そこが知りたい家電の新技術
イルカ、トンボ、ネコ、アホウドリの生態が白物家電を変える!
シャープが、生物が持つ固有の特徴を生かした技術を、白物家電に採用し効果をあげている。「生態模倣学」と呼ばれるこの考え方は、いくつかの工業製品にも応用されているが、シャープは、白物家電にこの技術を積極的に活用している。これまでに研究成果を採用した生物は、「イルカ」、「アホウドリ」、「イヌワシ」、「トンボ」、「ネコ」――これだけ聞くと、なにをどんな形で応用しているのか、まったく見当がつかないだろう。シャープで生態模倣の取り組みをリードする、健康・環境システム事業本部要素技術開発センター第二開発室主任研究員・大塚雅生氏に、生態模倣の取り組みに関して話を聞いた。
■生物の学会に足しげく通う電機メーカーの研究者
健康・環境システム事業本部要素技術開発センター第二開発室主任研究員・大塚雅生氏 |
大塚雅生氏は、航空工学の専門家である。
1997年に、シャープに入社以来、この専門知識を活用して、白物家電の開発で成果をあげてきた。
とくにエアコンの開発では、1999年から航空工学を応用。気流の制御などにノウハウを活用し、効率を2倍に高めるといった実績をあげてきた。
2007年に製品化した同社のエアコンでは、ロングパネルを採用した斬新な構造によって、空気の流れを効率化しており、これにより、大幅な省エネ化を実現し、シャープのエアコンの存在感を高めることに成功している。この独特なフォルムの実現には、「NASAで研究をしていた大学時代の恩師から学んだことを、最大限に活用した成果」とする大塚氏の航空工学の知識が生かされていた。
しかし、開発を担当した大塚氏は、この頃から、その進化に限界を感じ始めていた。
「航空工学を生かして、これ以上、どんな進化ができるのだろうか」
航空機で採用されている翼の形状は、航空工学ではもっとも高い効率を持つ形状の1つとされている。この技術は、シャープのエアコンの送風ファンにも応用されていたが、その効率性は数値の上では、もはや限界に到達しつつあったのだ。
次の進化を悩み続けた大塚氏は、まったく別の発想をしてみることにした。
「正反対の場所から、機械、メカを見ることでなにかヒントを得られるのではないかと考えた。その対極にあるものはなにか。そう考えたとき、生物があった」
実は、生物に目をつけた理由はもう1つあった。
進化の限界にたどり着いた大塚氏は、精神的にも、肉体的にも疲れ果て、「正直、癒されたい気持ちが強かった」と、当時の様子を笑いながら述懐する。その癒しの対象が生物だったのだ。
もともと生物には興味があったという大塚氏は、「本来ならば水族館に行きたかった」と漏らすが、元来真面目な性格も手伝い、足を向けたのは水生生物の学会だったという。
学会では、イルカについての研究内容が発表されていた。
話を聞いた大塚氏は、「目からウロコが落ちた」と表現するほどの衝撃を受けた。
その時に発表されていた内容は、イルカは瞬間的に時速50kmの速さで泳ぐことができるが、その速度を出すのに必要とされる筋肉の7分の1しか持っていないということだった。グレイのパラドックスと呼ばれるこの謎は、いまだ解明されておらず、引き続き研究が行なわれているという。
「航空工学とは違うアプローチができるのではないか」。そう考えた大塚氏は、その後も足しげく学会へと通った。
その時には、「具体的に、どの製品にどんな形で応用できるのかはまったくの未知数だった」と語るが、それでも勤務先に近い関西で開催される学会だけではなく、東京やその他の都市で開催される学会にも顔を出した。電機メーカーの研究者が、生物の学会に頻繁に顔を出していることは、周りからも奇異に映っただろう。
ある時、大塚氏は、鳥の羽に関する興味深い研究成果を聞いた。
そこでは、生物の大きさが小さく、受ける風速が小さい鳥や昆虫の場合、飛翔する生物の持つ翼が航空機の翼よりも高効率であることが発表されていたのだ。
「鳥の翼を上から見た平面形が、航空機翼型よりも高効率であるという研究成果を聞いたとき、これまで信じてきた航空工学を上回るものがそこにあるという衝撃を受けた。大きい機体、速い風速という状況においては、航空工学の考え方が当てはまるが、鳥や昆虫が置かれる状況ではそれが当てはまらない。白物家電では小さな筐体、小さな風速という、鳥や昆虫の生態に近い考え方が適しているのではないかと考えた」
