暮らし

[ダウン症児と私48]おじいちゃんが徹夜看病、家族のサポートに感謝

手術が終わり、幼稚園やデイサービスを2週間休むことになったユキトくん。今回は、手術から療養にかけて、周りの人たちに支えられていると改めて感じた、当時の状況と気持ちをナナさんに伺いました。手術から帰宅すると、24時間体制のユキトくんの見守りが待っていたのです。

 

手術後、ユキトくんを義父母へ預けて、一旦訓練施設へ

ユキトの舌の縫合手術が無事に終わりホッとしましたが、次は今後のことを考える必要が出てきました。まずは、福祉幼稚園とデイサービスに病院から電話をして、「訓練中に怪我をしたので2週間お休みします」と伝えました。そして、ユキトをおじいちゃんとおばあちゃんへ預け、私とパパは一旦療育施設へ戻りました。療育施設の責任者の方に会い、転んだときの詳しい状況説明と、病院での手術の様子、抜糸しないでいい糸で6針縫ったことを伝えました。

 

ユキトはおじいちゃんの家へお泊まりすることに

療育施設からおじいちゃんの家へ戻ると、ユキトは泣き疲れて寝ていました。でも、何かの拍子で舌を触るといけないので、おじいちゃんはずっとユキトの手を優しく握ってくれていました。この状況でユキトを私たちの家に連れて帰ると、弟がいてバタバタしてしまうので、その晩はおじいちゃんの家に泊めてもらうことになりました。昼間は、ひいおばちゃんとおばあちゃんが交代でユキトの手を握ってくれていて、その間におじいちゃんが眠って夜に備えてくれました。そして、夜はおじいちゃんがユキトの手を握ってくれました。私は、ユキトが食べられそうなものをスーパーへ探しに行き、ヨーグルト、プリン、ゼリー、水ようかんを買い揃えました。翌朝、弟が幼稚園へ行ったあと、ユキトを引き取りに行くと、おばあちゃんたちは「今晩もユキトはお泊まりさせるから、ママは休んで。ユキトはおばあちゃんたちで見るから大丈夫」と言って下さいました。

 

大勢の人に助けられていることを実感

私が夜眠れるのは、おじいちゃんがユキトの手を握ってくれているからです。私が昼に家事ができるのは、おばあちゃんたちがユキトを見ていてくれるからです。今回手術をしてくれた病院でも、午前中の診療は12時までだったにも関わらず、12時過ぎに着いた私たちをすぐに受け入れ、そのまま問診・手術をしていただきました。先生方は昼休みがなくなったかもしれませんが、本当に助かりました。改めていろいろな人に助けてもらえていると感じました。

ユキトは今、デイサービスと福祉幼稚園に通っています。また、療育施設では、月に1~2度、作業療法や理学療法は医師の指導のもとで行なわれるリハビリを受けています。デイサービスと幼稚園は、所得に応じて利用料の1部が免除されますし、療育施設は医療費と同じ扱いになり、子どもは無料でリハビリを受けられます。ユキトに障害があることで、弟を保育園に預けることもできました。

ユキトを妊娠・出産して出会った病院の先生、助産婦さん、看護師さんにも支えていただきました。ユキトがNICUに入り私がパニックになったときも、ユキトはダウン症だと言われてもすぐに受け入れられなかったときも、いつもそばにいて優しく接してくれました。出産後に移った総合病院で暖かく迎え入れてくれた先生方、ダウン症の集団外来・集団療育、そしてダウン症児の親の会で出会った方々も。みなさんに、感謝しています。

 

ちょと頑張ればいいだけ

ダウン症児の先輩ママに、こんなことを言われたことがあります。「あなたと旦那さんは、2人の愛する可愛い子どもを授かったことに変わりはない。ダウン症の症状があるからといっても、ちょっと気を付けてあげればいいだけ」と。

ダウン症と告知をされたときから、「普通じゃない子どもを産んでしまった!どうしよう」と思ったり、心臓や耳の疾患での病院通いでバタバタと忙しかったり、成長発達がほかのダウン症の子どもよりさらに遅くて焦ったりと、慌ただしい毎日を過ごしてきましたが、今では「大丈夫、ダウン症の症状があるからといっても、ちょっと頑張ればいいのか」と思えるようになりました。

 

 

ナナ

5歳のダウン症の息子「ユキト」と、3歳半の弟「マサト」のママの「ナナ」と申します。ダウン症の子どもを育てている様子や、母親の気持ちなどを率直にお話ししたいと思います。