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パナソニックが考える究極の懐中電灯とは 後編

~60年前の社内報で募集した「懐中電灯」という製品名

 パナソニックの懐中電灯についてご紹介している。前編では、新製品を通して、パナソニックの懐中電灯の魅力をお伝えした。後編では、1923年(大正12年)から携帯できるランプを作り続けているという同社の歴史に迫る。

初めて携帯型のランプを開発したのは大正12年だった。当時は、石油ランプやろうそくが主流だったが、電池と豆電球の組み合わせて長寿命のランプを制作した
パナソニック AIS社守口工場の資料室で保管されている大正12年に開発されたランプと同タイプの製品。その独特の形から「砲弾型ランプ」と呼ばれていた
砲弾型ランプで採用されていた電池

社内報で募集した「懐中電灯」という製品名

 今ではすっかり定着している懐中電灯という言葉だが、意外なことにその歴史は60年ほどとそれほど古くない。パナソニックが「懐中電灯」という命名をした製品は今から60年前に発売された。とはいっても、それは懐中電灯という名称を得た製品という意味で、もちろん、それ以前にも携帯型のライトは存在する。

 当時の社内報によると、「懐中電灯」というのは、社内公募で選定されたネーミングで、それ以前の筒型の携帯電灯は、探見ケースや電池ケースなどと、名付けられていた。

 パナソニック AIS社 エナジーデバイス事業部 応用商品グループ 企画チーム 主任技師 大井秀典氏によると、大阪市守口市にあるパナソニック AIS社 守口工場には当時の製品がそのまま残されているという。

エナジーデバイス事業部 応用商品グループ 企画チーム 主任技師 大井秀典氏
大阪市守口市にあるパナソニック AIS社守口工場
歴代の各モデルが大事に保管されていた

 「手元にある一番古いカタログは、昭和12年のものでした。製品そのものに関しては、発売当時のものは見つからなかったのですが、カタログに掲載されている製品と同タイプの製品が資料室から見つかりました」とさまざまなタイプの懐中電灯を見せてくれた。

 昭和12年当時は、懐中電灯ではなく「探見ケース」という名称が使われていた。木製で高級感のあるタイプから、紙製でまるで万華鏡のようなデザインもものまで、そのラインナップは驚くほど、豊富だ。また、吊るして使うランタンや頭に装着して使うヘッドランプも既に用意されている。とはいえ、これらのライトが一般に普及していたのかというとそれは違う。

 「当時は炭坑の労働者や軍用に開発されたものが多く、一般家庭で使うものではありませんでした」

昭和12年当時のカタログの一部。製品名は「ナショナル標準型探見ケース」とある
小型の「ベビーライト」という製品も
「軍用ランプ」と呼ばれる角型のライト
角型ライト。裏にはナショナルのロゴが入っている
ペンライトのような細いモデルもあった
木製で高級感のあるモデル
懐中電灯と聞いてイメージしやすいのはこの形だろう
カタログで「ベビーライト」と説明されていたもの
ライトが横に付いているユニークなタイプ
電源と光源がコードでつながっているタイプ
ライトが横に配置された製品もあった
裏にはクリップが備えられている。胸ポケットなどに本体を固定することで、ハンズフリーで前方を照らすことができる
ナショナルのロゴも入っている

 では、中の構造はどうなっているのだろう。

 「今のような乾電池がまだなかったので、それぞれのライトの形状に合った専用の電池を開発していたようです。当時、電池を使う製品は、携帯ライトくらいだったので、それぞれの製品に合った電池を作ることで十分まかなえていたんですね。」

 実際、「角型ライト」の中に入っていた電池を見せてもらうと、ライトの形にぴったりとあうような、台形をしている。外側は紙製で、まるで牛乳パックのようにも見えるが、性能は確かなものだったという。

「角型ライト」(右)と当時の乾電池(左)
製品の中にすっぽりと収まるような形をしている
カバーは紙製で見た目はまるで牛乳パックのようだ
ライトの内側にあった注意書き

