大河原克行の「白物家電 業界展望」

被災した日立アプライアンス多賀事業所の復興の道のりを辿る 後編

~先を見越した素早い対応で、ピンチをチャンスに変える
by 大河原 克行
日立アプライアンスの主力生産拠点である茨城県日立市の多賀事業所

 日立アプライアンスの主力生産拠点である茨城県日立市の多賀事業所。2011年3月11日に発生した東日本大震災では、震度6強という強い地震に見舞われ、生産棟を含む4つの建屋が解体を余儀なくされるという甚大な被害を受けた。

 前編では、石井常務取締役指揮の下、従業員が一丸となった生産再開に向けた取り組みを見てきた。後編では、部品不足や節電対策などの震災の影響を、日立がどう乗り切ってきたのかを見ていこう。

サプライチェーンが寸断、主要部品の品不足が影響

 社員一丸となって努力した結果、震災からわずか10日で、生産体制を復旧したものの、ここでもう1つの大きな問題が浮上してきた。

 それは主要部品の不足という問題であった。

 いまや白物家電には、多くのマイコンや電解コンデンサーが使用されている。

 石井常務取締役は、営業部門に安定供給を約束したものの、部品不足による減産の可能性に頭を抱えることになった。

 だが、多賀事業所の調達部門の従業員は、ガソリン不足のなか、部品の製造会社に直接出向くなど積極的な調達活動を開始。復旧状況などを確認する一方、復旧に向けた情報交換などで協力していった。

 「同じ被災者として協力できる部分は協力していった。実際に製造会社を訪れ、なにが不足するのか、なにが調達可能なのかを現場で確認できたことで、当社としても対策が打ちやすくなった」(石井常務取締役)

 部品調達に遅れが出る可能性がわかったことで、日立アプライアンスでは、安定的な生産体制を維持するために、一部部品を代替調達する方針を決定した。

 資材部門が奔走して調達可能と確認できた部品に最適化した基板へと設計変更を行ない、電解コンデンサーも調達可能な小型のものを並べて対応するといった形にした。品質保証部門もこれにあわせて日夜作業を繰り返し、日立が追求する高い品質基準をクリアすることに成功した。

日立アプライアンス 常務取締役家電事業部長・石井吉太郎氏

 「通常は3カ月はかかる設計変更を約半月で完了させた」(石井常務取締役)という迅速ぶりだ。

 だが、この時、日立アプライアンスでは部品メーカー各社に対して次のように提案している。

 「もし部品の供給が再開された時には、すぐに元の部品へと戻す」

 東日本大震災以降、サプライチェーンの寸断は製造業において大きな問題となった。そのため、東北地区の生産拠点における復旧の遅れにあわせて、海外から新たに部品を調達したり、複数の企業から部品を調達するといった手法に切り替えることで、リスク分散に乗り出すといった動きあった。

 しかし、日立アプライアンスは、従来からの信頼関係がある企業との取引を重視するという判断を下したのだ。この背景には、1939年から常陸多賀で工場を稼働させ、長年に渡って地域の企業と連携をしてきた日立アプライアンスならではの判断であるとともに、お互いに被災した立場にあることで、ともに復興に取り組みたいという想いが働いたであろうと推察される。

 いずれにしろ、日立アプライアンスは、部品を生産する拠点の復旧とともに、部品調達体制を元に戻し、安定的な生産を維持する仕組みを構築していった。

 実は、この判断が、同社のその後の事業展開において大きな追い風となった。

部品不足のなかで緊密な連携により他社をリード

 部品不足は、被災した日立アプライアンスだけではなく、すべての白物家電メーカーに共通した課題となった。

 生産拠点への直接被災はなくても、被災地で生産されている部品の生産が遅れ、生産できないという状況に陥り始めたからだ。

 生産体制を復旧させた日立アプイラアンスにとって、生産面においては、すでに競合他社との条件は同じとなっていた。いや、それどころか、部品調達という共通課題においては、競合他社をリードする体制を確立しようとさえしていた。

