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バンダイ「なつかしの家電コレクション~松下電器歴史館編~」

~家電が財産だった時代を懐かしむフィギュア
Reported by 本誌:伊達 浩二

バンダイ「なつかしの家電コレクション~松下電器歴史館編~」。6個入り外箱
 お若い方々にはわかりにくことと思うが、昔は身の回りに家電製品がほとんどなかった。

 昭和35年(1960年)生まれの私は、照明器具の白熱電球以外に家電製品がない時代をぎりぎりで知っている。

 ものごころがついた昭和39年(1964年)の記憶では、洗濯はたらいと洗濯板、掃除はほうきとはたき、冷蔵庫はなく、テレビはある家に見に行くという生活だった。その頃に住んでいたアパートで、電気洗濯機のある家は一軒しかなかった。

 それが昭和45年(1970年)の頃には、各家庭にカラーテレビ、電気洗濯機、電気掃除機、電気冷蔵庫、などがあるのが当たり前になっていた。各製品に、わざわざ“電気”と冠されていることからも、「電化」というものに対するあこがれが感じられるだろう。

 当時の電気製品はたいへんに高価で、我が家の生活水準では、ほとんどの製品を「月賦」(げっぷ:ローンのこと)で購入していた。だから、一度に全部が揃うのではなく、1つ買って月賦が終わったら、次のものを買うというように、ぽつりぽつりと電気製品が増えていったのだ。

 それだけに、各製品に対する思い入れは強かった。そのせいか、多くの製品にペットネームが付いていたことを覚えている。たとえば、カラーテレビでは「薔薇」「高雄」、掃除機は「風神」、冷蔵庫は「花束」「ヴィーナス」という具合だ。

 当時、家電製品は憧れであり、一家の話題の中心であり、自らの生活水準を測る財産だった。それは、テレビ、洗濯機、冷蔵庫の3つが“三種の神器”と称され、それを揃えることが共通の目標だったことでもわかるだろう。なお、三種の神器にはテレビの代わりに炊飯器や掃除機が入る例もある。


 株式会社バンダイが発売した、玩具菓子「なつかしの家電コレクション~松下電器歴史館編~」は、そういう時代を知っている者にとっては、とても関心のある製品だ。

 ここで、フィギュアになっているのは、松下電器産業株式会社の家電製品で、昭和20年代から30年代(1945~55年)の製品だ。したがって、私よりちょっと上の、55~60歳前後の方々には、大変懐かしいと感じられるに違いない。これらを展示している「松下電器歴史館」は大阪府門真市にある松下電器産業の施設で、自由に見学できるそうだ。

 製品は6種類で、「白黒テレビ」「電気冷蔵庫」「電気洗濯機」「電気自動炊飯器」「トランジスタラジオ」「ステレオ」だ。価格は各472円でコンビニなどで販売されている。私は中身がランダムだったときのことを考えて、楽天市場で箱買いしてしまった。だいたい、2,000円台中盤ぐらいで購入できる。到着してみると、外箱からは中身がわからないタイプだったので、コンプリートを目指す人は箱買いをお勧めする。


内箱の外観。店頭ではこの形で販売される 外箱を開けると、6個の内箱が入っている 各パーツは透明な樹脂で包装されている

取り出した状態。各製品の再現性を重視しているためか、縮尺は異なる。一番背の高い冷蔵庫の高さと、一番幅があるステレオの幅が共に約8cmなので、ご推察いただきたい テレビ、ラジオ、ステレオの黒物家電と、冷蔵庫、洗濯機、炊飯器の白物家電が3点ずつとなっている。あえて言えば、電気掃除機がほしかった

 各製品については、写真を中心にご紹介しよう。


白黒テレビ「17K-531」

 昭和27年(1952年)発売の17型白黒テレビ。当時の価格は29万円だが、これは3~4年分以上の年収にあたると思われる。したがって、当時は「街頭テレビ」と言って街角にテレビを設置することで、テレビの存在を周知していったそうだ。さすがに街頭テレビは見たことがないが、これからほぼ10年たった昭和30年代後半でも、テレビのある家へ、アニメやプロレスを見に行かせてもらうということは普通に行なわれていた。

 また、40歳未満の人は見たことがないと思うが、昔はテレビは白黒が当たり前で、カラーテレビはだいぶ後になって登場したのだ。昭和40年代でも新聞のテレビ欄には、カラー放送はそれを表わすマークがついていた。


回転式のチャンネルやスピーカーのネットが、よく再現されている 天板の木目が再現され、家具調が多かった当時の家電の雰囲気を伝えている 背面の丸い突起はブラウン管。銀色の部分はシャーシだろう。昔のテレビは、排熱のための丸い穴がいっぱい開いていた

電気冷蔵庫「NR-351」

 昭和28年(1953年)発売の電気冷蔵庫。当時の価格は129,000円。製氷機を内蔵した1ドアタイプだ。フリーザー(冷凍庫)が独立した2ドアタイプの冷凍冷蔵庫の普及は1970年頃からだったと記憶している。そのころでも冷凍食品は普及していなかったので、フリーザーには氷やアイスクリームばかり入っていた。


がっしりとしたハンドルとドアの蝶番が雰囲気を出している 上のUの字型になった部分が製氷機 棚板や製氷皿は別部品となっている

側面。蝶番はビスで止められていたようだ 意外にすっきりとしている背面 コンプレッサー部分のディテール再現はすごい

角形噴流式電気洗濯機「MW-303」

 昭和29年(1953年)発売の電気洗濯機。当時の価格は28,900円。ハンドルが付いているのは、洗濯した洗濯物を絞るための絞り機だ。脱水機がついた二槽式洗濯機は、60年代後半に普及し始めたと思う。子供のころに絞り機で洗濯物を絞った記憶があるが、指を挟みそうになって、叱られたことしか覚えていない。全自動洗濯機が登場するまでは、そのつどこまめにタイマーを設定しながら洗濯をしていたので、洗濯機にまかせっきりにできるようになったときはうれしかった。


