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【聴こうクラシック9】十五夜に聴くドビュッシーの「月の光」
2017年 9月 16日 07:30
空気が澄んで月がきれいに見えると言われる「十五夜」、今年は10月4日なのだそう。今回は、月を題材にした日本でも人気の1曲、クロード・アシル・ドビュッシーのピアノ曲、「月の光」をご紹介します。当日、月が見えても、隠れてしまっていても、音楽で月を愛でてみてはいかがですか。
西洋音楽理論を超越した異端児、ドビュッシー
クロード・ドビュッシーは1862年フランスに生まれ、55歳のときに母国で亡くなりました。父は陶芸店を経営し、母は裁縫師という家庭の長男として育ち、8歳のときに初めてピアノを習います。翌年には詩人ヴェルレーヌの義母に才能を見出され、手ほどきを受けます。彼女はショパンの弟子でした。10歳でパリ音楽院に入学して一時ピアニストを目指しますが、のちに作曲家の道へ進みます。22歳のときには、作曲家の登竜門である「ローマ大賞」を受賞。転機は27歳、1889年に開催されたパリ万国博覧会で、西洋の音楽理論に基づかない東洋音楽の美しさに触れ感銘を受けます。その後、西洋音楽の枠を超え、独創的な作品を次々と発表しました。
ヴェルレーヌの詩に発想を得た、ベルガマスク組曲
「月の光」は、ピアノ曲ベルガマスク組曲の第3曲で、変ニ長調の4分ほどの曲です。ドビュッシー28歳のときの作品で、彼の作品で最も有名な曲の1つです。この曲を作曲するきっかけは、ポール・マリー・ヴェルレーヌの詩集「艶やかな宴」に収められた詩「月の光」です。この詩の「現れたる、艶やかな仮面喜劇役者とベルガモの踊り子たち」という言葉から「ベルガマスク組曲」という題名を付けました。「ベルガマスク」とは、18世紀の貴族たちに人気だったイタリア・ベルガモ地方の喜劇のこと。「月の光」の作曲当時、芸術家の間では18世紀のロココ様式が流行していました。実際、彼はイタリア留学中にベルガモ地方を訪れています。「月の光」は月光だけでなく、夜の闇に照らされた仮面舞踏会の情景も映し出しているのです。
パリ万博と、芸術家仲間からの刺激で生まれた「月の光」
20代後半のドビュッシーは、それまでの西洋音楽の理論に違和感を覚え、形式を重んじるべきか、形式に縛られず美しい響きを追求すべきか、葛藤していました。そんなとき、パリ万博でジャワのガムラン音楽を初めて耳にし、衝撃を受けます。西洋音楽の形式と異なる東洋音楽の美しさに触れたことで、彼は独自の「美」を追求することを決意します。そのころ、詩人のステファヌ・マラルメに出会い、彼の紹介でポール・ヴェルレーヌ、オスカー・ワイルド、さらに画家のクロード・モネ、ピエール=オーギュスト・ルノアールなどの芸術家たちに出会いました。特にヴェルレーヌの詩から「月の光」のインスピレーションを得て、「ベルガマスク組曲」を作曲したのです。
「月の光」の透明感と浮遊感の秘密
1度聴いたら忘れられない「月の光」のメロディー。この独特の「透明感」と「浮遊感」はいったいどこから来るのでしょうか。透明感の秘密は、変ニ長調の音階にあります。変ニ長調は、ピアノの鍵盤で言う黒鍵を多用しているため、透明感のある響きになったと言われています。浮遊感の秘密は2つあります。音楽理論上では変ニ長調の曲の冒頭は、主音である「変ニ」つまり「レ」のフラットから始まらないといけないのですが、あえて「レ」を使用していないので土台の音がなく、浮遊感に繋がっています。2つ目は、「七の和音(セブンス・コード)」と呼ばれる、鍵盤の隣あった音を和音に多用しているので、協和音と不協和音の中間のような響きがして、どっち付かずのあいまいな感じになるのです。
月を思い浮かべドビュッシーの「月の光」を聴いてみましょう
まずはドビュッシー自身の歴史的録音が残されているので、そちらをご紹介します。ドビュッシー51歳のときにパリで録音されたものです。晩年の演奏になりますが、彼はピアノの名手であったこともうかがえますね。
続いて、1940年のディズニーの音楽映画、ファンタジアでオーケストラ用に編曲されたものがありますのでご紹介します。映像と音楽の美しさをお楽しみください。
参考文献
名曲探偵アマデウス 野本由紀夫 ナツメ社
調性で読み解くクラシック 吉松隆 ヤマハミュージックメディア
初めてのクラシック音楽 森本眞由美 ダイヤモンド社
大作曲家たちの履歴書 三枝成彰 中央公論社