藤原千秋の使ってわかった! 便利家事アイテム
ニトリの汁椀で、ミニマリストに1歩近付く
2021年10月25日 06:05
じつはわが家には食器棚がない。
絶対買わないぞと強く決めていたわけでなく、「いつか必要になるかもね」くらいのゆるい気持ちでいる間に20年以上経過してしまった。
これまで暮らしてきた家々にはキッチンの引き出しや吊り戸棚があったので、おおむねそのスペースで片付く程度の食器量でまかなってきてしまったのだ。
ただ吊り戸棚は目より高い位置にあり、いつも地震が怖い筆者は「割れ物はしまわない」ことにしていた。
自然に、陶器や磁器ではなく木の食器を買い集めるようになった。特に気に入ったメープルにウレタン塗装が施された素朴なボウルや平皿は揃いで買った。そのうちの半分は割れたが(木でも割れるのである)、残りは十数年経っても現役だ。
腰より低い位置にある引き出しなどには、普通の磁器のカレー皿や飯碗等の食器をしまってある。
子育ての生活の中で、食器が欠けたり割れたりするのを許容できる価格帯と美観のバランスを取るのはなかなか容易ではないが、そういう些事をあれこれするのが、暮らしというものの一種の醍醐味であるとは思っている。
さて、「性癖」という言葉がこれにふさわしいか、あまり自信はないのだが、筆者は物心ついた頃より「入れ子」構造に目がないのであった。遡れば子ども時代にもらった「マトリョーシカ」。そして大人になってから知った「応量器」。入れ子を見ると謎に胸が高鳴る。いわゆる「萌える」のである。
マトリョーシカはともかく、「応量器(おうりょうき)」には聞き覚えがない人も多いだろう。これは禅宗の僧侶が使う入れ子の個人用の食器のことで、托鉢などにも用いる。一生使うので漆器が主で、市販もされているが決して安価ではない。
じつは「入れ子」と同じくらい筆者を魅了してやまないものに「タイニーハウス(小さな家)」という建築的ムーブメントがあるのだが(キャンピングカーがいつか欲しいクチである)、要はその思想に基づく暮らしを現実化するにあたってのミニマリズムを、この「応量器」はそれだけで体現している。
とはいえ筆者の実際の暮らしは子育て中で、いかんせんマキシマリズム一方向にある。矛盾を孕みつつ、せめてもの憧れを具現化するにあたり、筆者は近所のニトリで「汁椀 MULTIWAN」の食器を見つけたとき、喜びで「わなわな」してしまったほどだった!
S、M、Lの3点のみではあるがぴったり入れ子になるサイズ感と、シンプルでありながら行きすぎない絶妙な美。と、お値段。
3点揃えて1,000円チョット。家族5人分でも5,335円。身の丈ではない応量器構想の実現、ハードルが一気にだだ下がる。お財布に優しすぎるではないか!
言っても子どもがいる暮らしも残り10年。計30年程度で終わる。慌てなくても暮らしがミニマムになる日はやってくる。
大(学生)中(学生)小(学生)の三姉妹を眺めつつ、掌に納めるS、M、LのMULTIWAN。日々の些事こそ人生の醍醐味なのだと考え、ほろりとしてしまう晩秋なのである。