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【整理整頓を始めよう48】あなたの部屋は「明日死んでも」大丈夫?

もしも明日死ぬとしたら、遺された家族は、あなたの遺品を片付けるのに、どのくらいの労力がかかるでしょう。今回は、日ごろの整理整頓や片付けは、「遺さない人」になるための準備でもあるというお話です。自分たちの生活に必要な物だけで生活することが、いかに大切かを考えてみたいと思います。

不在の人の荷物整理は、労力だけでなく精神的にも負担

私の近しい友人が、お母様が病気で倒れられたのをきっかけに、先日実家を整理することになりました。入院中のお母さまに代わって実家の奥深くまで入ってみると、天井まで物が積まれ、足の踏み場がないほどの物とゴミで埋まっていたそうです。友人は、子育てしながら数時間かけて実家に通い、賃貸だったお部屋を相当な時間とお金をかけてきれいにしたそうです。最近社会問題にもなりつつある「実家のゴミ屋敷化」は、片付ける人たちを消耗させてしまいます。もしこれが入院中のお母様ではなく、亡くなった人の遺品となれば、消耗もなおさらです。故人にとっては単に捨てられなかったガラクタでも、残された人には、大切な人が遺した物の処分は精神的負担になってしまいます。

 

「ガラクタ」も故人になった途端「形見」になる「遺産整理」

家の中にある物は、どんな物にも必ず家族の「思い」や「ストーリー」があります。自分が購入した物の整理にも四苦八苦している私たちが、故人が残した物を整理するのはもっと大変です。物というのは、所有者が故人になった途端、単なる物ではなくなり「形見」や「メモリー」になってしまうからです。「このお茶碗はお母さんのお気に入りだったな」「お父さんは毎日この靴を履いて散歩に出掛けていたな」といったように、大切な人が遺した物は、全て思い出と結びついてしまい、自分の物以上に処分しづらくなってしまうのです。

 

明日死ぬかのように、今日を生きる

ガンジーの名言に「明日死ぬかのように生きよ。永遠に生きるかのように学べ」という言葉があります。私たちは当たり前のように、今日も明日も命があって生きていくと思っていますが、その一方で、想像もしないような事故や災害や病気で、あっという間に命を落とす場合があることも知っています。自分に「だけ」はそんなことは起こらないと思っている人がほとんどですが、「明日死ぬとしたら、今日は何をする?」という問いは、自分が毎日を「どう生きたらいいか」を考えるのに役立ちます。

 

自分で片付けて「遺さない人」になる

永遠に続くと思える命も、実際はいつ終わるか分からないのが現実です。ですので私自身、「いつ死んでもいいように毎日を生きよう!今やるべきことに全力投球しよう」と励んでいます。もちろん、忘れて怠惰になるときだってありますが(笑)。そして、自分の周りを「いつ死んでも恥ずかしくないように」片付けるように努めています。突然遺された人が困惑しないように、物の絶対数を減らしておくことは大切です。家の中の70〜80%は使っていないもので占められていると言われます。それらの整理整頓を先延ばしにしてしまうと、遺された人にやらせることになってしまいます。普段は文句を言い合う家族でも、遺していく人に自分の不始末で手を焼かせないことは、一番の愛ではないでしょうか。

 

 

Be Present代表 尾井理恵

ヨガ、整理整頓、ベジ和食のレッスン、コンサルティングを行う「Be Present」代表。横浜市在住。整理整頓のアドバイザーとして各地で講演、個人宅でのコンサルティングを行っています。また、自宅兼スタジオおよびスクール講師のほか、定期的にヨガ、料理教室のイベントを開催しています。Facebookはこちら