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【聴こうクラシック1】母の日に、ドヴォルザーク「我が母の教え給いし歌」
2017年 5月 6日 11:30
すっかり暖かくなって、母の日が近づいてきました。今回は、母の日にちなんだクラシックの名曲、ドヴォルザークの「我が母の教え給いし歌」をご紹介します。ほんの数分、忙しい日常を忘れて、癒しの音楽に耳を傾けてはいかがでしょうか。この1曲から母への想い、また東欧のチェコからロンドンまで、心の小旅行をしてみましょう。
ノスタルジーの作曲家、アントニン・ドヴォルザーク
ドヴォルザークは、1841年にオーストリア帝国(現在のチェコ共和国)のネラホゼヴェスというのどかな農村に生まれた作曲家で、1904年に62歳で亡くなりました。彼は、ノスタルジックに故郷を想う哀愁にあふれたメロディーメーカーとして知られています。ドヴォルザークの父は、当時ヨーロッパで流行していた小さな琴のような楽器・ツィタ―を弾き、叔父はトランペット吹きという、肉屋兼食堂を営む音楽好きの家庭に生まれ、小学校の先生からヴァイオリンを習い、その音楽的才能を見いだされ、音楽の道に進みます。
チェコ語の詩から生まれた「我が母の教え給いし歌」
「我が母の教え給いし歌」は、ドヴォルザークの名曲の1つで、1880年に作曲した「ジプシー歌曲集」のなかの1曲です。曲は、声楽とピアノの編成、ニ長調で3分ほど。元の歌詞はアドルフ・ハイドゥ―クの書いたチェコ語の詩でしたが、ドイツ語や英語でも歌われています。内容は、「昔、年老いた母が私に歌を教えてくれたとき、その目に涙を浮かべていた。今、私も親となり、その歌を子どもに教えようとしているが、日焼けした頬にいつの間にか同じように涙を流す」というようなものです。ドヴォルザークが生まれ育った地域の民謡には、望郷の歌が多く、この歌もまるで母の鼻歌を聞いているような、どこか懐かしさを感じさせます。覚えやすく親しみやすい冒頭の旋律が繰り返され、チェコのモルダウ川の流れのように、ゆったりとしたテンポ感で聴く人に安心感を与えます。
人生の喜びも憂いも知った39歳のときに作曲
ドヴォルザークが生きた時代、チェコはオーストリア帝国の支配下にあったため、チェコ人としての政治・宗教・言語の自由は奪われていました。そんな時代のチェコ人に音楽好きが多いのは、文化的な自由を求めたためとも考えられています。オルガン学校を卒業し、ヴィオラ奏者をしながら作曲活動を始めていたドヴォルザークは、1873年の32歳のとき、歌手のアンナと結婚。翌年には教会オルガニストの定職を得ました。しかし、作曲活動も徐々に認められるようになった矢先、3人の子どもを相次いで亡くしてしまいます。1877年、悲しみのどん底で子どもたちの冥福を祈る気持ちから作曲した傑作「スタバート・マーテル」が、チェコ初の「オラトリオ(聖譚曲)」として高く評価され注目を集めます。そんな苦しみを経た1880年、39歳のときに「我が母の教え給いし歌」が生まれました。
鉄道マニアだったドヴォルザーク少年
実家が食堂だったドヴォルザーク少年は、毎日お店の手伝いをしていました。お客の多くは鉄道建設の労働者。ついに鉄道が開通した日、列車を一目見た彼はいつか世界に旅立つ夢を描きます。日々列車の音を聞いていたドヴォルザーク少年は、ある日、列車の音がいつもと違うことに気づき、列車の故障を見抜いたという逸話も残っています。この曲の伴奏も、心なしか「シュッシュッポッポー」というリズムに聞こえてくる気がします。
この曲を世界中に広めた歌手「メルバ」とスイーツの関係!?
ところで、バニラアイスクリームにシロップ漬けのモモを乗せ、ラズベリーソースなどを掛けた「ピーチメルバ」というスイーツをご存じですか。「我が母に教え給いし歌」を十八番にしていた世界的歌手ネリー・メルバが、ロンドンで宿泊していたホテルの料理長を、1893年ごろの演奏会へ招待しました。料理長がそのお礼として彼女のために作った、彼女の名前を付けたスイーツが「ピーチメルバ」です。母の日に、この曲を聴きながら、デザートにピーチメルバはいかがでしょう?
さあ、「我が母の教え給いし曲」聴いてみましょう
先ほどのピーチメルバの歌姫、ネリー・メルバ自身による貴重なレコーディングです。英語の歌詞で、1916年のレトロな音が印象的ですね。
こちらはチェコ語の歌詞です。現代を代表するオペラ歌手、アンナ・ネトレプコのコンサートの模様です。日本語の訳詞が字幕にあります。
また、クライスラーというヴァイオリニストがのちに編曲した作品もポピュラーです。クライスラーはドヴォルザークの友人の一人でした。こちらも1916年頃の録音なので、レコードを聴いているような気分になります。
参考文献:
「ドヴォルジャーク わが祖国チェコの大地よ」黒沼ユリ子著 リブリオ出版
「斎藤秀雄の講義録」白水社
「子供と聴きたいクラシック」宮本英世 音楽之友社