ぷーこの家電日記

第559回

我が家の介護問題とお見送り

東京在住の私だけど、しばらく地元の福岡に帰っていた。というか今も福岡にいる。つい先日、夫の父が他界したからだ。夫は大学進学を機に親元を離れて、それから30年近く経つ。盆正月など定期的に帰省をしているとはいえ、親と暮らした時間よりも親と別に暮らしている時間の方が随分と長くなった。

私と結婚してからも、お互いいい距離といい関係を保ちつつ、会えば一緒に食事に行ったり野球観戦に行ったり。口数は少ないけれど、とても穏やかで優しく、そして一緒に飲むと凄く饒舌になって、義父と私が盛り上がり、夫が「お父さんのそんな話全然知らなかった!」と驚いたりするほどで、めちゃくちゃ楽しかった。1度も声を荒げたり、文句を言ったりすることもない、本当に素敵な人だったのである。

そんな生活がガラッと変わったのは3年ちょっと前。義父の認知症が発症してから、しばらく経ってはいたのだけど、それが進行して、性格が攻撃的になってきて、義母1人では手に負えなくなってきたのだ。義母も高齢なので、そういう時にどう福祉に繋げて、どう対処すれば良いかというのが分からない。

そこから、夫と同じく関東に住んでいる義妹と奮闘して、病院やケアマネさんたちの協力の元、一時的な措置入院を経て、施設に入ることになった。義母は1人で暮らすことになり、そのタイミングで実家に見守りカメラを設置した。遠くから見守りつつ、なんとか生活も落ち着いたと思った矢先に、張り詰めていた気がホッと抜けてしまったのか、「あれ? もしかして」なんて疑う間もないくらいに、一気に義母の認知症が現れた。

認知症にはいくつか種類があるけれど、義母は混合型認知症で、レビー小体型認知症とアルツハイマー型認知症の併発である。最初はレビー小体型認知症の症状が現れ、しっかりしている時と悪い時と症状の波も激しく、症状がひどい時は人が変わったように表情が険しくなり、幻視に悩まされながら時間帯も構わず電話をかけてきては会話にならないような話をしたり、病気だと分かっていても親のそういう姿を目の当たりにして、夫は酷くショックを受けていた。

そして家を飛び出してしまうようなこともあり、義母も急遽入院することになった。自立して暮らすのはもう無理かもしれないと思っていたけれど、薬との相性が良かったのか劇的な回復を見せ、義母は家に戻ることができた。ヘルパーさんやデイケアなどにお世話になりつつ、私は毎週せっせとご飯を作って送り、夫も義妹も時間を見つけては飛行機で帰省し、義父のお見舞いと母の相手をしながら、様々な手続きなどもこなしていった。

そんな生活を2年ほど送りながら、義母の症状も緩やかに進行していき、今ちょうど今後どうするか大きな決断が必要な時期になっている。

帰省してリフレッシュなんて遠い昔の話。夫は疲れ果て、ぐったりして戻ってくる。離れていてもそうなのだから、24時間一緒に過ごしながら介護をされている人の苦労は計り知れないものがある。

老いや死は、親から最後に受ける教育だなんていったりするけれど、正直それは渦中にいる人にとっては救われない綺麗事だと思う。ただそれでもこの3年、夫は人間的にかなり成長したなと思う。

たくさんの人に助けられ支えられて暮らしているということを経験し、人に感謝することを知ったし、見たくないことから目を逸らして逃げたり先延ばしにする癖も許されない環境ゆえに受け止めるようになり、そしてほぼ無縁だった人のために考えたり動いたりする思いやりの心も育った。

大変な渦中から半歩外の嫁という立場の私から見たら、やっぱり親から受ける最後の教育というのもあながち違っていないのかもしれないなんて思ってしまう。ただそれはあまりにスパルタで過酷なものだけど。

そして先日、義父が旅立っていった。最期は苦しまず穏やかだったことは救いだし、お別れするまでに家族に心の準備をする時間を与えてくれた。お見送りの日は2月なのに、上着もいらないほどに穏やかで暖かい日だった。3年間飲めなかった大好きだった焼酎も焼鳥も豚足も素敵な笑顔の遺影と共に供えた。

一緒に暮らしたこともなく、10数年しか知らない私でもこんなに悲しいのだから、夫兄妹の悲しみの深さは想像できないし、今は気が張り詰めているから、もう少し時間が経ってからまた一気にその悲しみを実感するのだろう。それでも全力で向き合って良いお見送りができたことで、悔いという苦しみが小さければ嬉しい。そして全力で協力し合えるほどに兄妹仲が良いということは、本当に素晴らしい財産であり救いだなと、羨ましくも思う。

悲しい出来事だったとはいえ、普段中々会えない親戚と交流できたり、たくさん笑っちゃうエピソードやちょっとしたハプニングなどもあった。お葬式は残された人たちのための大切な儀式だなとしみじみ思いながら、その面白かったエピソードをお届けしようなんて思ったけれど、今回はちょっと喪に服してのしっとりモードで。

これからもまだまだやらなきゃいけないことや問題だっていろいろあるけれど、家に戻ったら、義父がとにかく大好きだったソフトバンクホークスのオープン戦に義父も連れて行きたいなー! 縁あってこの家の一員になれたこと、私はとってもラッキーな人間だとしみじみ思っているのであります。

徳王 美智子

1978年生まれ。アナログ過ぎる環境で育った幼少期の反動で、家電含めデジタル機器にロマンスと憧れを感じて止まないアラフォー世代。知見は無いが好きで仕方が無い。家電量販店はテーマパーク。ハードに携わる全ての方に尊敬を抱きつつ、本人はソフト寄りの業務をこなす日々。