手前の排水パイプと、絞り器のハンドル、洗濯槽の蓋の3つが別部品 洗濯槽の中のパルセータまで再現されている。底ではなく側面についているのが珍しい 「NATIONAL」の文字の下にあるのは、タイマーのダイヤル

洗濯槽から洗濯物を取り出し、絞り器にかけ、フタの部分に出てくる構造と思われる ナショナルのロゴがカタカナなのが懐かしい 手絞り器の構造もよく再現されている。手絞り器は動かないが、ハンドルを回すことはできる

電気自動炊飯器「SR-16」

 昭和34年(1959年)発売の電気炊飯器。当時の価格は4,500円。ちなみに、炊飯器については、私の周辺ではガス炊飯器の方が主流で、電気炊飯器が普及するのは“電子ジャー”機能がついてから以降と記憶している。
 そういえば、ご飯の保温ができるようになったころから、家族揃って晩ご飯を食べなくなったような気がする。

【11月13日追記】初出時に「電子ジャー」は「電気」と差別化するための名称と記載しておりましたが誤りでした。お詫びして訂正させていただきます。


手前のスイッチは「炊飯」と「保温」と思われる 丸みのある、なつかしいたたずまいがよく再現されている 内釜とフタは別パーツになっている

底のヒーターの部分が良い感じだ 本体底部の金属の感触も良く出ている 右下の部分に電源コードに電源コードのコネクタが見える

6石トランジスタラジオ「パナペット R-8」

 昭和38年(1963年)発売のトランジスタラジオ。当時の価格は3,980円。トランジスタラジオの前のラジオは真空管を使ったものだった。コンセントが必要な真空管式から、電池で動くトランジスタラジオになって、ラジオの行動半径は広くなった。この製品も電池駆動で、家族で1台からひとりに1台になりはじめた時期の製品だ。

 昭和40年代になっても、母方の祖父母などはラジオをよく聞いていた。特に手作業をしている祖母が、目と手は作業に集中したままで、耳だけをラジオに傾けていたのを思い出す。

 念のために書いて置くのだが「石」はトランジスタの数を表わす。軸受けに使われている宝石類を表わす、腕時計などの「石」とは意味が異なる。


再現性の高いパネル。バンドはAMのみだが、周波数の表示単位が「kHz」ではないのに注意、当時は「サイクル」表示なのだ。(法林氏のご教示による) 天板は開き、タバコを入れておくようになっている。タバコは、必需品に近い嗜好品であり、あこがれのアイテムでもあった 天板を開けたスペースに、横2列にシガレットを並べた写真がパンフレットに掲載されているそうだ。ラジオ全体の大きさもそれで想像がつく

全体を左右に分けたツートンカラーだ。黒いグリルに赤いロゴがポイントになっている 側面から見るとダイヤル部分の再現性の高さがわかる 背面のパネルには「6 TRANSISTOR」と誇らしく書かれている

超音響ステレオ「飛鳥 SE-200」

 昭和39年(1964年)発売の家具調ステレオ。当時の価格は125,000円。オールトランジスタ設計というのは、当時かなり目新しかったはずだ。FMステレオ放送も受信可能となっている。当時の東京では、FM放送はNHK-FMとFM東海(現:エフエム東京)の2局しかなかった。プレーヤー部にレコードを連続演奏するオートチェンジャーがついていることでも、これがいかに高級な機器だったかがわかる。「超音響」という惹句は、ハイファイ(High Fidelity)の翻訳だろうか。


こういうステレオが置いてある家は限られていたと思う。我が家ではモノラルの簡易型プレーヤを使っており、祖父母などは、まだ「電蓄(でんちく)」と呼んでいた プレーヤー部のカバーはスライド式で左右に開く。トーンアームの左にある白いアームはオートチェンジャーで、1枚ずつ連続でレコードを再生する 斜めから見ると、再現性の高さがわかる

 フィギュアを愛でつつ思ったのだが、このところ高級家電が流行るのは、これらの家電製品に憧れた世代の方々が、定年前後になられて、家電製品に対する情熱をもう一度思い出す余裕ができたからかもしれない。それだけ家電製品に対する欲求は強く、価格も高いのが当たり前だったのだ。

 また、今回のシリーズは松下電器編だったが、当時は家電製品はメーカーごとのチェーン店による販売が中心で、ある家は全部松下、ある家は全部東芝というように、総合家電メーカーごとに色分けされている例が多かった。ちなみに、うちは初期がミシンの関係でリッカーだったが、引っ越しをするごとに三菱、松下というふうに変わっていた。地元の電気屋さんがどのメーカーチェーンに属しているかで、大きく左右されていたのだ。

 ぜひ、各メーカーにもご協力いただいて、「東芝編」「三菱編」「日立編」「三洋編」…とシリーズ展開され、できるだけ多くの人が当時の自分の生活を懐かしむ機会が与えられることを期待したい。

 また、ご両親が50代後半から60代前半ぐらいのお若い方々には、このフィギュアを親御さんにプレゼントすることをお勧めする。当時の生活を語り出して止まらないかもしれないが、それを聞いてあげるのも親孝行というものだ。





URL
  バンダイ
  http://www.bandai.co.jp/
  製品情報
  http://www.bandai.co.jp/candy/products/2007/49635.html
  松下電器歴史館
  http://panasonic.co.jp/rekishikan/

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昭和20年代のテレビなど松下電器の家電を玩具菓子に(AV 2007/10/22)




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2007/11/13 00:02

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