老師オグチの家電カンフー
レトロ家電に未来はあるか?
2017年8月2日 08:00
このところ、「意識低い系マーケティング」を布教しております、オグチでございます。高い系ではなく、低い系です。上から目線の商品開発ではなく、フツーの人たちの意識をくみ取りましょうという考え方が意識低い系マーケティングです。
※初出は家電Watchのこの記事「ヒット商品を生み出す『意識低い系マーケティング』とは何か?」
思い切って言い切りますが、ありとあらゆるモノや現象は、意識の高い・低いのベクトルで説明できます。
たとえば、「メジャー」と「マイナー」では、メジャー=意識低い、マイナー=意識高い、です。スポーツ競技を当てはめてみると、人気の高い野球やサッカーは意識低い、ゴルフやクリケットあたりは、ちょっと意識高い。
「なぎなた」ぐらいになると、かなり意識高いイメージですよね。海外旅行なら、ハワイ(ワイキキ)、グアムは意識低い、イスラエルのキブツ生活は意識高い。南米のマチュピチュ、ウユニ塩湖は、もともと意識高い旅行先でしたが、近年メジャーになり意識度は低くなってきています。
「便利」と「不便」では、便利=意識低い、不便=意識高い、です。スマホのメッセンジャーは意識低くて、手書きの手紙は意識高い。「ていねいな暮らし」は手間がかかるので意識が高い。
ほとんどの人の生活は雑ですから、雑さをサポートする便利なアイテムやサービスが人気になるわけです。どうでもいいですけど、ていねいな暮らしの「ていねい」はなぜ、ひらがななんですかね。ていねいなら漢字で書けよ。
さて、今回のテーマ、レトロ家電です。マイ理論では、過去=意識低い、未来=意識高い、です。未来を見る、未来を語るのは意識高い行為。イノベーション、スタートアップ企業などがビジネスにおける意識高い代表です。
一方、過去を振り返ることや語ることは意識が低い。未来を語るスタートアップの対極にあるのが、若者に辟易されるおっさんの昔話でしょうか。
ただ、過去も長いスパンになると、「伝統」となり、意識高い方向へ向かいます。大昔は大衆娯楽だった歌舞伎や、喜劇舞台だった狂言も、今やちょっと高級なエンタメです。時間が過ぎて生き残るモノ、消えようとしているモノはありがたがられるわけです。
また、世の中全体が未来を向いている時代には、レトロデザインが意識高く評価されることもあります。バブルの時代にヒットした日産の「Be-1」あたりが、当てはまります。相対的なものですからね。
現時点において、レトロ家電は意識低いと言い切っていいでしょう。過去に人気だったデザインを真似ているわけですし、実際意識が高いメーカー、大手メーカーは、ほとんど手を出しません。でも、いいんですよ、売れれば!
今は世の中全体の意識が低くなっていますから、レトロデザインのモノは受け入れられやすくなっています。昔をよく知らない若い人にとっては、8Kテレビの未来感よりも、ラジカセの方が新鮮で、ともすれば昭和の豊かさを感じるアイテムです。
またレトロなデザインは、懐かしさだけでなく、あたたかく、居心地の良さを感じさせます。片や、未来はクールなイメージですよね。某クリエイティブディレクターのオフィスのような。
しかし、ハイセンスすぎる空間よりは、古い喫茶店のような空間のほうが人は落ちつけるものです。落ち着く=意識を低めることですから。飲食業でも、古いスナックに注目が集まっているぐらいですし。この先、レトロデザインにもちょっと注目です。
とりあえず意識低まりすぎて今は眠いです。