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暮らしを支えるLIXIL。水まわり・タイル事業100年の歩みとこれから
2024年10月9日 08:05
LIXILの水まわり・タイル国内事業100周年記念イベント「The LIXIL DAY」が9月13日、栃木県宇都宮市にある大谷資料館で開催されました。創業時のエピソードから、この地でイベントが開催された理由を知り、トイレや浴室、キッチン、水栓、タイルなど、私たちの暮らしになくてはならない水まわり製品の数々を振り返る貴重な一日となりました。その様子をご紹介すると共に、同社のこれからを探ります。
すべては帝国ホテル旧本館「光の籠柱」から始まった!
今回のイベント「「The LIXIL DAY」が行なわれた大谷資料館は、宇都宮I/Cから車で約12分(8km)ほどのところに位置する大谷石(流紋岩質角礫凝灰岩の総称)の資料館で、その地下には広さ2万m2、深さ30mにも及ぶ地下採掘場跡があります。真夏でも15℃前後という冷え冷えとした空間で、幻想的な空間はさまざまな撮影に使われるほか、日光東照宮への観光のついでに暑さしのぎに立ち寄るという人も。
この巨大地下空間を利用して、「LIXIL水まわり製品のデザイン思想と技術開発ビジョン」と題した記念講演や展示が行なわれたのですが、どうしてここで開催されたのでしょう。それは、創業となる1924年よりやや遡る1918年に、創業家の伊奈親子が常滑に設立された帝国ホテル直営工場「帝国ホテル煉瓦製作所」の技術顧問として就任したことに始まります。
この「帝国ホテル煉瓦製作所」は、アメリカの世界的な建築家フランク・ロイド・ライトさんが設計する帝国ホテル二代目本館(通称「ライト館」)に使用する煉瓦を作るために設立されたもの。普通煉瓦と言えば茶褐色のものを思い浮かべますが、ライトさんが求めたのは、焼き上がりが黄色で表面の縦の溝がそろったスダレ煉瓦と呼ばれるものと、透かし彫りのテラコッタ。職人たちの手技によってこれを製作し、さらに大谷石を用いて作られたのが、帝国ホテル旧本館のロビーと宴会場を彩った「光の籠柱」なのです。
つまり、常滑のスダレ煉瓦・テラコッタと、栃木県の大谷石とが出合って生まれたのが「光の籠柱」というわけですね。展示エリアでこの「光の籠柱」のレプリカを拝見しましたが、照明の柔らかい光があふれていて、建築物(柱)と照明の要素を兼ね備えた美しさに見惚れてしまいました。
そして、1923年の竣工とともに役割を終えた「帝国ホテル煉瓦製作所」の設備と職人を引き継いで1924年に株式会社化されたのが「伊奈製陶株式会社」です。
LIXIL WATER TECHNOLOGY JAPAN デザイン・新技術統括部 統括部長の白井康裕さんは、記念講演の中で「徳川家康がまつられている日光東照宮と、最初にまつられた久能山を結ぶ不死(富士の道)、江戸城と日光東照宮を結ぶ北辰の道」のことを例に挙げ、「大谷資料館と帝国ホテルを結ぶ線はまさに北辰の道であり、帝国ホテルと帝国ホテル煉瓦製作所は富士を挟んで結ばれた富士の道である」と述べ、帝国ホテルを中心として定めのように結ばれていると語っていました。
水まわり事業におけるもう1つの大きな礎はステンレス製シンクのキッチン
白井さんの講演では、同社の水まわり事業において大きな貢献を果たした人物は、先のフランク・ロイド・ライトさんのほかに、日本女性初の一級建築士、浜口ミホさんがいるといいます。浜口さんは、女性初の一級建築士の資格を取得し、戦後の住宅改善に貢献。特に住宅で裏方に追いやられていた台所を機能的で明るい場所に引き上げた功績で知られています。キッチンの動線を検証し、動き回らなくても家事ができるように設計。公団住宅に採用させたステンレス製の流し(シンク)は、今日のシステムキッチンのはしりとなりました。
このステンレス製のシンクを日本で初めて開発したのが、東京・板橋に板金工場を持っていたサンウエーブ工業だったのです。ここで改めて、「LIXIL」の成り立ちを振り返ることにしましょう。同社のホームページには次のように記載されています。
