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Apple Watchの登場で高級腕時計業界がスマート・ウォッチに動き出した

Apple Watchの登場で高級腕時計業界が動き出した

 正直なところ、「スマート・ウォッチ」に対しては懐疑的だった。もちろん、アメリカ・ラスベガスで毎年1月に開催される世界最大の家電ショーであるCESの会場では、”ウェアラブル”というキーワードが踊り、「眼鏡よりは時計の方が身につけやすい」なんて議論もされてはいた。しかし、いかなアメリカでも、普段の暮らしの中でウェアラブルを身につけた人を見かけることは少なかった。筆者の経験では、ニューヨークで最もクールなエリアであるグリニッジビレッジや、世界のIT技術の発信地にして、ギーク天国であるカリフォルニア・サンノゼなどに限られていた。

 ところが、だ。Apple Watchの発表以降、状況が変わってきた。IT業界以外の人、例えば、ファッション・ピープルや編集者といった時代をけん引する人種の集まりで、スマート・ウォッチを話題にする人が増えてきた。Apple Watchの詳細については他のリポートに譲るが、時計業界を見ると、従来のスマート・ウォッチとApple Watchの最大の違いは、機能ではなく、価格である。従来は150~300ドルあたりと、カシオ「Gショック」に代表される機能重視の実用モデルの価格帯に属していたが、Apple Watchの最高額は突出している。本物の金を使ったケースとはいっても、プレミアムな値付けなのは一目瞭然だ。

 そうなってくると、俄然、黙っていないのが、高級腕時計業界である。

 時を計るという機能だけなら、機械式の高級腕時計より、断然、1,000円のクウォーツ時計の方が精度は高い。スマホにも内蔵されるGPSや、電波時計の機能があれば、時差のある場所に行っても自動で時間を変更してくれる。もちろん、機械式時計にはそんな機能はないけれど、どちらの値段が高いかと言えば、圧倒的に機械式なのだ。機械式腕時計では絶大な力を誇るスイスの時計業界は、クウォーツの発明で一時は息も絶え絶えになったが、クウォーツの存在に目をつぶって、メカだけでどこまで精度を高められるかを追求することで、トゥールビヨンに代表される高級腕時計の世界が成り立っている。

タグ・ホイヤーがGoogle、Intelと手を組んでスマート・ウォッチを開発

 3月にスイス・バーゼルで開催された世界最大の時計ショー、「バーゼル・ワールド」は、1917年から続く歴史あるフェアだ。1986年以降、ヨーロッパ以外の時計ブランドも参加しはじめた。来場者を招待客に限るSIHH(通称、ジュネーブ・サロン)とは異なって、プレスデー以降は一般の入場ができる。2007年以降、来場者が10万人を越える規模へと成長している。

 今年は、Apple Watchの正式発表直後ということもあって、いずれかのブランドからスマート・ウォッチの発表があると噂されていた。まずはバーゼル・ワールドの開催直前、スウォッチ・グループを統べるCEOのニック・ハイエック氏が、アンドロイドとMSの両方に対応するOSを積むスマート・ウォッチの開発を宣言した。インターネットに接続できて、モバイル決済に対応するとの見通しだ。1970年代のクウォーツ・ショックから時計業界を救ったとされるスウォッチ・グループらしい迅速な対応だ。

世界最大の時計ショー、バーゼル・ワールドの会場にてインテルとグーグルとタグ・ホイヤーのロゴが並ぶ
1874年創業のタグ・ホイヤーは、レースシーンなどにおける計測器の分野で革新的なモデルを送り出してきたことで知られる。写真は今年の新作である「アクアレーサー」。左が日付表示をを備える自動巻きクロノグラフの「アクアレーサー300M CAL.16 クロノグラフ 43MM」、右は大きめな日付表示を備える自動巻きクロノグラフの「アクアレーサー 300M CAL.45 クロノグラフ ビッグ デイト 43MM」。いずれも、30気圧防水のダイバーズウォッチとなる

 そして、バーゼル・ワールドの初日。GoogleとIntelと手を組んでスマート・ウォッチを開発すると宣言したのは、スポーツ・ウォッチの名門であるタグ・ホイヤーであった。当然のことながら、Googleのウェアラブル端末向けOS「Android Wear」を活用し、Intelがハードウェアを含む技術開発を担当する。

3社の代表者がスイス製の大きなチーズの上に手をおいてスマート・ウォッチ開発の協業を宣言した。プレス向け発表会には、Intel コーポレーションの副社長兼ニューデバイス事業本部長のマイケル・ベル氏、 GoogleのAndroid Wearエンジニアリング・ディレクターであるデビッド・シングルトン氏が参加して、タグ・ホイヤーのCEOと開発担当のギィ・セモン氏が集まった

