日常生活の基準となるのは、なんといっても「時間」。正確な時間を刻む時計は、やっぱり安心できる道具である。まあ、それを守るか否かは人の性根次第だが。
まだ20世紀の頃、時計は「合わせる」ものだった。使っているといつのまにかずれ、合わなくなるのは当たり前のことだったからだ。だが現在、多くの「時計」、特に時間に依存するデジタル機器の多くが、自動的に時計を「正確にあわせる」ようになっている。また時計そのものも、自分で時間を「合わせにいく」ようになった。いわゆる「電波時計」だ。
電波時計とは、時刻を合わせるための「標準電波」を受信し、自動的に時計あわせを行なってくれるもの。以前は大型で壁掛けが多かったが、いまや数千円の目覚まし時計にもついてくる。機械式を除けば、付加価値の付いた腕時計ならばもはや標準装備、といっていい。
そういえば「電波時計」の電波は、どこからやってくるのだろうか。6月10日の「時の記念日」を控え、そんな疑問を解決するべく、ちょっとした旅に出た。
● 電波は「霧の向こう」からやってくる?!
![](/cda/static/image/2008/05/28/NiCT01s.jpg)
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おおたかどや山標準電波送信所の取材日はあいにくの天気。山を登るに従い、霧で前がほとんど見えなくなる有様だ
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都心から4時間半の先にあったもの――
「あの……、これ、着くの?」
私は、同行した編集I氏に思わずそう言った。
道はとにかく狭い山道。周囲は山林。結構な斜度で上っているが、道にはガードレールもあまりない。しかも、周囲は霧が立ちこめ、視界は数mという状況である。
「わはは。どーなんでしょうね」
I氏も乾いた笑いを浮かべる。
そもそもスタートからおかしかった。
目的地である「おおたかどや山標準電波送信所」は、福島県田村市にある。山間部であり、公共交通機関が近くまで通っていない、とのことなので、我々はJR郡山駅に集合、そこからレンタカーで目的地に向かうことになっていた。
レンタカーに乗り込むと、I氏は目的地を入力し始める。「ちょっと待って。その指定なの?」
![](/cda/static/image/2008/05/28/NiCT02s.jpg)
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指定は文字通り「山」。住所や電話番号でカーナビを指定しない、というのははじめての体験だった
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彼が示したのは「山の頂上」だった。
「そうなんですよ。住所とか指定がなくて、『カーナビで山を目印に来てください』と」
そして、それから約1時間半。よく言えば日本の原風景、悪く言えばかなりの田舎道を通り過ぎ、目的の山に登り始めたあたりで、異変が始まった。
「西田さん、カーナビに道、ないんですけど……」
「……そっすね。拡大しても出てこないや」
だが、目の前には道があり、カーナビは相変わらず方向を示している。そこそこな高さまで登ってきたせいか、霧はどんどん深くなる。もちろん、視界に「電波塔」らしきものは入ってこない。I氏のケータイはかろうじて電波が入っているものの、「山に弱い」と定評(?)のあるソフトバンクを利用している私のケータイは、すでに1時間前から圏外だ。
あまりの不安さに、2人とも乾いた笑いを浮かべ始めていたころ、前方に小さな明かりが1つ。その明かりの先にあったのは、さらに細い山道と看板、そして、その前で待つ一台のタクシー。
![](/cda/static/image/2008/05/28/NiCT03s.jpg)
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おおたかどや山発信所への入り口は、関係者以外立ち入り禁止。今回は取材ということで特別に許可していただいた
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「あー、家電Watchの方ですか? ここ、おわかりになりましたかね?」
その方こそ、今回取材に応じていただいた、独立行政法人・情報通信研究機構(NICT)新世代ネットワーク研究センター 光・時空標準グループの前野英生主任研究員だった。
「いやあ、迷ったかと思いましたよ。カーナビに地図がなかったもので」
「ちっちゃいところまで入ってないんですよね。我々は月イチで来るから慣れてますけれど、ちょっとわかりにくかったかな?」
前野氏は笑いながら答える。「送信所はこの先ですから、いきましょうか」
そういって前野氏は、施錠された大きな門扉を開けた。おおたかどや山標準電波送信所に続く道は、NICTの所有地であり、関係者以外立ち入り禁止になっているからだ。
東京を出て4時間半。我々はようやく、「電波時計の電波」の生まれる場所に到着したのである。
● 山頂にそびえる「全高250m」のアンテナ
おおたかどや山標準電波送信所は、標高790mの福島県・大鷹鳥谷山(おおたかどややま)の山頂にある。設備に続く細い山道は、高いフェンスに囲まれている。別に危険だから、ということではなく、部外者進入防止のためだ。
我々は、山道に入ればすぐに着くもの、と思っていた。だが実際には、そこからさらに5分ほど車を走らせて、ようやく入り口に到着した。
上を見上げて、我々は息を飲んだ。
でかい。とにかくでかいのだ。
アンテナの基部がまるごと建物になっており、太さ数mあるアンテナポールが、霧に隠れて天に伸びていく。
「長波のアンテナですからねぇ。前野氏はつぶやく。
おおたかどや山標準電波送信所から発信されているのは、40kHzの電波。その波長は7.5kmにも及ぶ。アンテナの大きさは波長に比例するので、これだけ巨大なものとなるわけだ。
ちなみに、携帯電話(800MHz帯)の波長が約33cm、地上アナログ放送に使われるVHF帯(30MHz~300MHz)が数mだから、スケールの違いがわかろうというものだ。
