し合って、乗り越えていきたい。





2011年3月18日 00:00