老師オグチの家電カンフー

液晶テレビは和室の畳なのかもしれない

カンフーには広く「訓練を積み重ねる」といった意味があります。「老師オグチの家電カンフー」は、ライターの小口覺が家電をネタに、角度を変えてさらに突き詰めて考えてみるコーナーです
13年間つつがなく稼動してくれた32型BRAVIA(部屋が汚いのでモザイクをかけています)

13年ぶりにテレビを買い替えました。普段ほとんどテレビを見ないんですが、老眼が進み、野球中継でカウントや選手の名前などの文字情報が読めなくなりましてね。ローガンに大画面は大正義ということで。32インチから50インチへ。それがダイニングに置けるギリギリのサイズでした。東芝の4Kで68,648円(Amazon.co.jp)。汚い言葉を使いますが、クッソ安くないですか?

前のテレビを買った2008年は、忘れもしないリーマンショックが起こり、iPhone 3Gが発売され、オリンピックが北京で開かれた年でもあります。その前は、液晶テレビが1インチ1万円を切ったら普及すると言われた時代もありました。32インチが32万円で「安くなったなぁ」と思っていたわけですが、今や1インチ1,400円ほど。さらに録画用に買った4TBのハードディスクは1万円しませんでした。

普及すると価格が崩れるのは工業製品の常ですが、テレビには、必要なものにはお金を出したがらない人間の心理も関係している気がします。子どもの頃、親に「お金を使うときはよく考えて、必要なものを買いなさい」と言われた人もいるでしょうが、実態は逆です。

例えば、生活に必要な衣類。ユニクロの登場で普段着は安くなりましたし、スーツも昭和の時代に比べれば10分の1ぐらいの値段になっています。スマホも生活必需品になったので、料金は下がりましたし、端末も「安いのでいいや」という人が増えています。必需品は必要な数以上には売れませんから、売る方も高くしにくい。品薄でトイレットペーパーを買い占める人がいても、トイレの回数を何倍も増やせる人はいませんからね。

反面、必要でないものほど、高額でも売れます。生活がカツカツなのに、毎月何万円もゲームの課金に費やす人、腕は2本しかないのに、高級腕時計を何十個も持っている人は珍しくありません。実用性のなさではアート作品も強く、それだけにクルマや家よりも高い価値が付けられます。

生活必需品は、“払わなければならない”後ろ向きの出費ですが、非実用的なアイテムは、ピュアな欲望なのでプライスレス。心の満足度が大きい。なので、アパート暮らしでフェラーリを買う人が出てくるのです。

テレビは、生きていくのに絶対必要ではありませんが、2人以上世帯の普及率は96%ですから、あって当たり前の存在ではあります。若者のテレビ離れと言われても、YouTubeでテレビ番組の転載を完全に排除したら、買う人は増えるんじゃないでしょうか。ライフスタイルとのズレが生じ、特に欲しいとは思ってないけど、ないと寂しい。例えるなら、和室の畳みたいな存在。積極的に交換したいと思うことは少ないけど、新しくすると気持ちが良く快適。引越しやリフォームを機に新しくなるのも似ています。

ちなみに、テレビも80インチになると、畳1枚(江戸間で880×1,760mm)より縦横ともに超えています。いずれ80インチクラスも今の50インチと変わらない値段になるのかもしれませんが、部屋は簡単に大きくできないからナァ。次にテレビを買い替えるときは、どんな世界になっているのでしょうか。

そのままじゃ50インチは無理なので、テレビラックを新調。Amazonで7,280円でした
東芝「REGZA 50C350X」を設置。畳とテレビは新しい方がいいですな(著作権のため画面にボカシをかけています)
4TBのHDDが1万円しないって、未来を生きているんだなぁ
小口 覺

ライター・コラムニスト。SNSなどで自慢される家電製品を「ドヤ家電」と命名し、日経MJ発表の「2016年上期ヒット商品番付」前頭に選定された。現在は「意識低い系マーケティング」を提唱。新著「ちょいバカ戦略 −意識低い系マーケティングのすすめ−」(新潮新書)<Amazon.co.jp>