しかもこのアンテナ、見えるところだけがアンテナなのではない。「実はここ、地面全体がアンテナになっているんですよ」と前野氏は説明する。
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ようやく辿り着いた電波送信所
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建物はちょっとした事務所程度の大きさだが、そこから伸びるアンテナは巨大
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おおたかどや山標準電波送信所の場合、アンテナの高さは250mとなっている
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![](/cda/static/image/2008/05/28/NiCT05s.jpg)
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さすがに空撮はできないので、おおたかどや山標準電波送信所に設置された模型でご勘弁を。こう見ると、放射状に広がった構造がよくわかる
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標準電波送信所は、アンテナポールを中心に、放射状に広がっている。これは、アンテナポールから放射状に支線をを延ばし、傘型アンテナとして利用するためである。すなわち、アンテナの大きさは「250mのポール」ではなく、総敷地面積約8.8平方kmという、東京ドーム2個分にも及ぶ広さ、ということになるわけである。そりゃあ、これだけ市街地から離れたところでないと作れないのも当然だ。
建物の周囲を回りながら、前野氏は話す。「大鷹鳥谷山は、普段はそこそこ晴れているんだけど……。残念ですね。まあ、もう一カ所あるから、そちらに期待しましょうか」
は? もう一カ所?
● 玄界灘に面する「もう1つのアンテナ」その巨大さに驚愕!
そして2週間後。
私とI氏は福岡空港にいた。もう1つの標準電波送信所である「はがね山標準電波送信所」(佐賀県佐賀市富士町)を訪ねるためだ。やっぱり人里離れた山奥にあるため、空港からはやっぱりレンタカーだ。
ただし今回は、心強いことに前野氏に空港からご同行いただいたため、現地にはスムーズに到着した。ちなみに、カーナビにはやっぱり道はなかった。
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やっぱり目標物は山。途中まではしっかりした道だったが……途中から道は消えてしまった
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現地に行く一番の目標物は「白糸の滝ふれあいの里」。もちろん、皆が思い出す富士の白糸の滝とは同名だが別のもの。やまめ釣り(いわゆる管理釣り場)などが楽しめる
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天気も快晴。絶好の撮影日和だ。「本当は、こちらの方が天気は悪いんですよ。ついてますね」と前野氏は笑う。
はがね山標準電波送信所は、玄界灘を望む、佐賀県佐賀市と福岡県前原市境界にある羽金山の頂上にある。海側から常にしめった風が吹き上がって来るため、天候の変化も激しい。なにしろ、あまりに落雷が多いことから、羽金山の隣の山には、雷の山と書いて「雷山」(らいざん)と名付けられているくらいなのだそうだ。
……まあ、本当についていたらおおたかどや山も晴れてるだろ、というつっこみはナシとしても。
羽金山の麓に近づいていくと、山頂になにかが見えた。でかい。全高200mの「はがね山標準電波送信所」のアンテナだ。
前回同様、はがね山標準電波送信所は、部外者立ち入り禁止の専用道路の先にある。走り始めて数分後、突然目の前が開けた。そして目の前に現れたのは、文字通り巨大なアンテナだったのである。
近づいてみると、そのスケール感に圧倒される。なにしろ、近くからでは全景を捉えるのも難しいくらいだ。はがね山のアンテナは全高200mと、おおたかどや山のそれに比べ50m低い。だがそれでも威圧感はものすごいものだ。
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薄く見えるのがはがね山標準電波送信所のアンテナ。羽金山は標高900mあり、その麓からこれだけのサイズで見える、というあたりからスケール感を感じていただきたい
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はがね山標準電波送信所
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全体が見える位置から、人を入れて撮影してみた。とにかく大きいことがおわかりいただけるだろうか。安全確保のため、アンテナの周囲ではヘルメットの着用が義務づけられている
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アンテナの支線を支えるコンクリートの「アンカー」1つがこのサイズ。これを十数個使って地面に支えている
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アンテナを絶縁するために使われる「碍子」(がいし)1つでこのサイズ
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こちらも、おおたかどや山同様、ワイヤーを利用した傘型アンテナとなっており、設計はほぼ同じである。アンテナの高さが違うのは、発信する電波の周波数が60kHzと、おおたかどや山のものに比べ少し高くなっているためである。
男の子は、いくつになっても「でかいモノ」を見ると興奮するものだ。我々は周囲を歩き回りながら、アンテナの形状や風景にシャッターを切った。
一通り写真を撮ったら、今度はいよいよ本題である。
電波時計をあわせる「標準電波」とはなにか。そして、それはどのように運用されているのだろうか。
● 本当は「時計」のためじゃない?
