【特別企画】
シャープ、「誠意と創意」の歴史を辿る 第1回
今回からシャープの歴史について全6回で連続掲載いたします。(編集部)
第1回/第2回/第3回/第4回/第5回/第6回
シャープの歴史ホールがある奈良県天理の総合開発センター |
シャープ歴史ホールは、奈良県天理市にある。
ここには、シャープの創業時からの歴史的製品が展示されている。
社名や商標の由来となったシャープペンシルのほか、ラジオ、テレビ、冷蔵庫、洗濯機、電子レンジ、パソコン、ワープロといった歴代製品、さらには太陽電池や液晶テレビといった、いまのシャープを代表する製品の歴史を辿ることができる。
そして、これらの製品から、創業者である早川徳次氏が実行してきた「真似される商品をつくれ」という信条、そして1973年に経営信条として掲げた「誠意と創意」を読みとることができる。それはとりもなおさず、シャープが目指す「オンリーワン」製品の開発の歴史だと言い替えることができる。
まずは、1回目として、シャープの歴史ホールから、同社の歴史を探ってみたい。
シャープ歴史ホールは、天理市の同社総合開発センター内にある。
近鉄奈良駅やJR奈良駅から車で約15分。西名阪自動車道の天理インターチェンジからは車で約3分という場所だが、決して地の利がよくはないため、フラっと立ち寄れるという場所ではない。また、訪問するには事前の予約が必要だ。研究開発本部という技術開発の総本山のなかにあるため、入口そのものの入館チェックも厳しい。
シャープの歴史に触れる場としては、ほかに類を見ない展示内容なのだが、あまり多くの人が訪れる場にはなっていないのが残念ではある。
だが、シャープが天理の地に歴史ホールを設置していることには大きな意味がある。
1970年に完成した総合開発センターは、資本金が105億円であった当時、75億円という費用を投じて、最先端のLSI量産工場と、将来の技術を開発する中央研究所、人材育成を行なう研修所を併設し、建設された施設だ。
同年に開催された大阪万国博覧会に、大阪に本社を置く企業であるにも関わらず、シャープは出展を見送り、出展のために予定していた費用を、すべて総合開発センターへと投資したのだ。
大阪万博が開催された大阪・千里の地をひきあいにし「千里より、天理へ」と、この決断が称されたように、半年間で取り壊すパビリオンよりも、企業体質の強化に投資することをシャープは選択した。
その後、天理の総合開発センターでは、LSIの量産工場の稼働により、その後の電卓戦争において優位性を発揮する一方、最先端のデバイス技術や液晶技術などを天理の地から生むといった成果をもたらした。
それから先も、シャープの成長基盤の礎になる拠点と位置づけられるとともに、技術創出の頭脳を集積した場としての役割を果たし続けている。
東京・本所で設立した早川兄弟商会の社章。Tは、徳次の頭文字。自力でわが仕事を支持している意味をもたせた |
その点から考えても、1981年に、ここに歴史ホールを設置したことには、大きな意味がある。
「創意のあゆみ」をテーマとする歴史ホールに隣接する形で「未来をひらく」をテーマにした技術ホールが設置されている。まさに、過去と未来を象徴する展示がここで行なわれているのだ。
ちなみに、総合開発センターの建設中に、敷地内に古墳が見つかった。シャープでは、これをそっくり保存することを決定。それはいまでも保存されている。古墳と最先端技術が同居するユニークな拠点ともいえるのだ。
歴史ホールを入ると、創業者である早川徳次氏のレリーフが掲げられ、その下には歴史ホールのテーマである「創意のあゆみ」という言葉が刻まれている。
歴史ホールの入口に飾られている早川徳次氏のレリーフ | 歴史ホールの様子 |
それを横目に展示ゾーンへ進むと、最初に目につくのがシャープペンシルだ。試作品や海外で販売したものを含めて、初期に作られた数多くのシャープペンシルが並べられるとともに、1921年(大正10年)当時のシャープペンシルの生産工程の様子が模型で再現されている。
1921年当時のシャープペンシルの生産工程の模型 | 展示されているシャープペンシルの数々 |
現在の社名や商標のもとになっているシャープペンシルが、早川徳次氏によって考案されたものであることは多くの人が知っているだろう。だが、早川氏は、シャープペンシル以前に、ベルトのバックルを考案し、この特許をとっていたことはあまり知られていないのではないだろうか。実はこれが早川氏の特許第1号である。19歳の時のことだ。
早川徳次氏が19歳の時に特許をとった徳尾錠 |