 「当時の一般的なライトはろうそく、あるいは石油ランプでした。電池式のライトもあるにはあったのですが、点灯時間は3時間ほどと短く、ライトの営業をする時も『どうせ3時間程度で消えちゃうんだろう』という声があったそうです。しかし、実際には30時間以上も利用できるものでした。その性能を試してもらうために、創業者の松下幸之助は販売店に無償でランプを提供していたといいます」

パナソニックAIS社の資料室には、松下幸之助の取り組みがまとめられている。30時間の点灯試験をしてもらい、納得してもらってから買ってもらっていたという
ナショナルというブランド名は、ランプを「国民と強く結びつく必需品に」したいという創業者の想いが込められているという
当時の広告用看板

 その後パナソニックは、電池専門の工場を作り、ますます電池の普及に努めた。そもそも、大井氏が所属する応用商品グループというのは、電池を使う製品を開発するために設立されたのだという。

 「パナソニックは、電池をいち早く開発・量産にこぎ着けたわけですが、当時電池を使う製品というのはごく限られてました。今でこそ、ゲームやリモコン、時計などたくさんの場所で電池を使っていますが、当時は懐中電灯くらいのもの。そこで、電池をもっと普及させるための製品を作る応用商品グループが設立されたと聞いています」

パナソニックが乾電池の自社生産を始めたのは1931年(昭和6年)のこと
当時の乾電池生産は手作業で行なわれていた。写真は乾電池を作るのに使われていた道具
乾電池の自社工場創業3年後の乾電池
パナソニックAIS社守口工場がある大阪府・守口市は松下幸之助が乾電池の自社工場を始めた場所でもある
社内には、昭和8年に設置されたカウンターが未だに残っている

従来の製品とは違うアプローチで開発されたネックライト

 「究極の製品」を目指すという新製品の開発以外にも、同社では電池製品に関する様々な取り組みを行なっている。その1つが子供達を対象とした電池教室だ。冬休みや夏休みなど、学校が長い休みに入っている時に開催される教室で、電池を作る過程を通して、電池に興味を持ってもらうことを目的としている。

 従来は、乾電池のみを作っていたが、2004年に発売した「ネックライト」が子供が使いやすいデザインを採用した製品に贈られる「キッズデザイン賞」を受賞したのをきっかけに、乾電池に加えて、ネックライトを作るプログラムも追加された。大井氏は、この教室の講師をも務める。

 大井氏の懐中電灯開発への熱い想いは前編でたっぷりご紹介したが、手作り教室で教材として扱われているネックライトもその例外ではない。これまでの携帯型ライトのイメージを覆す斬新なデザインで、2004年の発売以来注目され続けている製品だ。

首にかけて使うネックライト
欧州などでも展開している。海外モデルは日本で展開していない本体カラーを用意する

 「そもそも、ネックライトのアイディアは、釣り具ルートで販売していたヘッドランプでした。ヘッドランプは頭に固定するライトで、両手を自由に使えるのが特徴ですが、長時間付け続けると頭が痛くなるなどの問題がありました。そのため、ユーザーの間ではヘッドランプを頭にではなくて、首につけている人が多い……これを聞いたのが開発のきっかけでしたね」

 ネックライトは、個性的な形や機能が評価されて、2005年にはドイツのデザイン賞iFデザイン賞で金賞を受賞。それ以降も機能の強化を進めた。

 「小さな変更を何度かしています。たとえば、2008年発売の2号機ではLEDを3灯にして、明るさの強弱を調節できるようにしました。しかし、2011年に発売した第3弾では逆に機能を絞っています。価格を2号機の半額くらいに抑えるという目的もあり、LEDを1灯にして、強弱機能も省略しています」