「実は、標準電波は本来、時計を合わせるためだけに発信されているんじゃないんですよ」
前野氏はそう切り出した。
この辺りを理解するには、「電波管理」という考え方を知っておく必要がある。
ご存じのように、電波は、周波数帯別に用途が厳密に定められて運用されている。いわば国が管理する「土地」のようなものだ。そのうち周波数が30kHzから300kHzまでを「長波」といい、電波時計に使う標準電波もここに含まれる。標準電波はその名の通り、特定の周波数の電波を「基準」として発信する役割を持っている。とはいえ、電波をただ発信するだけではもったいないので、その電波に、その国の「標準時刻情報」を刻んで送ろう、というのが、標準電波、正式には「標準周波数報時電波」の役割である。そのため、発信される周波数の精度はきわめて高く、誤差は±10のマイナス12乗(一千億分の1)しかない。これは長波の特性であり、「正確な時刻」を伝えるためには重要なものだ。
なお、すべての通信局にはコールサインがある。フジテレビのことを「CX」、テレビ東京のことを「TX」といったりするのはこれに由来するのだが、標準電波送信所の場合には「JJY」となる。
電波監理は基本的に、テレビ局や携帯電話事業者などから国に納められる「電波利用料」で成り立っており、標準電波送信所の運営は、この予算と標準時通報の観点から「運営費交付金」の予算でまかなわれている。
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タイムコードを発生させる機械。ここで作ったパルスを発信器へ送り、アンテナから出力する
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では、時刻はどのようなデータとして送信されているのだろうか。前野氏は、次のような音声を聞かせてくれた。標準電波の発するタイムコードを音声化したもので、1分間の中に、時・分・通算日・西暦の下二桁・閏秒情報などが刻まれている。(MP3形式,946KB)
これは「タイムコード」と呼ばれるもので、60秒間をかけて、「その日が西暦何年・何日・何時・何分か」といった情報を伝える。言い換えれば、1bps(1ビット/秒)で情報を受け取っているわけだ
基準となるのは、一番最初に送られる「毎分0秒目」を示す「Mマーカー」。電波時計では、まずタイムコードから現在が「何日の何時何分か」を知り、次のMマーカーにあわせて時刻を設定する、という形になる。
ちなみに、タイムコードのフォーマットは国により違う部分がある。そのため、日本の標準電波にしか対応していない機器を海外に持ち込んだ場合、正確に受信できない場合がある。中には、「国際対応」の電波時計もあるが、「時計メーカー側の工夫で実現されている」(前野氏)のだとか。
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NICT作成の「日本標準時プロジェクト」より抜粋した、タイムコードの例。実はシンプルに、音の長さで情報が決まっている
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標準電波送信所では、この情報を常に日本中に送信している。出力はそれぞれ50kW。これは、東京タワーから発せられる各キー局のテレビ電波の5倍にあたる強いものだ。そのため、内部には巨大なコンデンサーとコイルを持った「整合器室」と「送信機室」が用意されている。巨大な傘型アンテナと、やはり巨大な送信設備を設置できる場所は、人里離れた山奥にしかない。各送信所が市街地から離れた場所にあるのには、そういった理由がある。
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50kWの電波を発生させる送信機
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予備を含めてまったく同じ2台の設備が設けられている。落雷などの被害を防ぐため、非常に感度の高いセンサーが組み込まれている、室内ではフラッシュなど強い光を発する機器は使えない
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送信機から発生した巨大なエネルギーを、ロスが少ない状態でアンテナから発信するために必要な「インピーダンス整合」を行なうための「整合器室」
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アンテナ以外から電波が輻射されることを防ぐため、銅を使って全体をシールドしている。当然、稼働中は入室禁止
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巨大なアンテナだけに、最大の敵は「雷」。すでに述べたように、はがね山送信所周辺は雷が多い土地であり、おおたかどや山送信所もはがね山ほどではないが雷に見舞われる。内部には雷の影響を防止するため、様々な設備が用意されているが、さらに設備全体を二重化し、稼働が止まることを防ぐ仕組みとなっている。
なお、これだけ強力な電波が発信されているとなると、気になるのが健康への影響だ。だが前野氏によれば、「アンテナのごく近くでなければ、特に問題はない」とのこと。安全性確保のため、アンテナポールの周囲十数mは職員であっても立ち入り禁止であり、アンテナの真下にあたる管理施設は、至るところがシールドで覆われ、電波の影響を受けないように配慮されている。