自らの名前を一文字入れた「徳尾錠」と呼ばれるこのバックルは、バックルに細いコロを採用することで、ベルトに穴を開けずに好みの位置で固定できるようにしたものだ。大正元年(1912年)当時の卸価格で1銭。いきなり33グロス(約5,000個)の注文が舞い込むなど、大ヒットし、奉公から独立の道を歩むことになる。
この徳尾錠も、歴史ホールで見ることができる。
シャープは、創業以来の精神をもとに、1973年に経営信条として「誠意と創意」を明文化。これを「二意専心」とし、「この二意(誠意と創意)に溢れる仕事こそ、人々に心からの満足と喜びをもたらし真に社会への貢献となる」としている。
また、誠意と創意には「誠意は人の道なり、すべての仕事にまごころを」、「和は力なり、共に信じて結束を」、「礼儀は美なり、互いに感謝と尊敬を」、「創意は進歩なり、常に工夫と改善を」、「勇気は生き甲斐の源なり、進んで取り組め困難に」という言葉がともに示されており、それが経営信条として唱われている。
そして、常々、早川氏が言い続けてきたのが「他社に真似される商品をつくれ」という言葉だ。
徳尾錠やシャープペンシルが、早川氏の独自性溢れるアイデアをもとに製品化したものであるのは明らか。まさに、早川氏の根幹ともいえる姿勢が、シャープの経営信条に盛り込まれているといえる。
大阪へ移転後の鉱石ラジオの試験風景の模型 |
鉱石ラジオは、大阪で再出発を果たした早川氏にとって、大きな一歩を踏み出した製品であり、歴史ホールも、そのテスト風景の模型から先が、シャープが世に送り出した数々の歴史的製品を、年代を追って展示する構成となっている。
ここで展示されている製品については、別の機会に順を追って、紹介したい。
そのほか歴史ホールでは、シャープの歴史年表、かつての広告、社章などを展示。昭和30年代の街頭テレビを模した展示も用意されている。
昭和30年代の街頭テレビの様子を再現した | かつての歴史的製品が一堂に展示されている。こちらは31年発売のラジオであるシャープダイン |
53年発売のシャープの第1号白黒テレビ | 58年発売の水冷式クーラー |
加えて、NASAコーナー、人工衛星うめの模型も展示している。
なぜシャープがNASAや人工衛星に関する展示をしているのかという疑問もあるだろう。実は、この2つには、それぞれシャープと深いつながりがある。
NASAとのつながりは、人類が初めて月面に着陸したアポロ11号にまで遡る。シャープは、アポロ計画の推進役であった米ノースアメリカン・ロックウェル社と、アポロ11号が飛び立つ直前の1969年に技術提携。当時の佐伯専務が、半導体の固まりであるアポロの宇宙カプセルを見学し、それがきっかけとなり半導体事業の自社生産に取り組む決意をしたという。それが、その後の「千里より、天理へ」と呼ばれる半導体工場を核とした総合開発センターの建設へとつながり、シャープによるアポロ計画への貢献にもつながっている。
NASAコーナーでは感謝状や写真、記念品などが展示されている | 人工衛星「うめ」の模型を展示。まわりに太陽電池が貼り付けられている |
一方、人工衛星うめは、宇宙開発事業団(現宇宙航空研究開発機構)が、1976年に打ち上げた日本初の実用電離層観測衛星。ここに、シャープの太陽電池が、電源用として4,940枚採用されており、同社の太陽電池の高い信頼性、安定性を証明するものとなったのだ。
こうした経緯から、歴史ホールにはNASAコーナー、人工衛星うめコーナーがあるのだ。
歴史ホールの最終展示コーナーである液晶/LSIの展示コーナーを抜けると、そのまま技術ホールにつながっている。
技術ホールは、創業以来続く「モノづくりの遺伝子」を最新技術として展示することを目指すとともに、環境先進企業を目指す同社の取り組みも紹介されている。
展示は、太陽光発電やLED照明などの環境技術コーナーのほか、要素技術コーナー、ソフトウェアコーナー、液晶技術コーナーに分類され、それぞれ最新の技術が展示されている。
技術ホールでは、太陽光発電などの同社の最新技術を展示 | 環境先進企業としての環境技術の展示にも力が入る | 最大となる108インチ液晶ディスプレイも展示している |
なお、シャープ歴史ホールおよび技術ホールを見学するには、1週間前までの予約が必要だ。申込先は、0743-65-0011。開館時間は、午前9時30分から午後5時まで。土日祝日、会社の休日が休館日となっている。見学の所要時間は約1時間となっている。詳細は、こちらの同社ホームページを参照してほしい。
次回以降、早川徳次氏の足跡や、シャープの歴史を追ってみる。
2010年1月12日 00:00