 IT側から見れば、従来のルールにない新しい分野を切り開いて利益を上げてきたシリコンバレーの会社にとっても、いざ、高級時計の世界に進出するとなると、「スイス製」のブランド力が欠かせないということだろう。時計業界から見ればもちろん、スマート・ウォッチの登場が、クウォーツ・ショックの二の舞にならないように早い段階で対策を打ったワケだ。

 時計業界の名物リーダーの一人であるジャン-クロード・ビバー氏(LVMHグループ時計部門代表兼タグ・ホイヤーCEO)に加えて、近年のタグ・ホイヤーの技術部門が目を見張らんばかりの躍進を遂げた立役者であるギィ・セモン氏(ジェネラルマネージャー)が登壇し、「タグ・ホイヤーのブランドにふさわしいスイス製スマート・ウォッチを開発する」と宣言した。開発はスタートしたばかりで詳細は明かされていないが、ギィ・セモン氏によれば、今年の後半にはコンセプト・ウォッチを見せられる予定とのことだ。

IT業界は過去にもデジタル・ウォッチに参入していた

 時計業界に詳しいジャーナリストの広田雅将氏は、“クウォーツ・ショック”以外にも70年代の半ばに時計業界を震撼させたデジタル・ウォッチの波があったという。

 「70年代半ばに、TIやIntelといったシリコンバレーのハイテク産業がこぞってデジタル・ウォッチに参入した時代がありました。当時はアメリカ製のハイテク・ウォッチがスイス時計産業を駆逐するとまで恐れられていました。しかし、最大の課題は液晶表示などの時刻を表示する部分ではなく、ケースの耐久性にありました。身に付けて使う腕時計は、計算機などよりも、ずっと高い耐久性と高品質を求められることが当時のハイテク産業にはわかっていなかったのでしょう。スマート・ウォッチでも、ケースの質感に注目したいと思っています」

 実際、筆者がカリフォルニア州・サンノゼにあるIntel博物館を訪れたとき、マイクロマの時計が展示されていて驚いた覚えがある。デジタル・ウォッチの初期には、液晶を常時点灯していると電池が持たないという課題があり、時刻を読むときにはボタンを推してLEDを点灯していた。ところが、Intelによって買収されたマイクロマが開発した液晶技術によって、常時表示ができるようになった。さらに、IntelのMOS技術で省電力を行なって、デザインが豊富になった。残念ながら、その後の競争の激化を受けて、タイメックスに売却されている。

カリフォルニア州・サンノゼにあるIntel博物館
展示されていたマイクロマの時計

 裏話をすると、この数年、時計業界において「iPhone」はケースの質感の指標になりつつあった。特に「iPhone5」の登場以降、20~50万円あたりのミドルレンジのケースの質感があがっている。ミドルレンジでは自社ムーブメントを使って差別化を図ることができないだけに、ケースでの勝負になる場合が多く、同時にこのクラスの時計を買う人は「iPhone」ユーザーが多い。実際、10万円以下で買える「iPhone」の質感に対して、その倍以上もする時計の質感が低いと納得してもらえないだろう。

 ところが、広田氏によれば、タグ・ホイヤーが属するLVMHグループは、最近、定評のあるスイスのケース・メーカーを傘下に収めたという。LVMHグループの量産効果や生産効率を生かして、より手頃な価格帯で質感の高いケースにスマート・ウォッチの技術が収まれば、スイス製のプレミアム感とタグ・ホイヤーのブランド力がスマート・ウォッチの普及をけん引する可能性すらある。

万年筆の老舗、モンブランもスマート・ウォッチを発表

 その他にも、いくつかの時計ブランドがウェアラブルへの対応を進めている。1月に開催されたジュネーブ・サロンでは、筆記具の老舗にして、近年めきめきと実力派の時計を世に送り出しているモンブランがスマート・バンドの機能を持つ腕時計を発表した。

 人気の「タイムウォーカー」のストラップ部分に取り外し可能なバンドがあり、タッチ操作ができる液晶が備わっている。スマホとリンクしてテキスト・メッセージを表示したり、カメラのリモート操作や音楽コントローラなどの機能も持たせている。加速度計を利用して、歩いた距離や消費カロリーを管理できる機能も備わる。バッテリーがどれくらい持つか気になるが、5日に1度、マイクロUSBから充電すればよい程度だという。

筆記具の老舗であるモンブランが発表した「タイムウォーカー アーバンスピード オートマティック e-ストラップ 42mm」のコンセプト・ウォッチ。スマートフォンとBluetoothでつなぐことにより、テキストメッセージを表示したり、カメラや音楽プレイヤーを操作できる。e-ストラップのみの販売も検討しているとのことだが、日本への導入は未定

