藤原千秋の使ってわかった! 便利家事アイテム
心配性の災害対策グッズその12「在宅避難マニュアルブック&緊急時連絡ガイドブック」
2021年12月29日 07:30
先日、夕方からの観劇の幕間にスマホの電源を入れると、家人から夥しい数のメッセージが届いていた。どうやら諸事情により自宅方面への交通が完全にダメになっており、終電までの回復の目処も立っていない模様。
困ったな、と思いつつ、実はそのとき筆者は仕事道具一切持参しての出張の最終日にあった。なので、ものの数秒で当日中の帰宅を諦め、二幕の間に家人に頼んで適当な宿を見繕ってもらった。
そうして終演後、劇場からほど近いホテルで早寝をし、翌朝一仕事終えてから昼ごろゆうゆうと帰宅した。まあ、地震とかの災害じゃなかったから良かったんだな、と思った。もし地震で帰れなくなったような状況だったら、ああも淡々とした気持ちではいられなかったろうし、そもそも家人と連絡が取れたかどうかもわからないんだよな、と。
人生における、心配事……「たられば」の多くは無意味だという説もあるけれど、やはり「もしもの備え」は、あるに越したことはないだろう。だが、正直あまり考えたり備えたりしたくない、気がしている。いつも……。でもなあ……。
というそれこそ無意味な逡巡を続けている。東日本大震災もあったのに。ずっとだ。
自分でも常々おろかだと思う。
通奏低音のように日々残るそのような自嘲的な思いに、先日仕事先で見かけたこの小さな2つのカードがささくれのように引っかかった。へぇこれいいですね、なんて軽めに言いつつ、帰って後から調べてネットショップで入手した。家族分、5枚ずつ。
じゃばらに折りたたまれたカード状の厚紙に、明瞭に防災、在宅避難についてのマニュアルと、緊急時連絡の方法といった情報がギュッと詰まっている。「引っかかった」のは、筆者がその厳選された内容のどれも「知らなかった」からだ。
言い訳をすると見聞きしたことはある。でもまるで身についていないのだから知らないのと同じだ。
ただ頭でだけ知っているのと身体が識っているのは違う。それは確かにそう。自転車の教本を何冊読んでも乗らなければ意味がない。その通り。
でも「もしもの時」は来ない方がいいが来ればぶっつけ本番だから、それでも知らないよりは知っている方がまだましだし、思い出しきれなければヒントが手元にあるに越したことはない。
先日の交通トラブルもささやかな「もしもの時の練習」にはなった気はするが、本当に必要な練習のレベル感はもっと高く切迫したもののはず。
当座これらのカードを見ながらでもいいとしよう。来年こそ、自嘲を卒業しよう。