「LIXILの中核事業会社、株式会社LIXILは、2011年に国内の主要な建材・設備機器メーカー、トステム、INAX、新日軽、サンウエーブ工業、東洋エクステリアの5社が統合して誕生しました。20世紀の初頭以降、これら5社の創業者は革新の時代の幕を開け、日本の建材・住生活産業のトップブランドとなるLIXILの礎を築きました。さらに、海外企業の統合を通じて、19世紀にさかのぼる更に長い歴史を誇るグローバルブランドがLIXILに加わりました」。
ここまで主に伊奈製陶(INAX)についてご紹介してきましたが、現LIXILであるサンウエーブ工業は、自動車部品を製造するための大型プレス機を使って日本初のステンレス深絞りシンクに挑み、山ほどの失敗を経て、1956年に成功。すでに公団住宅の建設が始まっていた中で滑り込みセーフだったといいます。いまや当たり前となったシステムキッチンですが、浜口さんの挑戦があったからこそだと思うと、感慨深いものがあります。
「キレイ(清潔)・美しい・使いやすい」を目指した100年
白井さんは、LIXILの100年を振り返って「ここまでのLIXIL水まわり・タイル事業の100年は『キレイ(清潔)・美しい・使いやすい』ことを目指したものだった」と総括します。中でも衛生陶器(トイレ)の様々な開発は見逃せないものではないでしょうか。
展示されていた「サニタリイナ61」は、1967年に国産初の温水洗浄便座シャワートイレとして誕生したものですが、お尻を手で拭けない方のためのスイス製トイレをモデルに開発されたことから、足元の黒いボタンで操作。ボタンを踏むとノズルが出てきてお尻を洗浄し、ボタンから足を離すと温風が出てお尻を乾燥させる仕組みになっています。
モデルがあったとはいえ、小柄な日本人の体格に合わせ、ノズルの最適な位置や角度を割り出すのは至難の業だったといいます。発売当初は28万円という高価格もあってなかなか普及はしませんでしたが、1980年代に入って日本人の清潔志向が高まると、一般家庭への普及が急速に進んでいきました。
その後、サニタリイナシリーズはスイスのオリジナルデザインのままサニタリイナ61、62、63とマイナーチェンジを繰り返し、1984年にはINAX独自のデザインに変更。商品名もシャワートイレとなりました。その1号機となるシャワートイレD1のほか、タンクレストイレ「サティス」も大きなターニングポイントになっています。
日本のトイレは4K(暗い、怖い、汚い、臭い)に加えて、狭いスペースしかとれないことが課題でしたが、タンクを無くしてコンパクトにすることで狭いトイレを広く有効に使えるようにし、トイレ単体だけでなく快適なトイレ空間へと改革したというのが素晴らしい点だと思います。
2019年にはINAXブランドのデザインを刷新し、4月にミラノ・サローネで発表。実は筆者もこの年、ミラノ・デザインウィークのINAXブースに取材していて、タイルに使う釉薬をバーカウンターのような仕立てで展示していたコーナー「釉薬バー」で白井さんに話を聞いたことが思い出されました。
これからの100年は「自然・人間・空間への恩返し」をしたい
講演の最後には、これからの100年のビジョンとして、「これまで自然に学び、人間に寄り添い、空間を生かす取り組みをしてきたが、今後は自然・人間・空間へ恩返しをしたい」という話で締めくくられました。
展示の最後には、今年10月開催の「DESIGNART TOKYO 2024」で発表される予定というティザー広告のような看板も展示されており、トップには「fabric bathtub & shower」と書かれ、さらに「お風呂はもっと、自由でいい。thinking of the earth & people, bathrooms evolve」と続いています。
次の100年に向けて、持続可能性を追求し、自然・人間・空間への恩返しをするというLIXIL。その最初の一手となるお風呂とはどんなものなのでしょうか。期待に胸が躍ります。