そこで、鳥の羽の形状をもとにして、エアコン室外機の送風ファンへの応用を研究しはじめた。
鳥の羽にも様々な形状がある。大塚氏がたどり着いたのは、すべての鳥のなかでもっとも滑空力が高く、数万kmも飛び続けることができる長距離飛行に適したアホウドリと、強い乱気流のなかでも安定した飛翔を行なうことができるイヌワシであった。
アホウドリの細く、鋭い翼平面形状により、後方に放出される渦が弱く細くなり、放出された空気による効率の悪化が起こりにくいという特徴があるという。また、イヌワシの先端が分かれた翼平面形状では風をコントールしやすくなり、先端部に生まれた渦を小さく収束することが可能になる。
従来の仕組みでは、渦が大きくなるために効率性が悪く、渦が次の翼に衝突して騒音の原因になっていたが、この問題が解決できたという。さらに羽の中心部には、ほとんどの鳥にある小翼羽の形状を活用したことで、回転軸近くに強制渦を発生。これにより、この付近の風の逆流がなくなり、その対策のためにつけられていたボス部が不要となり、羽全体の軽量化につなげることができたという。軽量化は、ファンを駆動させるモーターの大幅な小型化というメリットも生み出している。
シャープのエアコンの室外機に搭載されている送風ファン。アホウドリとイヌワシの翼平面形状を採用している | 表面はなめらかな曲線を描いている | こちらは従来機に搭載していた航空工学を応用したもの |
このときの試作したデザインは50種類以上。しかも、それらをコンピュータによるシミュレーション技術を使うのではなく、すべて実機として試作品を作った。
「どんな成果が得られるのかわからない研究テーマ。コンピュータ上のシミュレーションでは成果を導き出すことが困難だと感じた。最初から最後まで実際に試作品を作り上げ、計測を行ない、完成度を高めていった」という大塚氏のこだわりが、この成果を生んだともいえよう。
■驚くべきプレゼンテーションで社内を説得
実は、ここでもう1つの裏話がある。
大塚氏は、この研究を開始するのにあたり、研究開発本部に提案。その際のプレゼンテーションで「紙飛行機」を飛ばして見せたのだ。
シャープには、社内提案制度として、シャープ・ドリーム・テクノロジー(SDT)がある。短期間で研究開発成果を求めているのではなく、将来に向けての中長期的な研究開発テーマとして取り組むプロジェクトである。大塚氏が取り組む生態模倣も、このSDTに認められた研究開発テーマである。
研究開発本部でのプレゼンテーションにおいて大塚氏は、紙飛行機を力強く飛ばし、一度揚力であがった紙飛行機がすぐに落下する様子をみせた。さらに、両手に団扇を持って、くまんばちがどんな羽の動き方をして、揚力を実現しているのかをみせた。
「揚力が無くなれば、飛行機は墜落してしまう。しかし、昆虫は羽の形状と、その回転運動の仕方によって揚力を生みだし、飛び続けることができる。そこにはまだ解明されていないものもある。理論上、絶対に飛び続けることができないとされる昆虫が飛び続けている例もある。そうしたものを白物家電のなかに応用したい」
プレゼンテーションを聞いていた幹部たちは、その提案に度肝を抜かれた。
「海のものとも、山のものともわからない提案をする際には、意外性が一番」と、大塚氏はニヤリと笑う。
■エアコンの省エネを形状の変更だけで実現
シャープのエアコン「B-SXシリーズ」 |
「エアコンは、家庭の消費電力の約25%を占める商品。省エネ化は常に避けては通れない課題。そこに、生態模倣によって、形状を変えるだけという最低限のコストで、大幅な省エネ化を実現することに成功した」というわけだ。大塚氏が感じていた航空工学による「壁」を打破することに成功したともいえる。
この技術は、その後、同社のウォーターオーブン「ヘルシオ」の冷却ファンにも活用されている。
■トンボの羽に航空工学を組み合わせる
鳥の形状とともに、大塚氏が興味を持ったのは、トンボの羽であった。シミュレーション技術の進化などを背景に、最近になって、これまで不透明だった生態が明らかになった事例の1つだ。