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アンテナの横にのばされているのは、落雷時の電気を逃がす設備。故障などは「ほぼ起こらない」というが、数少ないトラブルの原因の多くは落雷によるものだという
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発信所の窓にはこのような金網が入っている。これもすべて、電波をシールドするための仕組みである
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![](/cda/static/image/2008/05/28/NiCT18s.png)
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NICT作成の「日本標準時プロジェクト」より抜粋。各送信所よりおおむね1000km圏内が、電波時計が実用的に動作する範囲だという
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ただしこれだけの出力でも、南北に長い日本をすべてカバーするのは難しい。おおたかどや山の送信所では北海道から九州北部までを、はがね山送信所では沖縄から関東北部までをカバーする形となっている。
また、特に送信所から遠い地域では、建物などに遮蔽され、標準電波が届きにくくなることもある。鉄筋の建物の中では特に減衰しやすく、窓際でないと受信しづらいことも多い。
● 原子時計にも「クセ」がある?~世界中の原子時計を組み合わせて「正確」に
標準電波発信の仕組みはわかった。では、その元となる「正確な時間」はどうやって作っているのだろう。
実は元々、前野氏が所属する「NICT 光・時空標準グループ」とは、日本標準時に関する業務を行なう部署である。
標準電波に乗せられるタイムコードは、日本標準時に合わせて作られている。
![](/cda/static/image/2008/05/28/NiCT19s.jpg)
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おおたかどや山発信所の、セシウム原子時計が納められた「原器室」の入り口。厳重な環境管理の下で運用されているため、出入り禁止になっている
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日本標準時を作っているのは、東京都小金井市にある、NICTの新世代ネットワーク研究センター。ここにある18台のセシウム原子時計と、4台の水素メーザを組み合わせ、それぞれの誤差から平均をとり、「協定世界標準時」(UTC)が作られる。これから、日本との時差である9時間分を進め、日本標準時ができあがることになる。
各標準電波発信所では、この日本標準時を受信し、さらに発信所内にあるセシウム原子時計と照合、正しいことを確認した上で、タイムコードの生成を行なっている。「正しいと思われている原子時計ですが、実は一台一台必ずクセというか、誤差のようなものがあって、それぞれを組み合わせて調整し、はじめて正しい時間になるんです」と前野氏は説明する。
そもそも、日本国内にある原子時計だけでも、正確な時間ができるわけではない。現在は、世界中で原子時計を持つ国がネットワークを作り、それぞれの原子時計の指し示す値と、その誤差が常につきあわせて計測され、最終的な「世界標準時」ができあがる。
正確にいえば、この原子時計のデータをつきあわせてできあがる正確な時間を「協定世界時」と呼び、「UTC」と略する。これに対し、地球の自転から生成される時間を「世界時(UT)」と呼ぶのだそうだ。「原子時計をたくさん持っており、厳密なネットワークを構築しているほど、UTCの確定に寄与しているんです。世界でもっとも原子時計を持っているのはアメリカで、寄与率もトップなのですが、日本はアメリカに続き2位の寄与率となっています」と前野氏は説明する。
その結果、現在、NICTが日本国内で作るUTCと、各国の情報をまとめて作るUTCの誤差は、±10ナノ秒(1億分の1秒)以内に納められているという。なんという正確さ!
これらのデータが、標準電波となり、パソコンでも利用される時刻合わせシステム「NTP」の元となり、我々の生活を支えている。
たかが「時間」とあなどるなかれ。世界中の人々が、日本中の人々が「同じ時間」を認識するためには、これだけの大変なシステムが働いていたのである。
■URL
独立行政法人 情報通信研究機構
http://www.nict.go.jp/
おおたかどや山標準電波送信所
http://jjy.nict.go.jp/LFstation/otakado/index.html
はがね山標準電波送信所
http://jjy.nict.go.jp/LFstation/hagane/index.html
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2008/06/02 00:06
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