 実は第3弾モデルはたまたま発売時期が東日本大震災直後だったこともあり、一時は品切れ状態にまでなったという。

 「釣り具からスタートした製品ではありますが、一度使っていただけるとその便利さを理解していただけるようで、口コミで塾帰りのお子さんや夜犬の散歩に行く方にも多く使っていただけています」

パナソニックではネックライトをデコレーションすることも提案。これは社内の女性スタッフが考案したもの。市販はされていない
本体カラーに合わせて様々なデザインを提案する

 製品自体はコンパクトだが、そこにはもちろんたくさんの技術が詰まっている。

 「ネックライトの場合、照射角度が非常に重要なポイントです。本体を首に下げた時に、真下だけでなく、前方まで照らせるように、微妙な角度調整をしています」

 また4色のカラーバリエーションを展開するというのもこのジャンルとしては画期的な取り組みだ。

 「4色展開というのは、ネックライトならではです。これまで懐中電灯のデザインにこだわる必要はありませんでした。懐中電灯というのは一家で1台使うもので、個人で持つものではないからです。一方、ネックライトは1人1個使うものなので、洋服を選ぶ感覚で選んで欲しいです」

子供達に興味を持って欲しい

 パナソニックが定期的に開催しているという手づくり乾電池教室で、ネックライトを教材として取り上げるようになったのは昨年からだという。

 「手づくり乾電池教室に関しては、かなり前から定期的に開催していることもあって、子供達が楽しみながら、手作りできるキットが既にありました。ただし、ネックライトには、そのようなキットがないので、今回のためにイチから作りました」

小学生を対象とした手づくり乾電池教室
大井氏が講師を務める
小学生と保護者が一緒になって乾電池とネックライトを作る

 大井氏が、そこまでネックライトの手作りキットにこだわった背景には、東日本大震災がある。

 「ちょっとでも、被災地の子供達が笑顔になれるような取り組みをしたい」という想いで、第1回のネックライト教室は、多くの被害が出た宮城県・石巻市で開催した。

 「電池や今回のような小型のライトは、非常時に役立つものでもあるので、プログラムとしては最適でした」と語るが、実際のキット作りにはかなり苦労したようだ。

 記者もネックライト教室に参加し、実際にネックライトを作ってみたが、その精巧さに驚いた。

 「簡単すぎても難しすぎてもいけない。子供達が自分で作っているという感覚を味わいながら、楽しく作業を進められるようにするのがポイントです」

手作り教室のために、作られた特別キット
手作りキットの内容
ニッパーを使って、つなぎ目から出ているシリコンを切るなど、細かい作業が盛り込まれている
基板を正しくケースに入れる
子供達は真剣に作業に取り組む

 参加している子供達の表情は真剣そのもの。日常生活ではまず触れることがないニッパーなども用いながら、作業を進めていく。またできあがった製品には、子供の名前を入れる、シールなどを使って装飾するなど、子供が喜びそうな工夫も随所に施されている。

 教室が開催された工場が立つ大阪市・守口市は、松下幸之助が工場を建てた場所でもある。地元や子供達との密接な関係が垣間見えた。

こちらは手作り乾電池キット
二酸化マンガンを電池ケースに入れる
仲良し姉妹も参加していた。手作り電池を使って豆電球をつけているところ

製品を作るときは、いつも究極を目指す

 懐中電灯という本来シンプルな製品であっても、ニーズの反映や使い勝手など、様々な工夫が施されているということはここまでで、おわかりいただけただろう。そんな大井氏に今後の目標を聞いてみた。

 「今後というよりも、いつものことなんですが、新しい製品を作るときは常に究極の製品を作ろうという意気込みでいます」

 究極の製品という言葉をさらっと使う大井氏は自身の仕事に誇りを持っている。

 「私は入社以来ずっと現在の事業部で仕事をしてきましたが、入社当時印象的だったのが『明るいナショナル』というスローガンでした。懐中電灯というのは、会社創業の製品だと思っているので、これからも守り続けたいと思っています」

阿部 夏子