老師オグチの家電カンフー
第17回
三種の神器とドヤ家電と諸行無常
2016年9月7日 07:00
昭和30年代(1955年〜)、三種の神器と呼ばれる家電ブームがおきました。高度成長の波に乗り、白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫の3つが家庭に普及したのですが、この中で最も急速に普及したのはどれだと思います?
衣食住に関わる洗濯機や冷蔵庫だと思われる人もいるかもしれませんが、正解はテレビです。昭和30年に、たった3%だったテレビの世帯普及率は、その後10年間で約90%に達します。
昭和30年の時点で、洗濯機は約10%とテレビよりも普及していました。洗濯機の普及が早くから始まったのは、洗濯が重労働だったからです。洗濯板を使った洗濯は力仕事ですし、時間がかかり、冬場は水も冷たく、主婦にとってもっとも辛い家事でした。まず欲しいと思うのは、洗濯機だった。にもかかわらず、テレビのほうがその後の普及は速かった。それは、テレビが当時のドヤ家電だったからです。
同じく昭和30年、冷蔵庫の普及率はわずか1%。今や生活に欠かせない冷蔵庫ですが、普及の速度はもっとも遅く、50%を超えたのは10年後の昭和40年。さらに10年後の昭和50年になって、ようやく1世帯に1台になります。
冷蔵庫がなくて自宅で料理できたのか疑問に思う人も多いでしょうが、当時と今では食材や調理の環境が異なります。肉や野菜といった食材は、主婦が近所の市場でその都度購入していましたし、冷凍食品は今ほどメジャーじゃなかった。冷凍食品とセットで使われる電子レンジが本格的に普及するのは、1980年代以降です。それに、氷を入れて冷やす木製の冷蔵庫もありました。
ちなみに昭和30年(1955年)に発売された家電に自動式電気釜(東芝)があります。かまどの火を調節しながら米を炊く労働から解放されると、勢いよく普及したのですが、三種の神器には含まれていません。これは、価格が数千円台と一桁安かったこと、ごはんという日本人にとって日常的すぎる存在のため、ドヤ要素がなかったからでしょう。
当時のテレビはドヤ家電でした。基本的に家電は家の中にあるものですが、リビングなどに置かれるテレビは、家族以外の目に触れやすい存在でした。「隣の家にテレビを見せにもらいに行った」というエピソードが、しばしば語られますが、見せるほうの家庭は、優越感があったでしょう。ただ、直接見せるだけがドヤではありません。先日、電車の中で、2人のお年寄りが初めてテレビを買った当時の話をしていました。
A「うちはね、かなり早くに白黒テレビを購入したのよ」
B「へぇ、じゃあご近所さんがテレビを見に集まったんじゃない?」
A「いえ、うちの父は性格がシャイだったので、そうはしなかったわ」
こんな家庭も多かったでしょう。当時、テレビは、「テレビを買った」と言わなくても自慢できる家電でした。プロレス、1959年の皇太子ご成婚、1964年の東京オリンピックが、テレビを普及させたコンテンツとしてよく挙げられます。それらのビッグイベントは、当然日常の会話の中で話題になります。「テレビを持っている」と言わずとも、話題にできること自体がテレビを所有している証だったのです。
テレビを持っていない人は、その会話を聞くことで、買いたい気持ちになりました。日本全体が好景気に沸いた時代ですし、普及にともない価格もどんどん安くなっていきました。
もっとも白黒テレビが自慢できたのは昭和30年から5年ほどの間。昭和35年(1960年)にはカラー放送が始まり、白黒テレビではドヤれなくなりました。さらに、画面が大型化すると、ただ持っているだけではだめです。性能向上や低価格化が速い情報家電は、ドヤれる期間が短いのです。これ、パソコンやスマホでも同じことが言えます。
あれから60年、三種の神器で大きくなった家電メーカーも、テレビ事業で転けたりして、身売りする企業まで出てきました。いや、皆までは言いますまい。
家電業界の鐘の声、諸行無常の響きあり、カラーテレビの花の色、盛者必衰の理をあらわす。合掌。