 例えば、部品1つをとっても、日立アプライアンスは、近隣にある生産拠点にまで直接出向いて状況を確認し、それにあわせた対応が可能だった。電話がつながらず、情報がなく、現地にも入れなかった競合他社に比べて、先に手を打ちやすかったのは明らかだ。

 また、緊密な協力関係を築いたことで、取引先が海外生産した部品や、復旧後に生産した部品の調達という観点でも、優位な立場にあったともいえる。

 こうした部品メーカーとの緊密な関係は1社だけではない。エコキュートの主要部品を供給する会社は工場が被災、また空圧制御などに使用する高機能材料を供給する会社も工場が被災したが、それぞれ復旧に向けた情報交換を行ないながら、協力関係を築いていった。

 震災による影響で、2011年3月の日立の洗濯乾燥機のシェアは一時的に下がってしまった。しかし、4月には回復に転じ、5月にはシェア減少を完全にカバー。4月以降の生産台数は前年を上回った。

 さらに、IHクッキングヒーターに関しては、競合他社が部品調達の遅れに悩まされるなか、日立アプライアンスは前年比約2倍の生産台数へと急拡大。過去最高の約2万8,000台の月間生産台数を達成したという。これにより、IHクッキングヒーター市場におけるシェアは、これまでの最高値を大幅に上回った。

 IHクッキングヒーターの好調について、石井常務取締役は「部品調達において先行したこと、さらに被災地で最初に復旧したのが電気であり、オール電化に対する評価が高まったことも背景にある」と話す。

生産台数で過去最高を更新したIHクッキングヒーターの生産ライン1口タイプのIHクッキングヒーターのセル生産ライン。20~30%の生産効率化が図れるという。これも節電につながる

 エコキュート製品は栃木事業所で生産しているが、ここで使用される部品調達において、多賀事業所と部品メーカーとの連携が功を奏し、日立アプライアンスでは比較的安定した供給が可能だった。

 もう1つ、震災後の隠れたヒット商品に、井戸用電動ポンプがある。日立市内にも井戸は多いが、断水が続くなかで井戸から水を汲み上げるといった需要が増加。これに素早く対応した日立アプライアンスでは、前年比2倍以上の生産量を達成している。

 「震災をきっかけにして、当社と部品メーカー各社との絆は、確実に強まっている」と、石井常務取締役は指摘する。

 被災という厳しい状況を、早期の生産体制復旧と、部品調達における部品メーカーとの緊密な関係確立によって、むしろ競合他社をリードする状況へと転換させることができたのは、まさに日立アプライアンスの底力だといってもいいだろう。

節電25%を掲げる復興・改革プロジェクトに踏み出す

鎌田取締役が掲げた「絆一丸」の文字が生産棟で張り出されていた

 震災から1週間を経過した3月18日。多賀家電本部長の鎌田栄取締役は、社員に向けてメッセージを配信した。

 「多賀ファミリーの皆さんへ」と題したこのメッセージでは、「復興多賀! 絆一丸 再飛躍へ! ~家族、街を守り、お客様の期待に応えよう~」という見出しをつけた。

 そのなかで鎌田取締役は、災害翌日から対策本部のメンバー以外にも多くの従業員が駆けつけていたこと、余震の恐怖と闘いながらも昼夜を問わない懸命な努力で工場が復興したことなどに触れ、「皆さんの心意気と結束力に対して、改めて敬意を表する」とした。

 また、「我々の智恵と汗がなければ、これから続く多賀工場完全復興への長い道のりを一丸となって歩んでいくことはできない。いま我々に試されているのは、一人ひとりの強い精神力と絆の力である。大きな困難の先には、明るい未来が拓けていることを信じて、ともに頑張ろう」としている。

