老師オグチの家電カンフー

商店街にたたずむレトロでおセンチな“家電博物館”

カンフーには広く「訓練を積み重ねる」といった意味があります。「老師オグチの家電カンフー」は、ライターの小口覺が家電をネタに、角度を変えてさらに突き詰めて考えてみるコーナーです
東京某区で見つけたクッキングヒーター。とうに販売終了されているが、値札が付いてるから婚活中!

やってるかやってないかわからない店ってありますよね。商店街で増えつつある、商品はまばらで古く照明も暗い店。客はおろか店員の姿も見えない、開店休業の上位バージョン。おそらく自己所有で家賃がかからず、店主の高齢化でそんな状態になっているのでしょうか。

個人的に気になるのは電器店です。ホコリをかぶった白熱電球、使用推奨期限の切れた乾電池、昔懐かしの宣伝素材、日の光を浴び続け色あせた生活家電、店によっては1980年代のラジカセやミニコンポが置かれていたりします。もはや売り物なのか展示物なのかも不明です。

家電製品は食品のように腐るものじゃないので放置されがちですが、モデルとして確実に古くなるので、博物館の趣さえ出てきます。冷やかしで入ってあれこれ聞くのも怒られそうな気がして、たいていは素通りするだけですが。一体、買う人はいるのでしょうか。ネットが使えず、家電量販店に行く足を持たない高齢者、昔からのお得意さんでしょうか。

クルマやカメラ、腕時計といった趣味性の高いジャンルだと、名品は時間が経つほど価値が高まりがちです。デッドストックのプラモデルを探しに地方の玩具店まわりをする人もいます。趣味性=文化的価値ですから。ラジカセあたりだと一部のモデルに価値が認められますが、白物家電は生活のための製品で、しかも新しい方が性能が良く安かったりするので、売れ残りはさらに売れなくなります。通電するものなので安全面で不安はあるし。生産終了品であれば、故障しても部品の在庫すらあるかわかりません。しいて魅力を言うなら、自然とレトロになるデザインぐらいです。

この世に生を受けたにもかかわらず、一度も電源を入れられず生涯を閉じる……。以前、粗大ゴミとして捨てられる家電について書きましたが、彼らは機能としての役割を果たしただけ幸せだったかもしれません。店先で何十年とお客さんを待っている家電、店主とともに年老い、いつ消えるかわからない家電。悲しみを感じ捕獲してあげたくもなりますが、実際に手を出したことはありません。置いておくスペースがないし。

ニュートンや宮沢賢治は生涯童貞だったと言われています。同じように、優れた歴史的価値のある家電が街角の電器店に埋もれているかもしれません。せめて博物館やメーカーの資料室あたりに救出されればと願うばかりです。

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小口 覺

ライター・コラムニスト。SNSなどで自慢される家電製品を「ドヤ家電」と命名し、日経MJ発表の「2016年上期ヒット商品番付」前頭に選定された。現在は「意識低い系マーケティング」を提唱。新著「ちょいバカ戦略 −意識低い系マーケティングのすすめ−」(新潮新書)<Amazon.co.jp>