ぷーこの家電日記

第438回

3年ぶりの帰省と子供の頃の旅行の思い出

お爺ワンコが虹の橋を渡って、初めてのお盆。犬にはそんな概念ないのだろうけれど、きっと私に付き合って代々の犬猫たちとともに帰ってきてくれたと思う。今は仏壇もないマンションに住んでいるけれど、今欲しいもの、「仏壇」。手を合わせて心で対話するって、生きている私にとって心が落ち着いて大切な時間になるよなぁと。現役猫たちが灰をバーンと蹴散らすのでお線香もあげられなかったけれど、扉付きのお仏壇があれば多分安心。

動物達の供養もだけれど、この何年もお墓参りひとつ行けていない私は、ちょっとご先祖様にもご挨拶に行きたい。供養だとかお墓参りだとか全然おざなりにしてきたまま生きてきたけれど、年々少しずつ大切な存在になってきた。そうなったのは自分が歳をとってきたということでもあるだろうし、子供の頃に親がしっかりやっている姿を見てきたからこそだと思う。私が子供の頃の親の年齢をすっかり追い越した私は、まだまだちゃんと大人になりきれてないなと反省もする。

昭和の猛烈サラリーマンという感じの父は、私が子供の頃は起きている時間に帰ってくることはほとんどなかったけれど、土日は公園でボール遊びなどめっちゃやってくれたし、図書館で借りてくる紙芝居を身振り完全なりきりで読み聞かせしてくれたし、狭い畳の部屋で風船を使ったバレーボールなんかもムキになって必死にやってタンスの角にぶつかって悶絶なんてしていた(笑)。

戦争直後に生まれた両親は、まだ戦争の色が濃く残る時代を生きていた。母の兄姉は満洲生まれで、母は日本で生まれ育ったけれど、10歳で父親を亡くし、祖母が必死に働いて子供たちを育てていたようだし、父もあまり語りたがらないけれど、炭鉱の街で複雑な家庭で育ったようだ。早くに妹を亡くし両親と異母兄弟である兄と姉、そしてそのお姉さんは戦後米兵のところに嫁ぎ、そのままアメリカに渡ったのか、行方は分からない。いわゆる戦争花嫁というヤツだ。

一度「探してみたいと思ったことある?」と聞いてみると「昔はそう思ったこともあるけれど、今は幸せだし、過去よりも今と将来を大切にしたい」と言っていた。なので、私も捜索方法など調べたことないわけではないけれど、何もしないままここまでやってきた。

そんな両親だったので、自分が家族を持った時に、とにかく家族を大切にしてくれた。「俺の1番大切なのはファミリーだ!」と何度聞いたか分からない。両親ともに高校に行くために奨学金をもらいながら、文具ひとつ買うためにバイトをして、進学校に通いながらも進学なんて選択は許されなかった両親は、自分達にできなかったことを私たち兄妹にさせてあげようと必死で働き教育も与えてくれた。

いわゆる貧乏な家庭だったけれど、私は自分が貧乏ということを自覚することもなく、不自由なく、そして我儘に(笑)育った。後で考えると「確かに何も買ってもらえなかったー(笑)」みたいな感じ。兄は誰かにからかわれたのか、「うちってビンボーなの?」と、小学1年生くらいのときに言ったらしく、母が時々幼ない兄のモノマネしながらケラケラ笑っていた。

貧乏ではあったけれど、年に1度家族旅行をする! と決めていたようで、毎年大体お盆の時期に旅行に行ってた。我が家の1大イベント! 毎日夜遅くまで仕事をしているのに、渋滞を避けるために、朝の3時とか4時とかに車で家を出発するのだ。お父さんお母さんという生き物は難儀で大変ですごい生き物だなぁと、今全力で子育てをしている全お父さんお母さんにも敬意しかない。

いろいろ行った旅行の中で1番印象深く、いつも思い出すのは、四国巡りの旅に行ったときだなぁ。子供には高すぎる湯温の道後温泉にのぼせそうになったなとか、尾長鶏というとにかく尻尾が長い鶏がすごく綺麗だったなとか、父が会社の付き合いで買った大量の花火セットを砂浜でみんなでやって感動したなとかとか。40代になって涙腺のパッキンがめっぽう弱くなってしまった私は、思い出しただけでもう泣きそうだ。

両親と住んでいた時間よりも、別で暮らしている時間の方が長くなってしまい、そんなに急いで自立したがらなくてもよかったじゃないと、若い頃の私に言いたくなるくらい、ずいぶん大人になってしまったけれど、別々に暮らしているとは言え、いつでも帰れると思っていた実家が、なかなか帰れない遠い存在になって早3年。今年の夏休みは3年ぶりに実家に帰省する。思いを募らせている間にいろんな思い出が溢れ出しちゃっているので、たくさん思い出話がしたいなぁ! 多分楽しくて酔っ払ってぐだぐだで真面目な話なんてせずに終わっちゃうんだろうけど(笑)。

そういえば、九州の片田舎育ちで、封建的な考えとか根強く残っている中、我が両親はこんな糸が切れた凧みたいな娘をよく見守ってくれたもんだ。自分が苦労した同じことを一度知るべきだという考えも持たず、幸せになってほしいという目的と、こうすれば幸せになれるという手段とが入れ替わることもなく、なんて賢明で壮大な愛に守られていたんだろうかと、愚かな娘は今頃になってやっとで気付くのだ。

旅行に行って何十年も経っても特別な思い出として残るわけだから、それを完全に制限されたこの3年の影響はきっと地味に大きいのだと思う。まだまだいろんな制限は続いているけれど、今の子供たちにも少しずつ思い出を取り戻せる夏になってほしいなぁと心から願っているのであります。

あぁ、今回はちょっとしんみりしちゃった。終戦記念日にお盆に、この時期はつい、いろいろ考えてしまうけれど、これはきっと考えるのをやめちゃいけないことだろうなと思う。これからの平和と健康を祈りつつ……。

徳王 美智子

1978年生まれ。アナログ過ぎる環境で育った幼少期の反動で、家電含めデジタル機器にロマンスと憧れを感じて止まないアラフォー世代。知見は無いが好きで仕方が無い。家電量販店はテーマパーク。ハードに携わる全ての方に尊敬を抱きつつ、本人はソフト寄りの業務をこなす日々。