研究発表によると、トンボの羽の断面にはギザギザの形状があり、これが飛翔に対して、大きな意味があるというのだ。
そこでエアコン室内機のなかで利用するクロスフローファンに、この応用を考え始めた。
トンボの羽の断面のギザギザは、渦を形成し、風圧に逆らわない流線形の流れを形成。羽の壁面に風が沿わないため、壁面と風の間の摩擦抵抗が小さく、高効率だという。さらに超薄肉でも構造的に強いという特徴がある。しかし、その一方で、圧力損失に弱く、室内機のファンとしては有効に活用できないという問題も発生した。
そこで圧力損失に強いとされる航空機翼型の形状を組み合わせ、課題を克服。軽量で、揚抗比が高く、圧力損失に強い翼形状を実現したという。
効率化で約30%増となったほか、軽量および省資源化により10%の低減、低騒音化で5dbの削減を達成した。
トンボの羽の断面にある凹凸を施したファンの翼(手前)。奥は従来のもの | 手前がトンボの羽形状を活かしたクロスフローファン、奥は従来タイプ | ファンを改良したことで、消費電力を約30%削減できたという |
トンボの羽の形状を活用したシロッコファンを搭載したプラズマクラスター加湿空気清浄機 KI-AX80/KI-AX70 |
「トンボの羽はシロッコファンへの応用が難しく、あきらめてかけていた。最後に、これをやって駄目だったら考え直そうと思っていた挑戦が成功した」と、大塚氏は裏話を披露する。
これも、「なにが起こるかわからない」という研究テーマにおいて、実際の試作品を作り続けた成果の1つだといっていい。
空気清浄機に搭載しているシロッコファン | 横から見ると凹凸がはっきり分かる | 従来タイプでは凹凸がない |
■イルカの生態を洗濯機に活用する
プラズマクラスター洗濯機 ES-TXシリーズ。イルカの生体模倣を施したパルセーターを搭載する |
鳥やトンボの生態模倣で成果をあげた大塚氏は、きっかけとなったイルカの生態を、白物家電に活用できないかという研究を開始しはじめた。
そして、これは、これまでエアコンや空気清浄機による「風」を対象としていた大塚氏の技術応用範囲を、「水」にまで広げることになった。
すでに学会では、イルカが筋肉量以上の高速遊泳を可能としている「グレイのパラドックス」を解明する仮説として、いくつかの研究結果が発表されていた。
たとえば、イルカの高速遊泳時には、イルカの腹部に、流れに対して垂直方向に複数のしわができること、イルカの尾びれが三日月翼であり、これが高速遊泳を助けているという点などだ。
流れと垂直に溝を作れば抵抗を生むのではないかと考えがちだが、仮説では、これが高速遊泳時に抵抗を少なくする仕組みになっているというのだ。
大塚氏は、縦型洗濯機の底面に設置している水流を起こすための羽根「パルセータ」の改良に取り組み、イルカの表皮しわとイルカの尾ビレの形状を模倣することで、水の摩擦抵抗を低減し、さらに強い水流を作ることに成功した。
パルセータの表面には、表皮しわを再現した溝をつくり、これをもっとも水の摩擦抵抗がなくなるように十字方向に平行に配置。さらに、これを挟むように四つ葉のクローバー形状にも溝を作った。ドルフィンスキャンパルセータと名付けたこの仕組みによって、水の摩擦抵抗を低減。モーターの負荷も軽減できたという。
また、パルセータの裏側には、イルカの尾びれのような三日月翼を4方向に配置。裏側に入り込んだ水をこれによって掻き出す「ドルフィンクキック水流」を実現したという。
イルカの表皮しわとイルカの尾ビレの形状を模倣したパルセーター | 水の摩擦抵抗を少なくする溝を設けた | 裏側には、イルカの尾びれのような三日月翼を4方向に配置している |
2つの仕組みも組み合わせによって、水平方向の水流だけでなく、上下運動と回転運動を組み合わせた複雑な強い水流ができ、洗浄力は15%上昇、洗浄ムラも30%低減したという。また、洗浄時間や消費電力はそれぞれ18%減少し、水量を15%削減、洗剤量を50%低減しても同じ洗浄力を達成したという。
「もみ洗いとねじり洗いの両方が可能な水流が生み出され、洗浄力を向上できた。また、モーターの強化によって水流を作り出してはいないため、消費電力を抑えながら洗浄力を高め、同時に生地の傷みも低減している」という。