 日立アプライアンス多賀事業所は、2011年4月1日から、災害対策本部を発展的に解消して新設した「復興・改革プロジェクト」を推進している。

 東日本大震災による被害からの復興に向けて、鎌田取締役が宣言した「絆一丸」による多賀の再飛躍を目的とするもので、「全製品における2010年度のシェア超え」、「省エネ改善25%、生産効率向上という意欲的な目標をみせる。

 つまり、ここで掲げているのは電力使用量を25%削減しながらも、全製品で前年実績を上回るという計画だ。被災していない状況でも厳しい数値目標であるにも関わらず、多賀事業所ではあえてこの意欲的な目標に取り組む姿勢だ。

多賀家電本部 副本部長 五月女京次氏

 「政府が当初発表した削減目標は25%。その後、15%削減へと修正されたが、すでに25%を削減できる計画を立案しており、それを実行に移すことになった」(五月女副本部長)

 多賀事業所における一日の電力消費量は1万3,000kW。これを9,750kWにまで引き下げる計画であり、具体的な実行計画は各部門ごとに委ねられている。

 例えば、生産棟では、海風が吹く環境を利用して昼間に空調を停止し、網戸を新設した窓を全開する仕組みとしたり、天井の蛍光灯の間引き、夜勤へのシフト、設備機器の省エネ運転、設備の同時立ち上げの禁止といった工夫も行なっている。多賀事業所全体でも、7月1日以降、土日出勤とする代わりに、水曜日、木曜日を休日とする勤務体系としており、これもピークシフトに効果をもたらす。

 その一方で、空調を止めた生産棟では、扇風機を導入することでの空調管理を実施し、作業員の体調に配慮している。また省エネタイプの冷蔵庫を20台導入して、これを自由に使えるような配慮も行なっている。

 「なんとか25%の電力削減を達成したい。そして、これを夏場の一時的な対策にするのではなく、継続的な取り組みへとつなげていきたい」(五月女副本部長)とする。

 リアルタイムで電力使用量をモニターできる環境を用意し、25%の削減数字である9,750kWに対して、残り25%以上であればイエローゾーン、20~25%未満であればレッドゾーンを表示し、現場に注意を促すといった仕組みも採用している。

 7月1日から多賀事業所で勤務する従業員には、紺色のポロシャツが配られた。胸部分には、「がんばろう多賀」の文字が刺繍されている。

網戸を新設した窓を全開にして空調を止めているリアルタイムの電力使用量を多賀事業所内で共有しており、25%の節電を目指している鎌田栄取締役が着ているのが7月1日から配布されたポロシャツ。「がんばろう多賀」の文字が入る

 「多賀ファミリーが一丸となって復興に取り組んでいく姿勢を示したもの。常に多賀ファミリーが共通の意識を持っていることをこのポロシャツの文字に込めた」と鎌田取締役は語る。

JR常陸多賀駅のホームから多賀事業所をみると、ここにも「がんばろう多賀」の文字がある

 5月28日。多賀事業所では、毎年恒例となっているファミリー祭を開催した。もちろん、このイベントの開催を今年は取りやめるべきだとの声もあった。

 だが、「我々自身が被災者である。こういう時だからこそ、あえて開催すべき」との声が社内で高まり、多賀事業所全体の意向として開催に踏み切った。

 構内を開放し、地域住民やOBなどを招待して行なわれるこのイベントには、例年通り、約3,000人が集まり、茨城県つくば市出身のタレントである松居直美さんがゲストで登場し、会場を盛り上げた。

 開催時間には、雨が降っていたファミリー祭も、時間が経過するに従い雨が止んだ。そして、ファミリー祭の参加者の顔には、多くの笑顔があふれていたという。

 このファミリー祭の様子は、まるで日立アプライアンス多賀事業所のいまの様子ともダブってみえる。

 震災の大きな被害を受けた日立アプライアンス多賀事業所は、5カ月が経とうとする今、復興から成長への道を確実に歩み始めている。






2011年8月12日 00:00