 同社では、高級ペンの形状で、iPadに対応できるタッチペンも発売しており、専用アプリをダウンロードすると、万年筆やブラシ風のタッチでiPad上に文字を書いたり、絵を描くことができる。孫の代まで修理して使えることをセリングポイントとする高級筆記具の世界にとって、デジタル・ガジェットの変遷の早さは馴染まないはずだが、モンブランではiPadが時代遅れになっても、モンブランの店舗に持ち込んでくれれば、タッチペンを通常のペンに差し替える対応をしてくれる。

クロノグラフの複雑な機能をスマホ経由で操作・設定

 バーゼルに先んじて、パイロット・ウォッチなどの機能性の高い腕時計作りに定評のあるブライトリングが、スマート・ウォッチの機能を備えるクロノグラフ「ブライトリング B55 Connected」を発表した。他のスマート・ウォッチの場合、あくまで主役はスマホで、その機能の一部を時計上のディスプレイに表示するのに対して、ブライトリングではクロノグラフの複雑な機能をスマホ経由で操作・設定しようというものだ。あくまで時計が主役である。

 ブライトリングが得意とする航空時計では、時計から得た情報を使って計算をして、航空機の操作に反映する。もし、航空時計にスマート・ウォッチの機能が追加できれば、スマホと連動して様々な計算を行なうこともできそうだ。時計から生データを得て計算するのではなく、スマホのアプリを操作すれば、すぐに使える計算結果がディスプレイに表示されるなら便利に違いない。

ブライトリングの「B55 Connected」は、主役はあくまでクロノグラフ時計であり、通信や表示のデバイスをアドオンしている。Bluetoothを経由することで、スマートフォンでクロノグラフの複雑な機能を操作できる機能を搭載。航法計算や単位換算などの複雑な操作ができるので、ブライトリングが得意とする「パイロット・ウォッチ」のようなプロ向けの展開も広がりそうだ

 パイロットほど複雑な機能を必要としなくても、時計とスマホの連動は様々な応用が考えられる。例えば、時差のある場所で飛行機を降りて、スマホのGPSで得た正確な時間に機械式時計の時刻をあわせるという人も多いだろう。もし、スマホと連動して時計の時刻を自動であわせてもらえたら便利だ。外出時にスマホのカレンダー機能で次に行く場所を確認し、マップで検索した目的地までの所要時間や経路が表示されれば、常にスマホを確認をするより、消費電力の節約にもなる。

ICチップを埋め込んだブルガリの「インテリジェンス・ウォッチ」

 タグ・ホイヤーと並んで、LVMHグループに属するブルガリからは「インテリジェンス・ウォッチ」が登場している。「ディアゴノ マグネシウム」をベースにICチップが埋め込まれており、スマホを時計にかざすと、時計内のチップが応答して、アプリを起動する。スマホのアプリと連動して、IDやパスワードなどの情報を管理するので、将来的には家やクルマの鍵までスマート・ウォッチで開けられるかもしれない。

ブルガリが発表した、インテリジェンス・ウォッチ「ディアゴノ マグネシウム コンセプトウォッチ」は、世界トップクラスのデジタルセキュリティ企業であるWISeKey社とのパートナーシップによって開発された。高度なセキュリティでIDやパスワードなどの個人情報が管理できるため、家やクルマの鍵までスマート・ウォッチで開けたり、パスポート情報の管理など高度なセキュリティを扱うことも想定できるという

 タグ・ホイヤーが属するLVMHグループ、モンブランが属するリシュモン・グループと並んで、スイス時計業界におけるコングロマリットを形成するのがスウォッチ・グループだ。スマホとBluetoothでリンクして、ニュースや天気予報などを時計上に表示する。注目すべきは、スイスをはじめ、米・中などのクレジットカード会社と提携して、電子決済が可能になる点だ。今年中旬の発表を目指すとしている。

スイス時計業界を代表する巨大グループであるスウォッチ・グループがいち早く開発を宣言した「スウォッチ タッチゼロワン」。OSは、アンドロイドとMSの両方に対応する。インターネット接続、モバイル決済への対応など、18もの機能が盛り込まれる予定だ

腕時計の技術革新は常にスイスで起こってきた

 誤解を恐れずに言えば、スイスの時計業界は非常にしたたかだ。彼らには数世紀に渡って富裕層を相手にビジネスを展開してきた歴史と、近代化にあたってクウォーツ・ショックを乗り切った経験があるからだ。スイスにしかない高級時計のサプライ・チェーンを保つことにより、時計技術の革新は常にスイスで起こっている。加えて、スイスの時計ブランドは”技術革新”を腕時計という小さな世界の中で表現することに長けている。

 アップルがIT最先端の「シリコンバレー発」で勝負するなら、スイスの高級時計ブランドは「スイス製」で勝負をかける。時計ファンにとっては50年ぶりに時計を巡って壮大な戦いが繰り広げられるわけだし、ITファンにとってはまた新たな分野にITの可能性を広げていくことになるわけだ。どちらの側から見ても、行く末が楽しみな戦いになりそうだ。

川端 由美