■ネコの舌構造をサイクロン掃除機に採用する
ごみを圧縮することで、ごみ捨て回数を少なくした「プラズマクラスターサイクロン掃除機 EC-WX300」 |
これはサイクロン掃除機のゴミ圧縮ブレードに採用した技術である。
サイクロン掃除機では、サイクロンカップ内に吸引したゴミを蓄積し、これを圧縮して、まとめて捨てるという構造になっている。この仕組みにネコの舌を応用したという。
「ライオンやトラ、ネコなどのネコ科の動物の舌はいくつもの役割を持っている。イヌ科の動物に比べて、アゴが弱く、骨から肉をこそげ落とすヤスリの働きや、獲物に自らの体臭を察知されないようにグルーミング(毛づくろい)を行なうクシとしての役割がある。ネコ科の動物の活動時間の3分の1がグルーミングに費やされているという調査結果もある。舐めとった毛は胃で毛玉として蓄積され、定期的に吐出される。ここに注目した」というわけだ。
吸引したゴミを圧縮するスクリューフィンの最下層部に、ネコ科の動物の舌の構造を模倣したトゲ状突起を多数設けたことで、ゴミと空気の分離性能が高まり、繊維系のゴミでの圧縮性能を向上。これがひっかかりとなり、圧縮したゴミが再膨張しない形で蓄積できるという。ゴミは10分の1程度にまで圧縮が可能となり、ゴミの処理は2週間に1回程度で済むようになったという。
もちろん、安全性に配慮するため、素材や固さなどにも細心の配慮を行なっている。
サイクロン掃除機でゴミを圧縮する圧縮ブレード | 表面には猫の舌を再現した凹凸が設けられている |
■自然の力を製品に生かす文化を持つ
シャープでは、今後も継続的に、生態模倣を取り入れた製品開発を進めていく考えだという。
現在、生態模倣の研究を行なっているのは大塚氏をはじめとして8人のメンバー。航空工学や船舶海洋工学の専門家のほか、生物学を学んできた研究者も所属している。
「シャープのすべての製品に生態模倣を応用したい。中国やASEANでも省エネへの関心が高まるなかで、生態模倣技術は、これらの国に向けた製品でも応用できる」と大塚氏は語る。
新たなモーターや半導体を開発して省エネを図るのではなく、デザインの改良だけで省エネが図ることができる生態模倣は、低コストでの省エネ化が可能であり、ASEANなどでの価格競争力維持にも貢献できる。
その一方で大塚氏は、「生物を単に模倣するだけでは、必ずしも成果を得られない」とし、「生物が持つ特異な形状と、生息する環境との適合、それを実現する物理現象や作用メカニズムに鑑み、同様の作用メカニズムを奏する形状を付与する必要がある」とも語る。
大塚氏は、自ら学会などに足を運んで情報を得て、それをどう白物家電に応用するかを常に考え続けてきた。そして、自らの発想の立ち位置を変えて、研究テーマに取り組んできた。
「エアコンの風を上方向に吹き出せば、水滴がたまり、エアコンの下に置いてあるテレビに水滴が落ちる。上方向に冷気が吹き出す仕組みは、エアコンではありえないというのが入社当時の常識。だが、そうしたタブーにも取り組んだ結果、新たなエアコンを完成させることができた。駄目といわれたことを、極端に強調してやってみるということが、解決の糸口につながることもある。シャープには、そうした新たなことや、タブーといわれることに挑戦する文化が残っている」と胸を張る。
続けて、「あまり大きな声ではいえないが」としながら、大塚氏は、「いまは、蝶やペンギンに興味がある」と明かしてくれた。たぶん、この生態を研究した成果が、近い将来、シャープの白物家電に応用されることになるのだろう。また、同時に、「台風や気候、大地といった自然の生態というものも研究していきたい」とも語る。
振り返れば、シャープの創業者である早川徳次氏は、自然から学び、自然の力を利用したいという想いを持ち続け、太陽電池の開発に着手した。
「無限にある太陽熱や太陽光線で電気を起こすことを工夫をすれば、人類にどれだけ寄与するか、はかりしれないものがある」と早川氏は生前に語っていた。
つまり、もともとシャープは自然の力を生かす電機メーカーだということもできる。
自然の仕組みを取り入れる生態模倣への取り組みが加速するのは、シャープという企業にとっては、自然の流れだったのかもしれない。
2012年2月23日 00:00